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Channel: まりっぺのお気楽読書
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フランス王ルイ15世王女 ヴィクトワール

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マリー・アントワネットにとんだとばっちりを与えた王女
ルイ15世王女 ヴィクトワール・ド・フランス

1733〜1799

ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカは王子二人を生んでいたものの
次男フィリプは1733年に2歳で亡くなりました。
その1ヶ月後に生まれたのが五女ヴィクトワールです。

ルイ15世は「また女かっ!」ってことで怒り心頭です。
疎まれたヴィクトワールはフォントヴローの修道院に預けられ
15歳までヴェルサイユには戻れませんでした。

修道院では地下墓所に閉じ込められたり…という苦行で怖い思いをしたようで
一生トラウマに悩まされたとも言われています。
         
20歳の時にスペイン王フェルナンド6世との縁談が持ち上がりました。
でもね、この時フェルナンド6世妃バルバラ・デ・ポルトゥガルは病気だったけど
まだ存命中だったわけなのよ。
ひどくない? まだ生きてるのに結婚相手を探すなんてっ
仲が良い夫婦だったらしいんですけどね…

しかし、かなり深刻な状態だと思われてバルバラ王妃はそれから5年生き延びまして
ヴィクトワールとの縁談も立ち消えに…

1765年に兄の王太子ルイが亡くなり、1768年に王妃マリー・レクザンスカが亡くなります。
姉妹たちは深く喪に服すと同時に結束を強めていきました。

新たに登場したデュ・バリー夫人を許すまじ!てなわけで
姉のアデライードと甥の王太子ルイ(16世)妃マリー・アントワネットをけしかけました。

父王ルイ15世が亡くなると、即位したルイ16世は愛妾たちをヴェルサイユから一掃しました。
これで憎たらしい女たちが居なくなって安心… と思いきや…

未婚シスターズは先王の王女としてヴェルサイユで暮らすことは許されましたが
すっかり若返った宮廷ではマリー・アントワネットの影に隠れ
過去の人…忘れ去られた存在になりました。

宮廷に居づらくなったシスターズは、地方へ旅行をするようになりました。
旅行っていっても、こじんまりした女三人旅っていうわけではなく、贅沢三昧の旅でした。
度重なるシスターズの旅は国庫にまで影響を及ぼしてフランス革命の一因にもなりました。

マリー・アントワネットがドレスや宝石、舞踏会やパーティーで
フランス王家のお金を使い果たしたような印象がありますが
シスターズをはじめ、国のお金を浪費する王族はゴロゴロいたわけですね。

革命後も姉のアデライードと行動を共にし、1799年にトリエステで亡くなりました。
乳癌だったそうです。
後にアデライードと一緒にフランスへ送られ、サン=ドニに埋葬されました。

とにかく、ヴェルサイユに帰ってからは常にアデライードと一緒、
アデライードが亡くなる8ヶ月前に亡くなり、死後も一緒。
完全なおねえちゃん子ですね。 自分の意志ってあったんでしょうかね?

ヴィクトワールはルイ15世の王女の中で一番美しかったと言われていますが
一番おばかさんだったとも言われています。

マリー・アントワネットが言ったとされる「パンが買えないならお菓子を買えばいいのに」は
ヴィクトワールが言ったらしい… お菓子ではなくてミートパイだそうです。

マリー・アントワネットのばか丸出しエピソードみたいに語りつがれ
現在に至るまでとんでもない濡れ衣を着せられてるのね
少しでも名誉回復のお役にたてれば良いのだが…

(参考文献 アラン・ドゥコー『フランス女性の歴史2』 Wikipedia英語版)

フランス王ルイ15世王女 ソフィー

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万事控えめな王女
ルイ15世王女 ソフィー・ド・フランス

1734〜1782

王妃マリー・レクザンスカがまたまた王女を出産しました。
ルイ15世は「もう王女はうんざり!!」というわけで
六女ソフィーは姉のヴィクトワール同様フォントブローの修道院に送られます。

          
ソフィーは一応 “ 未婚シスターズ ” を構成していた王女ではありますけれども
アデライードやヴィクトワールたちほどエピソードがありません。

あまり美しくなくて魅力がない王女と言われています。
そのせいか極度な恥ずかしがりやで、性格は内気で、大声恐怖症でした。

ルイ15世はソフィーをグラーユ(カラス)と呼んでいました。
ちなみにヴィクトワールはコッシュ(雌豚)、アデライードはロック(ボロきれ)
末娘ルイーズ・マリーはシッフ(ボロ布)だったそうです。 口が悪いわね…

教育を終えてヴェルサイユへ戻ったものの、宮廷ではなんの影響力ももたらさず
アデライードの言いなりで、二人の姉たちにくっついて行動していました。

姉たちがマリー・アントワネットにいろいろ吹き込んでいる時にも
後方で頷き、「そうよ、そうよ」と相づちを打つような役柄だったのでしょうね。

ソフィーは幸か不幸かフランス革命の7年前に亡くなりまして
姉たちのような苦労はしないですんだようです。

でもこの王女様、根っからの金魚のフン体質だったような気もするので
革命後まで生き延びていても「お姉様にくっついてれば大丈夫!」ってな感じで
あんまり不安は感じずに呑気に過ごしてたかもしれないね。

ソフィーの下には七女テレーズ・ド・フランス(1736〜1744)がいます。
やはりルイ15世に疎まれて2歳でフォントブローに送られました。
テレーズは病気がちでした。
家庭教師はフォントブローの環境が合っていないのではないかと思っていたようです。
しかしヴェルサイユに呼び戻されることはなく、二度と両親に会うことも無く
8歳で亡くなりました。
王女様だというのに、儚く可哀想な人生でしたね。

ルイ15世はともかく、母親であるマリー・レクザンスカはなんとかできなかったんですかね?
愛妾にうつつを抜かす夫の言いなりなんて…
国事はさておき、せめて家事で主導権を握れなかったのかしら?
娘を呼び戻すことぐらいは、ルイ15世に逆らってでもしていただきたかった気がします。

ルイ15世の王女終わり! と思うでしょ?
いえいえ、もう一人いらっしゃいます。
てなわけで、つづく・・・

(参考文献 アラン・ドゥコー『フランス女性の歴史3』 Wikipedia英語版)

フランス王ルイ15世王女 ルイーズ・マリー

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一家の贖罪を一身に引き受ける
ルイ15世王女 ルイーズ・マリー・ド・フランス

1373〜1787

ルイ15世王妃マリー・レクザンスカはまたまた王女を生みました。
八女ルイーズ・マリーです。

ルイ15世はルイーズをヴィクトワールソフィー同様フォントブローの修道院に預けました。

           
二人の姉がどうだったかは知りませんが、ルイーズはまるで修道女のように暮らし
「私は王の娘です」とは言わず「神の娘です」と言っていました。

11歳の時に、イングランドからフランスに逃れて来ていた
スチュアート家のチャールズ・エドワードとの縁談が持ち上がります。

イングランドはプロテスタントであるハノーヴァー家のジョージ2世の治世でした。
カトリックのフランスはスチュアート家のカトリック派を推していました。

ちなみにジェームズ2世の後を治めたのは、同じスチュアート家でも
チャールズ・エドワードの祖父ジェームズ2世が最初に妃にしたアン・ハイドが生んだ
プロテスタントのメアリー2世、続いてアンです。

話をルイーズに戻しますと…
ルイーズは「神以上に愛せないのに夫を持つなど…」と取り合いませんでした。

そんなルイーズも15歳になってヴェルサイユに戻りました。

ルイーズはヴェルサイユで、王女たちの中では一番端の部屋をあてがわれました。
脚が悪く、朝の挨拶のためにアデライードの部屋にやって来るルイ15世に会うため
一生懸命走っていったのに間に合わなかったりしたそうです。
ルイ15世ったら、全員の部屋をまわってあげればいいじゃないの…

しかし、謙虚に育ったルイーズは、なぜか綺麗なドレスが大好きだったらしい…
修道院で質素にしすぎた反動でしょうか?

