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Channel: まりっぺのお気楽読書
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スペイン王フェルナンド7世王女 ルイサ・フェルナンダ

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王座の行方を背負わされた王女
フェルナンド7世王女 ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボン
モンパンシェ公アントワーヌ・オルレアン妃

1832〜1897

フェルナンド7世は4回結婚してます。
一人目の妃マリア・アントニアとの間にはお子様がはいません。
二人目の妃マリア・イサベルは王女を二人産みましたが
長女は5ヶ月で亡くなり、次女は死産でした。
三人目の妃マリア・ヨーゼファにもお子様はできませんでした。
四人目の妃マリア・クリスティネとの間に生まれた三女がイサベル2世です。

ルイサ・フェルディナンダは四女でした。

ルイサの姉イサベルは、ずっと従兄のカディス公フランシスコと婚約していました。
フランシスコは、ホモセクシャルで、性的に不能と言われていて
フランス王ルイ・フィリプ1世は、イサベルには子供ができないはず! と考え
ゆくゆくはスペイン王座をわが家に… と画策します。

手っ取り早いのは結婚ですね!
1846年、14歳のルイサは、22歳のルイ・フィリプ1世王子アントワーヌと結婚します。
姉のイサベル&カディス公とW婚でした。

アントワーヌはスペイン継承権を手に入れ、一度フランスへ帰国しますが
その後セビリアに入り、王位継承に備えました。
狙いまくってる家系図をどうぞ!!
    
しかし! なんということでしょう!!
イサベル2世は予想に反して、どんどん嫡子を産むっていうじゃない!!
アントワーヌは待ちきれなかったのか、イサベル2世に対して次々謀略を企てます。
ルイサが加担していたかどうかは不明ですが、姉妹の仲はかなり張りつめていたようです。

1868年、退位させられた姉イサベル2世ともども、母がいるフランスに亡命します。
母親と再会した窮地の姉妹、少しは仲直りできたのかしらね?

1870年、ルイサは夫アントワーヌが亡くなるとセビリアに戻り余生を送りました。
ちなみに、姉イサベル2世はフランスで余生を過ごしています。

9人のお子様のうち、五女マリア・メルセデスはイサベル2世王子アルフォンソ12世と
三男ガリエラ公アントニオはイサベル2世王女エウレリアと結婚しました。
エウレリアについてはまた今度…

ルイサのパーソナリティがまったくわかりません。
ミエミエの政略結婚ですが、結婚後は幸せだったのでしょうか?
義父や夫とともに王座を狙っていたのか、板挟みで苦しんでいたのか知りたいところですね。

              
               少女時代でしょうか?かわいいですね

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことごあいさつコーナー
ゆるゆるなブログに、今年も1年お付き合いいただきありがとうございました
今年のアップはこれで最後になります
みなさま、良いお年を〜

   

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