時代が一気に飛びますが・・・
フランス王ルイ・フィリプ1世王女 ルイーズ・ドルレアン
ベルギー王レオポルド1世妃
1812〜1850/在位 1832〜1850
ルイ15世にはうんざりするほど王女がいましたが、その後ちょっと飛びます。
王様の流れは以下の家系図のようになります。(ナポレオン一家は省いてます)
ルイ15世を継いだルイ16世とマリー・アントワネットはなかなか後継ぎが生まれず
悩みましたが、マリー・アントワネットのお兄様レオポルト2世のアドバイスもあって
二男二女が生まれました。
長女マリー・テレーズはルイ19世妃として一瞬王妃になっています。
次女ソフィーは生まれた時から虚弱体質で、最初の歯が生えた時にひきつけをおこし
1歳を目前にして亡くなっています。
ルイ16世王子で名ばかりの王になったルイ17世は10歳で非業の死を遂げたたため
もちろん嫡子はありません。
亡命下のイギリスで即位したルイ18世とマリー・ジョゼフィーヌの
不仲カップルも嫡子無しでした。
第一帝政をたちあげた皇帝ナポレオン1世の妃ジョセフィーヌには連れ子がいましたが
ナポレオンのお子はおりませんでした。
二人目の皇后マリー・ルイーズ・ドートリッシュは皇子ナポレオン(2世)を生んだ後
ナポレオンの遠征→敗戦→島流し、ってことで別居に突入しました。
ルイ18世を一瞬退けて即位したナポレオン2世は未婚で嫡子無しです。
ルイ18世の後を継いだ弟シャルル10世マリー・テレーズには王女が二人生まれましたが
長女ソフィーは7歳で、次女マリー・テレーズは生まれてすぐ亡くなりました。
つなぎ王ルイ19世とマリー・テレーズにもお子様はおらず…
ふうぅ、やっとルイ・フィリプが登場です。
王位とオルレアン家の繋がりは家系図を参照して下さいね。
ルイ・フィリプとマリー・アマーリエは六男四女の子だくさん!
長女ルイーズは亡命先のシチリアで生まれました。
母マリー・アマーリエと叔母のルイーズ・マリー・ドルレアンに教育されましたが
なんたってマリー・アマーリエはバリバリの貴族主義者ですからね!
とても敬虔に、ブルジョア的に育てられました。
18歳の時父ルイ・フィリプの即位に伴い王女になり
20歳の時ベルギー王レオポルド1世に後妻として嫁ぎました。
ちなみにレオポルト1世の最初の妃はイギリス王ジョージ4世王女シャーロットです。
フランスはご存知の通りカトリックでしたが、レオポルド1世はカトリックでした。
そこで結婚式はカトリックとカルヴァン派の二通りで挙げられたらしい…
ルイーズはとても美しく、性格は寛容ですぐにベルギー宮廷で人気者になったそうです。
妻としては献身的で、母としては愛情にあふれた女性でした。 完璧ですね
なんだけど、ものすごく内気で、公の場へはレオポルド1世に「出なさい!」と
強く言われた場合しか顔を出しませんでした。
お子様は4人で、次男が後のレオポルド2世です。
王女は一人で、悲劇の皇帝となったメキシコ皇帝マクシミリアーノ1世に嫁ぎ
悲しみに打ちのめされて不幸な一生を送ったシャーロットです。
シャーロットについてはまたいつか…
しゃしゃり出ず控えめにしていても、人柄で人気を得るって素敵ですね。
エピソードが少ないけど、よっぽど善い人だったのかしら?
それともベルギー宮廷が大人の宮廷だったのかしら?
ヴェルサイユじゃ見た目とウィット命! 人柄なんて二の次よねぇ…
1850年に結核で亡くなりました。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
フランス王ルイ・フィリプ1世王女 ルイーズ・ドルレアン
ベルギー王レオポルド1世妃
1812〜1850/在位 1832〜1850
ルイ15世にはうんざりするほど王女がいましたが、その後ちょっと飛びます。
王様の流れは以下の家系図のようになります。(ナポレオン一家は省いてます)
ルイ15世を継いだルイ16世とマリー・アントワネットはなかなか後継ぎが生まれず
悩みましたが、マリー・アントワネットのお兄様レオポルト2世のアドバイスもあって
二男二女が生まれました。
長女マリー・テレーズはルイ19世妃として一瞬王妃になっています。
次女ソフィーは生まれた時から虚弱体質で、最初の歯が生えた時にひきつけをおこし
1歳を目前にして亡くなっています。
ルイ16世王子で名ばかりの王になったルイ17世は10歳で非業の死を遂げたたため
もちろん嫡子はありません。
亡命下のイギリスで即位したルイ18世とマリー・ジョゼフィーヌの
不仲カップルも嫡子無しでした。
第一帝政をたちあげた皇帝ナポレオン1世の妃ジョセフィーヌには連れ子がいましたが
ナポレオンのお子はおりませんでした。
二人目の皇后マリー・ルイーズ・ドートリッシュは皇子ナポレオン(2世)を生んだ後
ナポレオンの遠征→敗戦→島流し、ってことで別居に突入しました。
ルイ18世を一瞬退けて即位したナポレオン2世は未婚で嫡子無しです。
ルイ18世の後を継いだ弟シャルル10世マリー・テレーズには王女が二人生まれましたが
長女ソフィーは7歳で、次女マリー・テレーズは生まれてすぐ亡くなりました。
つなぎ王ルイ19世とマリー・テレーズにもお子様はおらず…
ふうぅ、やっとルイ・フィリプが登場です。
王位とオルレアン家の繋がりは家系図を参照して下さいね。
ルイ・フィリプとマリー・アマーリエは六男四女の子だくさん!
長女ルイーズは亡命先のシチリアで生まれました。
母マリー・アマーリエと叔母のルイーズ・マリー・ドルレアンに教育されましたが
なんたってマリー・アマーリエはバリバリの貴族主義者ですからね!
とても敬虔に、ブルジョア的に育てられました。
18歳の時父ルイ・フィリプの即位に伴い王女になり
20歳の時ベルギー王レオポルド1世に後妻として嫁ぎました。
ちなみにレオポルト1世の最初の妃はイギリス王ジョージ4世王女シャーロットです。
フランスはご存知の通りカトリックでしたが、レオポルド1世はカトリックでした。
そこで結婚式はカトリックとカルヴァン派の二通りで挙げられたらしい…
ルイーズはとても美しく、性格は寛容ですぐにベルギー宮廷で人気者になったそうです。
妻としては献身的で、母としては愛情にあふれた女性でした。 完璧ですね
なんだけど、ものすごく内気で、公の場へはレオポルド1世に「出なさい!」と
強く言われた場合しか顔を出しませんでした。
お子様は4人で、次男が後のレオポルド2世です。
王女は一人で、悲劇の皇帝となったメキシコ皇帝マクシミリアーノ1世に嫁ぎ
悲しみに打ちのめされて不幸な一生を送ったシャーロットです。
シャーロットについてはまたいつか…
しゃしゃり出ず控えめにしていても、人柄で人気を得るって素敵ですね。
エピソードが少ないけど、よっぽど善い人だったのかしら?
それともベルギー宮廷が大人の宮廷だったのかしら?
ヴェルサイユじゃ見た目とウィット命! 人柄なんて二の次よねぇ…
1850年に結核で亡くなりました。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)