ヴェルサイユでは姉たちの影にかくれ、(たぶん)アデライードにはアゴで使われ
兄王太子ルイは亡くなり、続いて母マリー・レクザンスカが亡くなり
デュ・バリー夫人は登場するし…ってことで居心地悪くなってしまったんでしょうか?
1770年にカルメル派の修道女になりたいと申し出ました。
自分が修道女になれば、宮廷を堕落させたルイ15世の罪が償えると考えたみたいです。
大好きな美しいドレスが二度と着れなくなってしまうのに、頭が下がる決心ですね。
ルイ15世は…娘にこんな思いをさせて  ちゃんと反省しなさい!!

王太子ルイ(16世)とマリー・アントワネットの結婚を見届け
サン=ドニの修道院に入りました。

サン=ドニは旧式の厳しい秩序が守られている修道院でした。
ルイーズは炊事洗濯も厭わず、他の修道女たちと姉妹のように接して
敬虔な毎日を送りました。
脚が悪いルイーズが祈る時に助けを申し出ようとすると、これを断り跪きました。

サン=ドニでは何度か修道院長を務めています。
父王にかけあって、ヨーゼフ2世の迫害にあったオーストリアのカルメル派を受け入れました。
やるべきことを見つけて、宮廷時代よりアクティブに過ごせたようですね。

ルイーズは1787年に胃の病気で亡くなりました。
最後の言葉は「早く天国へ! 駆け足でね」でした。

ルイーズは列聖はされていないみたいなんですけど
1873年にローマ教皇ピウス9世から聖人の称号のひとつを与えられています。

一番地味な王女ではありますが、一番人間らしい人生を送ったような印象を受けます。
お城で暮らすことが「めでたし、めでたし」ではないということを体現しているようですね。

              
            ルイ15世がルイーズ・マリーを修道院に訪ねる、の図
                   実際にあったのかどうかは甚だ疑問ですが…

(参考文献 アラン・ドゥコー『フランス女性の歴史2』 Wikipedia英語版)

『父と子』いったいどの親子の話か?

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ОТНЫ И ЛЕТИ 
1862年 ツルゲーネフ

「今の若いもんは…」っていう言葉は、枕草子だか徒然草だかに書かれてるって
聞いたことがあるし、古代の遺跡にも書いてあったってぐらいだから
どの時代でも世代交代の時の大人は苦々しい思いをしてきたってことですね?

『父と子』の中でも「今の若いもんは…」的な言葉が登場します。
主に、貴族主義の中・老年層が反貴族主義の若年層を嘆く時に用いられています。

私は無責任に「王様万歳!」派なので、消えゆこうとするロシアの貴族社会に
おおいに同情はするわけですが…
『貴族の巣』の時にも思ったけど
貴族っていわれてもさぁ…という感じで、別に消えても惜しくなさそうな貴族社会なのよね。

200人の農奴を持つ領主ニコライ・キルサーコフの愛する息子アルカーヂィが
学業を終えてペテルブルクから帰ってきます。

自ら街までいそいそと迎えに行き、涙を流さんばかりに喜ぶ父親に
息子は尊敬する友人エヴゲーニィ・バザーロフを紹介しました。

バザーロフという人は “ ニヒリスト ” だそうで、とにかく
ありとあらゆるものごとを否定して生きているわけです。
そしてアルカーヂィはそんな主義を実践しているバザーロフに傾倒しているのね。

父のニコライはバザーロフや息子の変わりように不安を覚えながらも
帰来の気の優しさから穏やかに接するわけなんですけど
ニコライの兄で同居しているパーヴェル伯父は真っ向対決!
ことあるごとにバザーロフとぶつかります。

それでね、物語はこの親子の小さな亀裂がどうなるのかしら…って方向で
進むのかと思ったわよ。
親子のぶつかり合いにハラハラドキドキできるものと、ものすごく期待してました。

しかし、焦点はもう一組の親子に移っていきます。

バザーロフの父で元軍医のヴァシーリィと母アリーナは息子を崇めんばかりに愛しています。
気に入らないことはしないよう努めるし、口答えしないし、問わず責めず
「怒らないかしら?」と顔色ばかり伺っています。

この二組の親子に共通していえるのは、父親が諦めきっちゃってるってことでしょうか?
息子たちが抱く、自分たち世代を否定し嘲笑する考えを知っても
敢えて反論せず頷くことに終始しています。

二人の若者に果敢に挑むのは伯父のパーヴェルのみ…
題名を『伯父と甥』にしてはどうか?

二組の親子を描く間に女性をめぐるドラマがいくつかあるんですけど省くね。

ひとつだけ書かせてもらうと、バザーロフはある女性を愛してしまったことに気づきます。
そして恋愛なんかをする自分を否定するわけです、ニヒリストだから。

私はニヒリスト(虚無主義)というのがどういうものかはよく解りませんが
他人の考えも思いも、金も仕事も愛も、何もかも否定して生きていられるものでしょうか?
いつ死んでもいいの? 死にたいの?

それはさておき、主義はどうでもいいからさぁ
学業を終えて帰って来たのなら働こうか? 若者よ…って、読後に強く思いましたとさ。
まったく文学的でも学術的でもない感想ですみませんけど…

フランス王ルイ・フィリプ1世王女 ルイーズ

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時代が一気に飛びますが・・・
フランス王ルイ・フィリプ1世王女 ルイーズ・ドルレアン
ベルギー王レオポルド1世妃

1812〜1850/在位 1832〜1850

ルイ15世にはうんざりするほど王女がいましたが、その後ちょっと飛びます。
王様の流れは以下の家系図のようになります。(ナポレオン一家は省いてます)
          
ルイ15世を継いだルイ16世とマリー・アントワネットはなかなか後継ぎが生まれず
悩みましたが、マリー・アントワネットのお兄様レオポルト2世のアドバイスもあって
二男二女が生まれました。
長女マリー・テレーズはルイ19世妃として一瞬王妃になっています。
次女ソフィーは生まれた時から虚弱体質で、最初の歯が生えた時にひきつけをおこし
1歳を目前にして亡くなっています。

ルイ16世王子で名ばかりの王になったルイ17世は10歳で非業の死を遂げたたため
もちろん嫡子はありません。

亡命下のイギリスで即位したルイ18世とマリー・ジョゼフィーヌ
不仲カップルも嫡子無しでした。

第一帝政をたちあげた皇帝ナポレオン1世の妃ジョセフィーヌには連れ子がいましたが
ナポレオンのお子はおりませんでした。
二人目の皇后マリー・ルイーズ・ドートリッシュは皇子ナポレオン(2世)を生んだ後
ナポレオンの遠征→敗戦→島流し、ってことで別居に突入しました。

ルイ18世を一瞬退けて即位したナポレオン2世は未婚で嫡子無しです。

ルイ18世の後を継いだ弟シャルル10世マリー・テレーズには王女が二人生まれましたが
長女ソフィーは7歳で、次女マリー・テレーズは生まれてすぐ亡くなりました。

つなぎ王ルイ19世とマリー・テレーズにもお子様はおらず…

ふうぅ、やっとルイ・フィリプが登場です。
王位とオルレアン家の繋がりは家系図を参照して下さいね。
           
ルイ・フィリプとマリー・アマーリエは六男四女の子だくさん!

