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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド公ミェシュコ1世妃 ドゥブワヴァ

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ポーランドにキリスト教をもたらした王妃
ミェシュコ1世妃 ドゥブワヴァ・プレゼミシュレデカ

940〜977/在位 965〜977

フランス王女編終了後、他の国を予定していたのですが
Wikipediaの訳が遅々として進まず焦っておりましたところ
以前訳しておいたものを見つけまして急遽ポーランド王妃編スタートです。

ただ、ハンガリーや北欧同様、名前や土地名の読み方がまったくわかりません
一応ポーランド語のアルファベットの読み方を参考にしていますが
間違いが多いと思いますので、見つけた方は是非コメントを… 随時修正いたします。

ポーランド王室って日本ではあまりポピュラーではありませんけど
中世創成期はかなり重要な位置にあったらしく、古くから幅広く婚姻を結んでおります。
そのかわり、各国の侵入、支配も多く受けています。 主にドイツあたりね。

とりあえず初代ポーランド王とされるミェシュコ1世から始めますが
正しくはポーランド公です。

このあとの君主も王だったり大公だったり公だったりしますが
ややこしいので家系図には王ってことで記しています。

さて、初代君主ミェシュコ1世の妃ドゥブワヴァ。
父親であるボヘミア公ボレスラフ1世とミェシュコ1世の間に同盟が成立した際に
結婚が決められました。
    
結婚当初ミェシュコ1世は異教徒でした。
ドゥブワヴァは離婚まで持ち出してミェシュコを説得し、ミェシュコの改宗に成功。
(結婚の条件がミェシュコの改宗だったとか、諸説あるんですけれどもね…)

そして、グニェズノに教会や修道院、ポズナンに聖母マリア教会を建てるなどして
ポーランド全土のキリスト教化を達成しました。

ドゥブワヴァは977年に亡くなりました。
生年は “ ミェシュコに嫁いだボヘミアのプリンセスは若くなかった ” という記述から
逆算されているもので不確かです。
さらに、これは結婚した時に19〜25歳だったとされるミェシュコの再婚相手オダと
混同されているふしがあり、もしかしてもっと後で生まれているかもしれません。
しかし、19〜25歳で若くないって、あんた…

結婚で強固になっていたポーランドとボヘミアの同盟はドゥブワヴァの死後弱まりをみせ
980年中盤に解消されました。

ドゥブワヴァには他にも不確かなことがいろいろありまして…
ミェシュコとの結婚前にメルゼブルク領主ギュンターって人と結婚してたって説。
これはギュンターの息子ギュンゼリン(?)がボレスワフ1世と異父兄弟だと
記されていたことがベースになっているそうですが、どうやらボレスワフ1世と
ギュンゼリンは義理の兄弟か従兄弟だというのが濃厚らしいです。

それから娘のスヴェトスワヴァがデンマーク王スヴェン1世妃シグリドだっていう説。
どうなんでしょうねぇ? 一応スウェーデンの貴族の娘ってことになってますけど…

ミェシュコを改宗させたというのも、教会のコマーシャルではないかと…
まあ、当時宗教を変えるというのはかなりの一大事だったと思うので
妻の宗教に合わせた君主っていうのは宣伝効果大ですよね! そりゃ使わねば!!

そんなドゥブワヴァの墓所は、1888年に出版された書物によると
グニェズノ大聖堂にあってシンプルな石の十字架が掲げられているだけとなっていましたが
現在ではどこにあるか不明だそうです。
キリスト教のために尽力したのに… ミェシュコは手厚く葬ってあげなかったんでしょうかね?
次の嫁がわりと強そうだからなぁ…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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