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Channel: まりっぺのお気楽読書
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フランス王ルイ15世王女 ルイーズ・エリザベート

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義母と離れてからは幸せだったような気がする・・・
ルイ15世王女 ルイーズ・エリザベート・ド・フランス
パルマ公フィリッポ妃

1727〜1759

アンリ4世とルイ14世という艶話の多い王様に挟まれたルイ13世は浮いた噂も無く
地味な印象ではありますが、絶対王政の礎を築いた忘れてはならない君主です。
王妃アンヌ・ドートリッシュは何回かの流産の後
結婚後23年目に驚きの妊娠をしてルイ14世を含む王子が二人生まれましたが王女はいません。

ルイ14世と王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュには3人の王女が生まれましたが
長女アンヌ・エリザベートと次女マリー・アンヌは1歳で亡くなり
熱愛していた三女マリー・テレーズも5歳で亡くなりました。

多産な家柄が買われてルイ15世の妃に選ばれたマリー・レクザンスカ
評判どおりお子様をた〜くさん生みましたが、なにせ二男八女と王女ばっかりで
ルイ15世はたいそうご立腹
年長の王女たちと年少の王女たちは完全に扱いが違ってます。

長女ルイーズと次女アンリエットは双子です。
この頃はルイ15世はまだ浮気をしていませんでした。
初の子供が生まれたってことで大喜び!の父王は二人を可愛がりました。
    
12歳の時にカトリック強国同士の繋がりを強固なものにするため
スペイン王フェリペ5世王子フィリッポとの婚約が決まりました。
しかしフィリッポは八男で(既に4人の兄は亡くなっていたものの)
王位を継ぐ可能性が低いということでフランス宮廷は少々意気消沈したようです。

なんだかんだでその年のうちに結婚したルイーズでしたが
19歳年上のフィリッポとの結婚はあまり幸せなものではなかったようです。

ルイーズが嫁いだ時、スペイン宮廷ではフェリペ5世の未亡人
イサベル・デ・ファルネシオが権勢をふるっていました。
作法はヴェルサイユより厳格だし、義母は意地悪だし…ってことで
なかなか馴染めなかったようです。

ルイーズは義母を避けて人形で遊ぶようになり
父王ルイ15世には「不幸です」と手紙を送りました。
12歳ですものね… 遊びたい盛りだと思うんですけど
世継ぎが必要な王家の結婚生活はそんなに甘いもんじゃありません。
14歳で長女マリーア・イザベラを生みました。
マリーア・イザベラは後に神聖ローマ皇太子ヨーゼフ(2世)に嫁ぎます。

1745年オーストリア継承戦争の終結でパルマがスペインに引き渡され
3年後フィリッポがパルマ公になりました。
ルイーズはスペイン(=義母)から離れることができました。
ここからけっこう好き勝手に生きるわよ

パルマに向かう途中でルイーズはヴェルサイユに立ち寄り数ヶ月滞在します。
その時ポンパドゥール夫人に会いすっかりファンになってしまいました。
他の姉妹たちは目の敵にしていたんですけどね…

この帰国の時、18歳のルイーズを目にしたヴェルサイユ宮廷の人々は
「なんてチャーミングなんでしょう」と驚きました。
また、洞察力と知性があり、若いのに母性溢れる女性だと言われたそうです。

ばっちりフランス式の作法を仕込んだルイーズはパルマに渡り
夫フィリッポとともに万事フレンチスタイルで過ごしました。

その3年後に双子の妹アンリエットが亡くなったので
ルイーズは再びフランスに帰国します。
本当は2〜3週間の予定だったのですが、実家が楽しかったんですかね?
結局1年近くパルマに戻ろうとしませんでした。

さらに1757年にもフランスに戻り、個人的に連携していた女帝マリア・テレジア
皇子ヨーゼフと娘のマリーア・イザベラの縁談をまとめました。

その後パルマに戻ったのかどうだか定かでないんですけど
1759年にヴェルサイユで天然痘に罹って亡くなっています。
パルマにいたら長生きできたかもしれなかったのにね…

幼い頃に離れたヴェルサイユの楽しく美しい記憶が
彼女を引き止めていたのかもしれませんね。

ルイーズ-エリザベートの次女マリーア・ルイーザ
スペイン王カルロス4世妃です。
娘の不埒な新婚生活を知らずにすんで良かったのかしら?

(参考文献 アラン・ドゥコー『フランス女性の歴史2』 Wikipedia英語版)

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