長女ルイーズは亡命先のシチリアで生まれました。
母マリー・アマーリエと叔母のルイーズ・マリー・ドルレアンに教育されましたが
なんたってマリー・アマーリエはバリバリの貴族主義者ですからね!
とても敬虔に、ブルジョア的に育てられました。
        
18歳の時父ルイ・フィリプの即位に伴い王女になり
20歳の時ベルギー王レオポルド1世に後妻として嫁ぎました。
ちなみにレオポルト1世の最初の妃はイギリス王ジョージ4世王女シャーロットです。

フランスはご存知の通りカトリックでしたが、レオポルド1世はカトリックでした。
そこで結婚式はカトリックとカルヴァン派の二通りで挙げられたらしい…

ルイーズはとても美しく、性格は寛容ですぐにベルギー宮廷で人気者になったそうです。
妻としては献身的で、母としては愛情にあふれた女性でした。 完璧ですね
なんだけど、ものすごく内気で、公の場へはレオポルド1世に「出なさい!」と
強く言われた場合しか顔を出しませんでした。

お子様は4人で、次男が後のレオポルド2世です。
王女は一人で、悲劇の皇帝となったメキシコ皇帝マクシミリアーノ1世に嫁ぎ
悲しみに打ちのめされて不幸な一生を送ったシャーロットです。
シャーロットについてはまたいつか…

しゃしゃり出ず控えめにしていても、人柄で人気を得るって素敵ですね。
エピソードが少ないけど、よっぽど善い人だったのかしら?
それともベルギー宮廷が大人の宮廷だったのかしら?
ヴェルサイユじゃ見た目とウィット命! 人柄なんて二の次よねぇ…

1850年に結核で亡くなりました。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

『ヴァレンタインズ』別れ話はこうまとめたいですね

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VALENTINES 
2007年 オラフ・オラフソン

この作家さんは知らなかったのですが、BOOK OFFで見つけて初めて読んでみました。
アイスランドの方だそうです。

静かで落ち着いた文章、多くを語らない登場人物、奇をてらわない展開…
けっして嫌いなタイプの作風ではないのですが、なぜでしょう? 入り込めませんでした。

12篇の短編から成っている一冊で、本国では題名がついているらしいのですが
日本版は一月、二月、〜 十二月、となっていて
各月に相応しい別れのお話しが書かれています。

印象に残った物語をご紹介しますね。

『二月』
ヨウンとリンダはいつもなら夏に訪れる海辺の別荘を訪れました。
ヨウンは自分の浮気で壊れかけた関係を修復しようと考えていました。
しかしリンダは相手の女性が住むクィーンズへ連れて行けと強くせまります。

このお話しは、鋭い人なら途中で真相がわかると思うのよね、詳しくは書きませんが。
読者でもわかる浮気の真相…なぜ妻がわからんかな?
夫が真相を明かしたことは正しかったのか間違いだったのか? 悩むところです。

『五月』
ヨハンはカレンとの結婚生活に満足していましたが
ある冬の日、突然カレンから女性の恋人がいることを聞かされました。
カレンの提案で別れようと決めていた春の日が近づくと、カレンは俄然張り切ります。
彼女は二人の思い出の家具も何もかも売り払うつもりのようです。

別れるというのに元気いっぱいな相手を見るのはつらいし悔しいですよね?
つい「別れてやるもんか!」と言いたくもなりましょう。
だからって…大人しく聞いていた旦那さんがどんなふうになってしまうのか?
衝撃のラストです。

『八月』
仕事が忙しかったヤーコプはカナリア諸島に行きたかったのですが
結局アイリスの希望どおりスロベニアにバカンスに出かけました。
そこはヤーコプが20歳の時にアンナという女性と出会い別れた場所でした。
ヤーコプはホテルのテラスでアンナによく似たウェイトレスを見かけたじろぎます。

ヤーコプにはそれからちょっとした災難がふりかかります。
おかげでアイリスに過去をうちあけるハメになるとは…
過去にとった不誠実な行動が跳ね返ってくる…怖いですね。

何が原因なんでしょう? と自己分析してみるに
不実を働いた方がやけに “ 素直に認めちゃう ” のと
別れを切り出された方がやけに “ 聞き分けが良い ” という印象が残ってます。

何年も付き合った相手だったり夫婦だったりしたのに
そしてそれまでは上手くいっていたのに、あっさりしすぎじゃなくて?
北欧の方はクールなのかしら?

見苦しい態度を見せるとか取り乱すとか、そういう場面がないんですよ。
(主人公たちが)自分をきれいに見せようとしすぎているような気がします。

まぁ、私は今
「離さない! 離すもんかっ!!」 「必ず取り戻してみせる! 君を!!」満載の
韓国ドラマ & K-POP に夢中ですのでね…
それで物足りなかったのかもしれないっす。

フランス王ルイ・フィリプ1世王女 マリー

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“ 美人薄命 ” な王女
ルイ・フィリプ1世王女 マリー・ドルレアン
ビュルテンベルク公アレクサンドル妃

1813〜1839

ルイ・フィリプ1世とマリー・アマーリエの次女マリーは
父親であるルイ・フィリプの意向で堅実に育てられました。
芸術的な才能があったようで、彫刻や絵画に勤しんでいました。

1830年、7月革命の後ルイ・フィリプが王に即位してマリーは王女になりました。

マリーが21歳の時、王妃マリー・アマーリエは甥の両シチリア王フェルディナンド2世に
弟のレオポルドとマリーの結婚をもちかけました。
      
ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの問題もあり
権力の弱体化や名家の衰退と、新興の資産家
所謂ブルジョワジーの台頭とかで
王家同士の縁談がなかなかに難しくなっていたわけですね。

一応王制復古で落ち着いたように見えるフランスの王女との縁談はありがたい…
さらに大枚22万フランを費やして往年の贅沢な暮らしを保っている
オルレアン家の財力はものすごーく魅力的でした。
てなわけで、フェルディナンド2世は縁談に同意します。

しかし、ルイ・フィリプは決して市民に大歓迎で迎えられた王ではなかったのですね。
7月革命でクーデターを起こした側の、共和制の国にしたいという意向に反して
議会でブルジョワ議員たちに選ばれた王です。
昔ながらの王党派ではなく、立憲主義を目指す自由派に押されて王になっています。
ですので、王座は安泰というわけでなく、各地でちょこちょこ暴動が起きています。

マリーとレオポルドの結婚が決められた年にも暴動は起きました。

フェルディナンド2世は、フランス王家の財産が、またまた革命で無くなる前に…と
焦りまして、一刻も早くマリーをイタリアに送るよう要求しました。

持ちかけたのはフランス側でしたが、ルイ・フィリプは「無分別すぎ!」と怒り
この縁談は破談になります。

24歳の時、ビュルテンベルク公子アレクサンドルと結婚しました。
アレクサンドルの家系は傍系でたいした家柄ではなかったのですけれども
下記の家系図を見ていただくとおわかり頂けますように
英国王家、ベルギー王家と繋がりがあります。
    
省略したけど、ポルトガル王フェルナンド2世や
ロシア皇帝アレクサンドル1世やニコライ1世とも繋がりがあるという
「◯◯の親戚」でかなりポイントが稼げる花婿候補でした。

姉のルイーズが、2年前にベルギー王レオポルド1世と結婚していまして
そこから持ち上がった縁談のようです。

結婚から4年後、結核が悪化して療養のためピサに向かいました。

けれども体調は回復しなかったようです。
弟のヌムール公ルイは、両親の指示で付き添うためにマリーの後を追いましたが
到着した時にはマリーは瀕死の状態でした。
それでも間に合ってよかった… 家族に看取られ25歳で亡くなりました。

美術が好きで自らも絵画を描いていたというマリーの作品は
ドルトレヒト美術館(オランダ)に残っているそうです。

肖像画を載せるにあたり画像検索して何枚か肖像画を見ましたが、どれもお美しい…
けっこうリアルですし、本当に綺麗な方だったのではないかと思われます。
ただ、お美しいわりにはエピソードが少ないですね。
若くして亡くなっているからでしょうか?

