摂政は楽じゃない・・・1号
カジミェシュ2世妃 ヘレナ・ズノエムスカ
1141〜1206/在位 1177〜1194
異母兄妹に伯父・叔父入り乱れて権力の奪い合いが続いていたポーランドで
甥オド(兄ミェシュコ3世の長男)を助けると見せかけて〜の権力奪取に成功した(憶測ね)
カジミェシュ2世の妃は、ズノイモ公コンラート2世の公女でした。
ズノイモっていうのはチェコらしいです。
ボヘミアとの関係強化ですかね?
ヘレナという名は、母方の叔母ヘレナ(イローナ)からいただいたらしいです。
1194年にカジミェシュ2世が(たぶん)心臓発作で亡くなると
ヘレナは幼い息子たちの摂政になりました。
一族入り乱れての権力争いまっただ中での摂政は楽じゃないですよね?
ヘレナは、さすがイローナの名をもらっただけあってとても賢明な女性だったそうですが
それでも母子はカジミェシュの兄弟だの従兄だの姉妹の婿だのに威嚇され苦労したようです。
中でもミェシュコ3世との争いは激しかったみたいですね。
四男レシェクは最高公の座をとったりとられたり… めんどくさいなぁ…
どちらか大人になって我慢できなかったんですかね?
常識からいくと年少者が我慢すべきでしょうが、そしたら権力の座を持っていかれちゃうのか?
国内で争っているうちに、隣の大国にやられちゃうぞ… と誰か教えてあげなきゃ!
1202年から1206年の間に亡くなりました。
その後もレシェクは廃位したり返り咲いたり…
こんなストレスいっぱいの争いがなければ、もう少し長生きできたかもしれませんね。
摂政は楽じゃない・・・2号
レシェク1世妃 グジェミスワヴァ
1185〜1258/在位 1207〜1210、1211〜1227
父親一族と激しい権力争いを繰り広げ、三度目の最高公の座を手に入れた1年後の
1207年にレシェクが東方拡張策のために結婚したのは
キエフ大公ヤロスラフ2世の孫にあたるブジェミスワヴァでした。
その前に他の女性と結婚していたという説もあるらしいけど不明です。
あんまりエピソードはないんだけどさ…
1227年にレシェク1世が暗殺されると1歳の息子ボレスワフ(後の5世)の摂政になります。
ボレスワフはブジェミスワヴァが亡くなった後も母親の影響力から
逃れられなかったというから、かなりのスパルタママだったんじゃないかしらね?
ちなみに娘のシャロメアも母の影響を受けてか、深く宗教に傾倒していまして
1672年に福女に列福されています。
上の画を見ると必死で息子を守ろうとする摂政ママの悲哀が表れてますね。
そんなこともあって、ボレスワフは母親に反抗できなかったのかもしれないですね。
1258年に亡くなり、親交のあったザビホストのフランシスコ派教会に埋葬されました。
ひとことK-POPコーナー
SHINHWAのCD来たんだけどさ… A4変形版厚さ4cmのカンカンに入ってるCDって初めて見たよ
クッキーの詰め合わせかと思っちゃったけど、さすが大人の魅力いっぱいですね! 最近毎日聞いています。
カジミェシュ2世妃 ヘレナ・ズノエムスカ
1141〜1206/在位 1177〜1194
異母兄妹に伯父・叔父入り乱れて権力の奪い合いが続いていたポーランドで
甥オド(兄ミェシュコ3世の長男)を助けると見せかけて〜の権力奪取に成功した(憶測ね)
カジミェシュ2世の妃は、ズノイモ公コンラート2世の公女でした。
ズノイモっていうのはチェコらしいです。
ボヘミアとの関係強化ですかね?
ヘレナという名は、母方の叔母ヘレナ(イローナ)からいただいたらしいです。
1194年にカジミェシュ2世が(たぶん)心臓発作で亡くなると
ヘレナは幼い息子たちの摂政になりました。
一族入り乱れての権力争いまっただ中での摂政は楽じゃないですよね?
ヘレナは、さすがイローナの名をもらっただけあってとても賢明な女性だったそうですが
それでも母子はカジミェシュの兄弟だの従兄だの姉妹の婿だのに威嚇され苦労したようです。
中でもミェシュコ3世との争いは激しかったみたいですね。
四男レシェクは最高公の座をとったりとられたり… めんどくさいなぁ…
どちらか大人になって我慢できなかったんですかね?
常識からいくと年少者が我慢すべきでしょうが、そしたら権力の座を持っていかれちゃうのか?
国内で争っているうちに、隣の大国にやられちゃうぞ… と誰か教えてあげなきゃ!
1202年から1206年の間に亡くなりました。
その後もレシェクは廃位したり返り咲いたり…
こんなストレスいっぱいの争いがなければ、もう少し長生きできたかもしれませんね。
摂政は楽じゃない・・・2号
レシェク1世妃 グジェミスワヴァ
1185〜1258/在位 1207〜1210、1211〜1227
父親一族と激しい権力争いを繰り広げ、三度目の最高公の座を手に入れた1年後の
1207年にレシェクが東方拡張策のために結婚したのは
キエフ大公ヤロスラフ2世の孫にあたるブジェミスワヴァでした。
その前に他の女性と結婚していたという説もあるらしいけど不明です。
あんまりエピソードはないんだけどさ…
1227年にレシェク1世が暗殺されると1歳の息子ボレスワフ(後の5世)の摂政になります。
ボレスワフはブジェミスワヴァが亡くなった後も母親の影響力から
逃れられなかったというから、かなりのスパルタママだったんじゃないかしらね?
ちなみに娘のシャロメアも母の影響を受けてか、深く宗教に傾倒していまして
1672年に福女に列福されています。
上の画を見ると必死で息子を守ろうとする摂政ママの悲哀が表れてますね。
そんなこともあって、ボレスワフは母親に反抗できなかったのかもしれないですね。
1258年に亡くなり、親交のあったザビホストのフランシスコ派教会に埋葬されました。
ひとことK-POPコーナー
SHINHWAのCD来たんだけどさ… A4変形版厚さ4cmのカンカンに入ってるCDって初めて見たよ
クッキーの詰め合わせかと思っちゃったけど、さすが大人の魅力いっぱいですね! 最近毎日聞いています。