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Channel: まりっぺのお気楽読書
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スペイン女王イサベル2世王女 イサベル

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悲劇のハネムーンとその後
イサベル2世王女 イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン
ジルジェンティ伯ガエターノ妃

1851〜1931

今回、ちょいと長いです。

イサベルはイサベル2世の長女です。
長男のフェルナンドは生まれてすぐ亡くなりました。

父親のカディス公は、子供たちに冷たく、よそよそしかったようです。
(ウワサどおりホモセクシャルで不能だったとしたら、自分の子じゃないんだもんね)
母親のイサベル2世も目まぐるしい統治と私生活に追われて
子供たちにかまわないことがよくありました。

イサベル2世は、長女イサベルに目をかけていたみたいで、多くの教育を施されました。
特に語学には力が入っていたみたいです。 どこにお嫁にいくかわからないものね。
イサベル自身は音楽と馬術が好きでした。

政治的理由から、両親の従弟にあたるガエターノの結婚が持ち上がります。
ガエターノがスペインに到着すると、急ピッチで話が進められ数週間後に結婚しました。
イサベルは17歳、ガエターノは22歳でした。
       
ガエターノは、背が高く(お写真によるとハンサムで)心優しい人でした。
一方、イサベルは背が低く、従順でしたが保守的で頑固な性格でした。
似合いそう…っちゃあ似合いそうな二人ですね。

しかし、王家を守っていかなきゃいけない激動の時期に、なんで彼を選んだのかと思うんだが
ガエターノはからだが弱く、あまり知的ではなく、心も病んでいました。
家柄だけでよかったんですかね?
              
                お写真があるのでのせときます

結婚後、二人は、ローマやウィーン、フランスなどを巡る旅に出ます。
一応ハネムーンなんだけど、ガエターノの療養先を探すのがねらいでした。
なかなか見つからなかったんでしょうか? 旅は2年に及びます。

二人はスイスに落ち着くように思えましたが、ガエターノはそこで頭を射って自殺…
結婚生活は3年で終わりを告げました。

一生懸命尽した挙げ句に自ら命を絶たれてしまうなんて
女性にとっては大きな心の傷になりそうですね。
20歳の若い未亡人イサベルは喪に服すと、イサベル2世が亡命しているパリに戻り
弟や妹に勉強を教えたり、独りで暮らしている父親を訪ねたりして静かに暮らしました。

心に傷を負ったままイサベルのストーリーは終わってしまうのか… と思っていたら
1875年、イサベルの人生の第二幕が始まります。

弟のアルフォンソ12世が、スペイン共和国王として呼び戻されました。
未婚だったアルフォンソ12世は、ファーストレディとしてイサベルを選び
1ヶ月後にイサベルもスペインに戻ることになりました。
頼もしいお姉ちゃんに側にいてほしかったのかしら?

スペインでは、イサベルを再婚させようとして、バイエルン家か
ハプスブルク=ロートリンゲン家のどちらか… と縁談を進めていました。
イサベルが嫌がったのか二つの縁談は失敗し、イサベルは、妹の教育や
弟の妃メルセデスの世話にうちこみました。

メルセデスが亡くなった後、マリア・クリスティネをプッシュしたのもイサベルでした。
アルフォンソ12世の死後は、摂政になったマリア・クリスティネをサポートして
甥や姪から “ 第二のお母さま ” と慕われました。

イサベルは、アルフォンソ12世時代、甥のアルフォンソ13世時代で
宮廷でもっとも一目置かれる存在で、アルフォンソ13世失脚後は
共和国から国にとどまってほしいと懇願されましたが、これを拒否します。

イサベルは、宝石のほとんどを甥のアルフォンソ13世に譲り渡し亡命します。
そして、パリ到着後数日で亡くなりました。

意志が固い人だったみたいですね。
3年間だけ連れ添った夫を失った後は、まるで家族と国のためだけに生きてたみたい。
もしかしたら、もう再婚したくないほど辛い3年間だったのかもしれないけど
ロマンティックじゃないので、亡き夫への愛ゆえに… ということにしちゃいましょう。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことごあいさつコーナー
遅蒔きながら、あけましておめでとうございます
今年の年明けは、やっと当たった東急ジルベスターコンサートのダッタン人の踊りで華々しくむかえました!うふふ
良い年になるといいなぁ… 良い年にしたいなぁ…

   

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