落ち着いた雰囲気を漂わせていて “ フランス王家 ” という言葉から連想される
華美で浮ついたイメージとはかけ離れています。
お母様のマリー・アマーリエの肖像画と見比べると、同時代? って思っちゃうわ。

そんなわけで、現代にの女性と言っても違和感の無い肖像画をもう1枚載せときます。

              

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

『タイム・マシン 他九篇』空想小説で読む未来への警告(おおげさ…)

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THE TIME MACHINE   
1896年 ハーバート・ジョージ・ウエルズ

お久しぶりです。
パソコンがある部屋にはエアコンが無いので、すっかりブログも滞りがち…
と言い訳してみました

夏休みは旦那を説き伏せ韓国へ行ってまいりました。 やっほー
でも韓国で楽しい思いをした方も、旅の様子をブログにアップしてる方も多いと思うので
この話しはおいといていつものブログに戻ります。

ウェルズといえば『透明人間』『宇宙戦争』など映画化された小説も多くて有名ですね。
巨大な虫や地球外生命体などには興味の無い私ですが、お名前は存じ上げております。
SFの生みの親みたいな方なのでしょうかね?
なぜか本棚に『モロー博士の島』とこの本があったので読んでみました。

そうですね… 私がまったく共感できない10篇が収められた短篇集ですが
1800年代、SFの概念がほとんど無い状態でこのような物語が書けるということ、
その想像力にひたすら尊敬の念を覚えているところです。

『タイム・マシン(Time Machine)/1895年』
客の前で時間の中を移動する実験用の小さなマシンを消してみせたタイムトラベラーを
再度訪れると、彼は疲れ果て、汚れた姿で表れました。
彼は80万2千年後の世界で、人類の英知の行く末を見て来たと語りました。
そこには、優雅に着飾って一日中無意味に遊び暮らす白痴のような人々がいたと言います。

これはむかーし映画で観たことがあってうっすら内容を覚えてました。
怖いわ〜、遊び暮らしているからって羨ましがってはいけません。
優雅な人々の実の正体は、というか役割は… ブルブル… やはり人は頭と体を使わねばね!
何もかもコンピューターや機械に任せていると、いつかこんな世界になるような気がします。

『奇跡を起こした男(The Man Who Could Work Miracles)/1899年』
フォザリンゲイは、ある夜、自分の好きなように物を動かしたり
出したり消したりする力があることに気がつきました。
しつこいウィンチ警部を念力でアメリカに送ってしまったフォザリンゲイは恐ろしくなり
メイディング牧師に相談しますが、牧師はその力が利用できると有頂天になります。

牧師は商売っけを出したり私欲のために力を利用しようとわけではなく
善行のためにフォザリンゲイの力を借りようとしたのね、いい人なんですよ。
なんだけど、けっこう無茶なこと言う牧師さんなのよね。
宇宙の敵や謎の生命体などは(映画の中では)打ち負かしている人間ですが
果たして自然の摂理に打ち勝つことはできるんでしょうか?

『ザ・スター(The Star)/1899年』
海王星の軌道に異常があると発表されたのは1月1日でした。
1月3日には世界中の人々が白い巨星を目にしました。
そして、その星は日に日に大きくなっていきます。

ちょっとネタばらしをしちゃうと、海王星と地球の衝突はなんとか免れました。
なんだけどその後地球上の各地で天災が相次ぐのね… 日本は火山の噴火が止まりません。
日本が火山列島だってことをご存知だったんですね?
ちょっぴりリアルなことが書かれてあるところがかえって恐ろしい…

SF全般に疎い私でさえタイムマシンとか透明人間とかでかい蜘蛛とか知ってるわけです。
まさに代名詞的な物語をたくさん残していらっしゃる作家だけあって
面白いと言えば面白い… という一冊でした。

人々がそれぞれの未来人や宇宙人を想像&創造する… SFにはそういう面白さがありますね。
写真や映像による情報が少ない時代の少年や好奇心旺盛な人々は
きっとこれらの物語をおおいに楽しまれたことでしょう。

しかし、ただ面白い、楽しい、と言っているわけにはいかない…
なんとなくですが、SFには未来への警告が多く含まれているような気がします。
ウェルズの小説は、奇想天外な登場人物や舞台や物体を通して
立ち止まらず未来へ突っ走ることの恐ろしさを教えてくれているようです。

日進月歩もよいが、いつかは科学も化学もITも飽和が訪れるはず…
その時人類はどんな風になっているのでしょうね?

ところで!
最近、私のブログ内で『若草物語』『チップス先生さようなら』『月曜物語』などの
キーワード検索が増えてるんですけど…
(まさかいないと思うけど)良い子の皆さん、夏休みの宿題で参照しちゃダメですよ。
先生に「感想文をなめんなよ!」と怒られること請け合いです。

『巡礼者たち』頭の中がルート66

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PILGRIMS 
1997年 エリザベス・ギルバート

読んでいる時には「女性が書いているわりには男っぽいなぁ」と思っていましたが
読後はやはり女性らしい物語の数々だったと感じています。

舞台が、アメリカの、どちらかというと田舎、あるいはハイウェイ沿いに思える話が多くて
つい、テンガロンハットとかブーツの男性が屯する酒場とか
二の腕逞しい大型トレーラーの運転手が座って大きなホットドッグをほおばるカフェを
勝手に想像しながら読んでいたのが、男らしく思えた要因かもしれません。

表題『巡礼者たち』は農場主に雇われた19歳の少女とその家の息子の
仲間意識なのか恋なのか…という微妙な心情を描いた秀作ですが
それはおいといて、好きだったお話しをいくつか紹介します。

『トール・フォークス(Tall Falks)』
エレンの店トール・フォークスと、別居中の夫トミーの店ラディ・ナット・ハウスは
道をはさんで営業していて、常連たちが行き来し、お互いに繁盛していました。
しかしトミーの店は潰れ、トップレスバーがオープンしました。
エレンが甥と偵察に行くと、常連たちが皆そのバーに勢揃いしていました。

たぶん小さな町なんだと思うんですが、以前従業員だった女性も向かいに移り
常連も向かいに取られ…なんてことが続けばエレンの店も将来どうなるか…
物語の中ではエレンは落ち着いていますが、ちょっとした言動に焦りが見える気がします。
しかし、トップレスだからって長年通った店に背を向けるとは…男の人って…

『デニー・ブラウンの知らなかったこと
      (The Many Things That Denny Brown Did Not Know)』
15歳のデニー・ブラウンの両親は看護士でした。
その夏、デニーはなぜかかつていじめられていたラッセルと親しくなり
ラッセルの姉ポーレットとこっそり恋人同士になりました。
ある日ポーレットが水疱瘡にかかり、デニーは父親譲りの看護をします。

いじめを克服して友人になる少年たち、父親の仕事を見直す息子…
テーマから見ればいい話なんですけど、道徳番組的な展開はなく
主人公が夏のけだるさに流されているうちに大人になりました、という感じです。
“ 人生の岐路 ” と言いますが、気付かぬ内に岐路を越えていたってこともありますよね。

『最高の妻(The Finest Wife)』
惚れっぽくて恋愛を繰り返したローズは一番好きな男性と結婚し43年後に死別しました。
70歳近くなっていたローズは幼稚園バスの運転手になりました。
ある日、子どもたちが表れないかわりに老人たちが次々バスに乗って来ます。
彼らは皆ローズのかつての恋人でした。

小説では、恋愛遍歴の多い女性はなにかと不幸なラストを迎えることが多いのですが
この物語のラストはすごくハッピーに思えました。 こんな最後を迎えたい…
私はまわりがなんと言おうと、本人が「幸せだ」と思える人生が送れればいいと思うのよね。
ブログで女性の歴史を書いてますが、後の世で悪女だとかおばかさんだとか言われようと
生きているうちに幸せな思いをした人はそれでいいと思うのですよ。

そうですねぇ…
作者が特定のパーソナリティーに肩入れしていないような気がします。
確かに面白い短篇集には様々な人物やシチュエーションが登場するものですが
エリザベス・ギルバートの場合は徹底しているような気がします。

扱っているテーマには、社会的な問題や世間をにぎわす話題はほとんんどありません。
主人公のまわりで起きていることだけを、ほぼ時系列で書いています。

執着心がないのか、公平なのか、利己的なのか、平和主義なのか…
とにかく、雑念無く話の世界に入り込むことができました。

時系列だし文章は読み易いのですが、だからといって簡単な物語ではありません。
主人公の気持がはっきりしないまま話が進行し、成り行きっぽくラストを迎え
そのラストもすっきりしない…というスタイルで
ちゃんとした起承転結が存在しないと嫌な人には向かないかもしれません。

好き嫌いはあるかもね… 私は今のところ好きと嫌いのど真ん中にいる状態です。

フランス王ルイ・フィリプ1世王女 クレマンティーヌ

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王妃が無理なら王の母!
ルイ・フィリプ1世王女 クレマンティーヌ・ドルレアン
サクス=コバーク=ゴータ公子オーガスタス妃

1817〜1907

終わったと思ったら一人残ってました…
ルイ・フィリプとマリー・アマーリエの四女クレマンティーヌ。
三女フランソワーズは2歳で亡くなっています。
13歳の時に父ルイ・フィリプが王に即位したため王女になりました。

当時クレマンティーヌに歴史を教えていたのがジュール・ミシュレという人なのですが
彼は急進的な思想の持ち主で、フランス革命を美化していました。
王女に対して王家を倒した革命を讃美する授業…いいのかね?
後にミシュレはルイ・フィリプの保守傾向を非難しています。

クレマンティーヌは美しくて、将来が期待されていました。
ヨーロッパ各国は彼女の縁談を見守っていましたが
19歳の時に両シチリア王フェルディナンド2世との結婚がささやかれました。
クレマンティーヌとは従兄弟にあたりますね。
       
ルイーズの嫁ぎ先ベルギーではレオポルト1世が
クレマンティーヌとサクス=コバーク=ゴータ家のオーガスタスとの縁談を根回し中でした。
ベルギー王家はできたばかり…フランスとの婚姻でベルギー王家を
強固なものにしようとでも考えていたんでしょうか?
        
オーガスタス自身は王位継承権は無いようなものでしたが
ベルギーのみならず、ポルトガル、スペイン、ブラジル帝国、メキシコ帝国
オーストリア=ハンガリー帝国と繋がりがあるという華やかさ!
書ききれないから書かないけどね…

オーガスタスとクレマンティーヌは1843年に結婚しました。
二人は当初オーストリアで暮らすつもりでした。
しかし、オーストリアは、クレマンティーヌはフランス王女として迎えるが
オーガスタスはロイヤルファミリーとして認めないということだったので
フランスで暮らすことにしました。

たしなみがあると言われていたクレマンティーヌでしたが実は野心家。
その上夫より交渉手腕が優れていたらしく、完全にオーガスタスを尻に敷き
子供たちを支配しました。

1848年の2月革命の時には、子供たちは避難させたものの
コンコルドへ取って返し居座って頑張りました。
結局2月24日に王宮を市民に占拠され、ルイ・フィリプは退位しました。

フランス王家はロンドンへ亡命します。
クレマンティーヌはそこで父ルイ・フィリプと再会しました。

敗者の悲しさ… この後のクレマンティーヌの人生は争いの連続でした。

端折ってくけど、まずはオルレアン家が奪われた金銀財宝を取り戻そうと
ナポレオン(3世)と争います。
遺産のかわりに20万フランを要求しましたがあっけなく拒否されました。

とにかく息子を王にしたいと願っていたクレマンティーヌは
お気に入りの三男フェルディナンドをベルギー王にしようと画策しました。
この時クレマンティーヌは戴冠式でかぶせる王冠までデザインしていたらしい…
だけど残念… レオポルド2世の甥アルベール1世に敗れます。
       
省いたけど、家系図から見れば兄フィリップとレオポルト2世王女ルイーゼの
王子レオポルドの方が王の座に近かったかですよね。

そこで目をつけたのが王が退位したブルガリア。
フェルディナンドを同行してブルガリアに入ると、その富にものを言わせて
ヨーロッパへと繋がる鉄道の建設に400万フランの寄進、学校・病院の建設、
ブルガリア赤十字への莫大な寄付と大枚はたきます。

その甲斐あって、どっちかっていうとフェルディナンドより
クレマンティーヌの方が人気者になってしまったわけなのですが
オーストリアの後押しでフェルディナンドはブルガリア王の座につくことになりました。

だけど…神様の意地悪…
クレマンティーヌは、あんなに夢見ていた息子の即位前年に
インフルエンザで亡くなってしまいました。 90歳でした。
戴冠式、見たかったろう… 再び王冠のデザインもしたかもね。

ルイ・フィリップの後再び帝政で皇帝に就いたナポレオン3世と皇后ウージェニーの間には
皇女はいなかったので、フランス王女編は今回でおしまいです。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

『ワシントン・スクエア』親の反対を押し切らないで!

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WASHINGTON SQUARE 
1880年 ヘンリー・ジェイムズ

このブログを読んでくださっている方はご存知かと思いますが、私は韓流好きです。
で、韓流ドラマの中で恋の邪魔になる三大要素と言えば
“ 身分違い ” “ 出生・生立ちの秘密 ” “ 親の大反対 ” ということになります。
もちろん、そんなもの全てに打ち勝って恋を成就させて〜! と思いながら見ているわけです。

この『ワシントン・スクエア』は、若い女性が初めての恋をしたところ
父親に反対されるというお話しなのね。
いつもなら「親の反対なんかに負けないで〜!」と応援するところですが
この物語では、反対する親を応援してしまった私…なぜなんでしょう?

将来有望な医師スローパーは、美しく優雅なキャサリンを妻に迎え
申し分の無い日々を送っていましたが、理想の妻キャサリンは
娘のキャサリンを生んでしばらくして亡くなってしましました。

キャサリンは同名の母親とは違って凡庸で見栄えのしない娘さんに成長します。
しかし心は優しくとても純粋でした。
そして何より、裕福な母親の遺産を持ち、今後は父親の多額の遺産も入るという…
とにかく大金持ちになる見込み大の女性でした。

21歳の時、キャサリンは従妹の婚約パーティーで
モリス・タウンゼントというハンサムで誰にでも好かれそうな青年と出会います。

モリスは最初からキャサリンに興味津々でした。
キャサリンの教育係でもある夢見がちな叔母ペニマン夫人に気に入られ
戸惑うキャサリンに猛アタックしてきます。
このあたり、恋心に気付いたら一直線な韓流の主人公みたい…

けれども、キャサリンの父スローパーは最初からモリスが気に入らず
財産目当てだと決めつけて二人の交際に反対します。
スローパーは知的で理性があり、二人が何を言っても決して取り乱さないんだけど
穏やかに、しかし徹底的に、そして冷酷に反対の意思を伝え続けます。

キャサリンは財産を放棄してもいいと言うし、モリスは財産目当てでは無いと主張しますが…

はてさて、二人の恋の行方は? そして、その結末で良かったのか?
なかなかに考えさせられる一冊でした。

ヘンリー・ジェイムズと言えば、なんだか観念的で回りくどい文章を書き連ね
話をわざと難解にしているという印象が拭えない私ですが
この一冊はかなり解り易くて、どちらかというと “ 端折られている ” 気さえします。
けれどもそれがかえってこの物語を面白く読ませてくれたような気がします。

人の本当の気持はよくわからない…という概念を覆す書きっぷり。
最初からみえみえのモリスの気持と、解り易すぎる展開ですが、あまりに明白すぎて
途中で「もしかして、私が抱いている印象が間違っているのかも…」という
疑問を抱かずにはいられなくなりました。

「やっぱり…」とも「おぉ、そうなるか…」とも思えるラスト。
キャサリンとモリスが選んだ道が二人にとってどうだったのかは想像するしかないのですが
今後は韓流ドラマの見方を少し変えなければならんかも… とまで思えた一冊でした。

ヘンリー・ジェイムズって、読めば読むほど面白くなってくるわ。
長編より長めの中篇が読み易く楽しめるような気がします。

ポーランド公ミェシュコ1世妃 ドゥブワヴァ

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ポーランドにキリスト教をもたらした王妃
ミェシュコ1世妃 ドゥブワヴァ・プレゼミシュレデカ

940〜977/在位 965〜977

フランス王女編終了後、他の国を予定していたのですが
Wikipediaの訳が遅々として進まず焦っておりましたところ
以前訳しておいたものを見つけまして急遽ポーランド王妃編スタートです。

ただ、ハンガリーや北欧同様、名前や土地名の読み方がまったくわかりません
一応ポーランド語のアルファベットの読み方を参考にしていますが
間違いが多いと思いますので、見つけた方は是非コメントを… 随時修正いたします。

ポーランド王室って日本ではあまりポピュラーではありませんけど
中世創成期はかなり重要な位置にあったらしく、古くから幅広く婚姻を結んでおります。
そのかわり、各国の侵入、支配も多く受けています。 主にドイツあたりね。

とりあえず初代ポーランド王とされるミェシュコ1世から始めますが
正しくはポーランド公です。

このあとの君主も王だったり大公だったり公だったりしますが
ややこしいので家系図には王ってことで記しています。

さて、初代君主ミェシュコ1世の妃ドゥブワヴァ。
父親であるボヘミア公ボレスラフ1世とミェシュコ1世の間に同盟が成立した際に
結婚が決められました。
    
結婚当初ミェシュコ1世は異教徒でした。
ドゥブワヴァは離婚まで持ち出してミェシュコを説得し、ミェシュコの改宗に成功。
(結婚の条件がミェシュコの改宗だったとか、諸説あるんですけれどもね…)

そして、グニェズノに教会や修道院、ポズナンに聖母マリア教会を建てるなどして
ポーランド全土のキリスト教化を達成しました。

ドゥブワヴァは977年に亡くなりました。
生年は “ ミェシュコに嫁いだボヘミアのプリンセスは若くなかった ” という記述から
逆算されているもので不確かです。
さらに、これは結婚した時に19〜25歳だったとされるミェシュコの再婚相手オダと
混同されているふしがあり、もしかしてもっと後で生まれているかもしれません。
しかし、19〜25歳で若くないって、あんた…

結婚で強固になっていたポーランドとボヘミアの同盟はドゥブワヴァの死後弱まりをみせ
980年中盤に解消されました。

ドゥブワヴァには他にも不確かなことがいろいろありまして…
ミェシュコとの結婚前にメルゼブルク領主ギュンターって人と結婚してたって説。
これはギュンターの息子ギュンゼリン(?)がボレスワフ1世と異父兄弟だと
記されていたことがベースになっているそうですが、どうやらボレスワフ1世と
ギュンゼリンは義理の兄弟か従兄弟だというのが濃厚らしいです。

それから娘のスヴェトスワヴァがデンマーク王スヴェン1世妃シグリドだっていう説。
どうなんでしょうねぇ? 一応スウェーデンの貴族の娘ってことになってますけど…

ミェシュコを改宗させたというのも、教会のコマーシャルではないかと…
まあ、当時宗教を変えるというのはかなりの一大事だったと思うので
妻の宗教に合わせた君主っていうのは宣伝効果大ですよね! そりゃ使わねば!!

そんなドゥブワヴァの墓所は、1888年に出版された書物によると
グニェズノ大聖堂にあってシンプルな石の十字架が掲げられているだけとなっていましたが
現在ではどこにあるか不明だそうです。
キリスト教のために尽力したのに… ミェシュコは手厚く葬ってあげなかったんでしょうかね?
次の嫁がわりと強そうだからなぁ…

(参考文献 Wikipedia英語版)

『幸福な家族』お幸せそうでなにより・・・

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武者小路実篤

この本はなんだか本棚にあったから読んでみたものです。
だから武者小路実篤の他の小説は読んだことがないので偉そうなことは言えないのですが
いったい読者に何がを伝えたくて書いたんでしょうね?

私は『幸福な家族』という題名を見た時、ものすごく皮肉が込められたネーミングだと
思い込んでいたんですよ。
そりゃあんたの勝手でしょ! と言われればそれまでなんだが
まさかその通りの内容だとは思わないでしょ?

あらすじを書きますね。

佐田正之助は53歳。
ドイツ語教師をしていましたが「おもしろくないので」リタイアし
画家を目指そうかって勢いで毎日絵ばかり描いています。
東京の一軒家で妻敏子、息子の正蔵、娘の綾子と暮らしています。

正蔵は表には出しませんが父を尊敬する勉強家の好青年です。
綾子は20歳ですが、まだまだ無邪気で善良な娘です。

ちょっと不愉快なことがあって以来女中をおかなくなってからは敏子が家事を切り盛りし
油絵に没頭する正之助をにこにこ見守っています。

目下の悩みと言えば、からだが弱くて戦争に行かなかった正蔵が
女性と出歩いているらしいという人づての話ぐらいです。

スピードアップしていくけど…

その女性について正蔵は何も語ろうとしませんでしたが
ある日、正之助に、ある女性をモデルに使ってほしいと頼んできました。
そしてその女性にモデル料を払ってあげてほしいと言います。

正蔵と友人の川上は、出征している親友田方の婚約者秀子を気にかけていました。
モデルにしてほしい女性とは秀子の知人で千津子といい、何か事情がありそうです。

正之助はひと目で千津子が気に入りモデルにして絵を描き始めます。
敏子も綾子も通って来る千津子のことが好きになりました。
そして正蔵が千津子に好意を抱いていることに気がつきます。

ところが、娘が絵のモデルをしていると知った千津子の父と継母は怒り
千津子に縁談を薦めます。

一方、綾子もたびたびやって来る川上が気になっています。
けれども川上は頑固で、食事を薦めても帰ると言い張るし
綾子を喜ばすようなことは言いつつ、あまり気にかけているようにも見えません。

さぁ! 普通ならここから盛り上がりますよね。
継母と上手くいっていない様子の千津子、親の反対と無理矢理の縁談、
やきもきしながらも心を伝えられない正蔵、親友に弄ばれているかもしれない妹…
もうワクワクですよ! ドラマ的要素満載!!

でも、盛り上がらないの

なんていうのか、昭和の人々は純粋だったというか単純だったというか
すぐに誤解が解けてまぁぁるくおさまっちゃうのよ。
姑息な人や底意地の悪い人なんかいやしない。
バブルが人々を変えたのか? なんちゃって

とにかく、どこにも悪意の無い物語。
皆が笑顔で終われるって、いい話かもしれないよ。
でも面白くないよ。

小波乱があるだけでチャンチャンって終わられても… 本を読む楽しみは何処に?
この小説をもとに映画だかドラマが作られたそうなんですけど
私はぜったい見ないと思います。

せめてカツオ君クラスのやんちゃ者やサザエさんクラスのうっかり者でも
いればよかったのだが… しっかり者で行いの良い人ばかりでした。
だから皆が幸せに暮らすことができましたとさ。
どう? 読んでみたいですか?

ポーランド公ミェシュコ1世妃 オダ

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        画像が無いのでピャスト家の人が改宗した時の絵から切り抜いてみました
                     修道女っぽく見えるし…

人物像で迷っています
ミェシュコ1世妃 オダ・ディトリコヴナ

955〜1023/在位 978〜992

ドゥブワヴァを亡くしたミェシュコ1世は、翌年か翌々年にオダと再婚していますが
その方法が… The 中世! って感じ。

オダはノルドマルク辺境伯ディートリッヒの娘で、カルベという町で成長し
そこで修道女になったと考えられています。

ところが、妃を亡くしたミェシュコがやって来てオダを連れ去り(!)即再婚。
美しいとかいう噂でもたっていたのでしょうかね?
それとも前々から狙っていたとか…
           
たしかハンガリーでも王様が娘さんを修道院から奪ってますが(ペーテル妃ユディト
流行り? ワイルドさのアピールとか?

オダは少なくとも3人の公子を生んでいますが、次男シュヴィエントペウク(?)は
ミェシュコ1世の存命中に亡くなっています。

ミェシュコ1世にはドゥブワヴァが生んだ長男ボレスワフ(1世)がいましたが
長男に領土全土を継承させず、オダが生んだ息子たちにも分け与えると書き記していました。
これはどうやらオダがせっついて書かせたものらしいです。

オダはミェシュコの死後、息子たちの地位がちゃんと保証されるようにしたかったんですね。
そりゃそうだろう…
異父兄が(実兄でさえ)国を継いだ後、酷い目にあってる王子たちがたくさんいるものね。

けれども、やっぱり、ボレスワフ1世はミェシュコ1世が亡くなると
オダが生んだミェシュコとランベルトと紛争を始めてます。
この争いは数週間で終わったとも3年ぐらいかかったとも言われていますが
いずれにしてもボレスワフ1世が勝利してミェシュコ1世の全ての領土を手に入れました。

オダはボレスワフ1世に追放されてドイツに戻り、クヴェードリンブルク修道院に入って
その後30年間修道女として過ごし亡くなりました。

パーソナリティがさっぱりわからず、唯一語られているエピソードが
ミェシュコにせっついて息子に領土を分けさせた、ってことになると
強欲でわがままな若妻… みたいな印象ですが、そうとも言いきれないわよね。

どうみても不利な立場にいる息子たちの将来を安泰にしてあげたいっていうのは当然の親心。
一生懸命お願いして書き残してもらったとも考えられますよね。

ポーランドにいる間以外はほぼ修道院にいて、しかも修道女として過ごしてるのですもの。
実はもの静かで控えめな人だったかもしれない…
だとしたら、連れ去ったりしないで静かに人生を送らせてあげればよかったものを…

権力欲の強い継母 ? 子供のためにと似合わぬ権力闘争に口を出した母の愛か?
どちらのタイプなのかさっぱり見えないですね。

ミェシュコとランベルトはこの争いで戦死したのか
ポーランドから追放されたかがちょっとわからないのですが
1032年に二人のどちらかの息子であるディトリックがポーランドに戻り
当時の君主ミェシュコ2世の失脚後、一部の領土を手に入れています。
1年後には奪い返されちゃうんだけどね…

他の王国の草創期同様、ポーランドもまだまだ混沌としている時代でした。
いくら王様といっても、危険が一杯の男性に嫁ぐのはいやですよねぇ…
お姫さまっていう身分も楽じゃない! って感じですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

『うるう年の恋人たち』おもしろすぎる! いくつもの恋もよう

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LEAP YEAR 
1990年 ピーター・キャメロン

『ママがプールを洗う日』がことの他面白かったので
この本は発売当時に買って読んだはずなのですが、あまり覚えていませんでした。
で、『最終目的地』があまりに面白かったものでいつか読み返そう!!と思ってました。

読み返して良かったよぉ すごくおもしろかったです。

何組かの男女の恋愛もようが絡み合う…
というよりは、あまりにもランダムにちりばめられていて読みづらいところもありますが
いやいや、そのとりとめの無さも物語をぐっとおもしろくしているのです。

難しいんだけど、ちょっとあらすじを書いてみますね。

デイヴィッド・パリッシュという機内誌の編集者がいます。
別れた妻ローレンとの間にケイトという娘がいます。
ウェイター兼カメラマンのヒース・ジャクソンという男性の恋人がいます。

ローレンにはグレゴリー・マンシーニというテレビ局勤務の恋人がいます。

ローレンの母ジュディスは夫のレナードがインドにいっている間ニューヨークに来ていて
そしてヴェトナム人男性ヘンリー・ファンクと知り合いました。

ヒースはアマンダ・パインという女性から、いきなり写真展の開催を打診されます。
アマンダはボスであるギャラリー経営者アントン・ショーワンガングと
愛人関係にありましたが、別れてしばらくたっていました。
アントンは出て行った妻ソランジをパリまで追いかけヨリを戻すことにしました。

ローレンの親友リリアンはどうしても子供が欲しくて
デイヴィッドの激励に力づけられ精子バンクに登録しました。

これらの人々の愛が深まったり冷めたりしている間にいろいろな事件がおこって
愛の行方が変わったりするんだけど… どう書けばいいのかな?

グレゴリーはロス勤務が決まったのを機にローレンにプロポーズしますが
ローレンは迷います。
そんなおり、ケイトがお友達の父親に誘拐されます。

ヒースは写真展の開催が決まりました。
しかし、オープニングパーティー会場でソランジが撃たれ
ヒースは犯人にされてしまいます。

ジュディスは「いけないわ」と思いつつヘンリーと深い関係になりますが
レナードがいきなり帰国し、関係を知られてしまいました。

リリアンは見事身ごもりましたが、その直後、愛する男性は誰かに気付きます。

もう、目白押しですよね!
しかも、意識不明から回復しそうになるソランジを狙う真犯人とか
デイヴィッドとローレンの復縁話とか、リリアンのお腹の子(精子)の父親とか
エピソードはあとからあとから出てきます。

普通、これだけ様々な要素が盛り込まれていれば、忙しくて落ち着きがない
ワサワサした物語になりそうですが、この本にはそんなところがありません。
冷静に、クールに物語は進みます。

登場人物のパーソナリティを絶妙にぼかし、時間軸を見事に交差させて
あれよあれよという間にエピソードが展開していき、クライマックスへ。
物語好きにはたまらない、ほんとぉぉぉにすごく良い一冊だったですよ。

ピーター・キャメロンはおもしろいなぁ…
他に翻訳された本はないのかしら? ってことで、今からAmazonで探してみます。

『マンスフィールド作品集』最後(のつもり)ですから…

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COLLECTED STORIES OF KATHERINE MANSFIELD 
キャサリン・マンスフィールド

なにしろ読書感想文の草稿が30個ぐらいたまってまして…
しばらくの間、読書感想文下書き半減キャンペーンを展開しますね。

さてマンスフィールド… いくら好きだからって、しつこいですよね。
彼女の作品、大好きなんですよねぇ…
だからできるだけ紹介したくって書いてしまいました。

岩波文庫新潮文庫ちくま文庫とマンスフィールドの短篇集をご紹介してきました。

この文化書房博文社版に収載されているのは12篇で、ほとんど紹介ずみなのですけどね…
紹介しきれなかったよいお話しをあげてみます。
これにてマンスフィールド短篇集は打ち止めのつもり…

『人形の家(The Doll's House)/1921年』
バーネル姉妹はヘイおばさんから大きなドールハウスをもらいました。
学校で自慢話をすると早速クラスメイトの少女たちが見に来ました。
あらかたの少女たちが見終わると、末娘のケザイアは学校中の嫌われ者
ケルヴィ姉妹に見せてあげようとしてお母さんに反対されます。

大人も子供も、地域全体を通じて歴然とある差別のお話しですが
主人公が小さな女の子たちなだけにいっそう悲しい気分になりますね。
当時の中流階級のキリスト教的慈善精神と近所づきあいの矛盾を皮肉っているみたいでした。
それはさておき、読んでいたら立派なドールハウスと内装品が浮かんでワクワクしました。

『小さな女の子(The Little Girl)/1910年』
小さなケザイアはなにしろお父さまを恐れ、避けるように暮らしていました。
ケザイアはお父さまのお誕生日を祝うため綺麗な薄紙を裂いて針刺しを作ることにしますが
その紙はお父さまの大切な書類で、さらに恐ろしい顔のお父さまに叱られてしまいます。
そんな中、お母さまが急に病気になり、ケザイアはお父さまと二人で家に残されます。

反抗期以降、怒鳴られても殴られても平気だったけど、小さい頃は父親が怖かったですね。
家は典型的な昭和頑固おやじだったので、すぐカーっとするわ、声でかいわ…
怒られてばかりでした。
長い反抗期でしたけど、ふと解ける瞬間があったなぁ…そんなことを思い出した一編でした。

『カナリヤ(The Canary)/1922年』
老婦人がカナリヤを亡くしてしまった悲しみを語ります。
“ あの子 ” がどんなに歌を上手く歌い、どんなに可愛らしく婦人の気を惹こうとしたか…
“ あの子 ” が婦人がしてくれる世話にどれだけ感謝し理解してくれていたか…
朝起きてから夜眠るまで、二人だけの時間がどんなに穏やかで楽しかったか…

マンスフィールドが死の前年に書いた最後の作品だそうで
小鳥の思い出を語るという、一見他愛無い話の中にものすごく深い悲しみが表されています。
同年に書いた『蠅』というお話しもけっこう救いようが無い気がしていますが
『カナリヤ』はひねりが無いだけに、ストレートに胸にくるものがありましたね。

けっこうな数の物語が4冊の短篇集の中で重複していたのですが
何度読んでも楽しく、その都度小さな歓びに出会うことができました。

ブロンテ姉妹、ジェーン・オースティン同様、早世してしまったのが残念です。
老境に入ってからの世界観も読ませていただきたかったですね。

とりあえず、手持ちのマンスフィールドは読みつくしてしまったので
他に短篇集は出ていないものか探しまわっている今日このごろです。

ところで、以前モームの『クリスマスの休暇』でも愚痴った邦題の違いの件ですが
マンスフィールド短篇集の中にもいくつかありました。
その中でもA Dill Picleというお話しがありまして
ちくま文庫では『ディル風味のピクルス』だったのですが
文化書房版では『いのんど漬』になってるんですよね。
調べたところ、イノンドっていう薬草はあるそうです。
でも素直にディルのピクルスって言ってもらった方が解り易い気がするんですけどね。

『ナターシャ』異国で肩を寄せ合う難しさ

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NATASHA AND OTHER STORIES 
2004年 デヴィッド・ベズモーズギス

この本は表紙の雰囲気が好きで… 所謂ジャケ買いってやつですね。
しかしながら、表紙と内容があまりリンクしていない一冊でした。

作者はカナダ在住だそうですが、子供の頃移住してきたロシア系ユダヤ難民だそうです。
自叙伝なのかな?
一人の男性の子供時代から青年期までのエピソードが断片的に語られています。

文章や雰囲気はざっくり見ると好きなタイプの作風なんですが
ロシア問題とユダヤ問題が随所に書かれていて、両方にほとんど馴染みも知識もない私は
入り込んで読んで共感する…というところまではいけませんでした。

気になったお話しをいくつかご紹介します。

『タプカ(Tapca)』
同じアパートに住む子供がいないナスモフスキー夫婦がロシアから連れて来て
生活が苦しい中、我が子同様の愛情を注いでいる犬のタプカの散歩係に
従姉のヤナと二人指名されました。
ある日散歩中にヤナと大喧嘩をしてしまい、タプカが車に轢かれてしまいました。

何年も一緒に暮らし、国を出るという長く侘しいルートを一緒に旅して来た、
いわば “ 我が子 ” ですよね。
異国の同胞として家族のように接して来た隣人の不注意で死に瀕してしまうとは…
なかなか想像がつきませんが、かなりつらかろう… ラストはちょっと寒気がしました。

『世界で二番目に強い男(The Seond Strongest Man)』
1984年、カナダで重量挙げの選手権が開かれ父が審査員を務めることになりました。
ソ連選手団のコーチは父の元パートナージスキン、花形選手は父が見出したセリョージャ、
ホテルに二人を訪ねて行くと、KGB職員は父の顔見知りでした。
父と母はセリョージャを食事に誘うことにしました。

セリョージャはソ連ではスターで、少年が普段着れないような高い服を買ってくれるのね。
ですが自由はないの、KGBが常に彼の行方を把握しております。
どちらの暮らしが羨ましいかというのは聞くまでもないですが
自由と知る権利を奪われた国が存在した(する)という事実はあるんですよね。
異なる主義を掲げる二つの世界を知る人たちの複雑な心境が語られているような気がします。

『ミニヤン(Miniyan)』
祖母の死後、人脈を駆使し苦労の末祖父が入居したユダヤ人国際結社が保有する住宅には
男二人で暮らすハーシェルとイツィクがいました。
二人にはある噂があり、入居者たちは二人を追い出して自分の知人を入居させようと
ガバイ(ユダヤ教指導者)のザルマンに詰め寄ります。

連れ合いの死後同性二人が暮らすというのは、女性同士だとけっこう涙あり笑いあり的な
物語になりやすいイメージなんですが、男性同士だと陰鬱になりそうですわね…
独りになって寂しくなった者同士、集まって暮らしてもいいじゃないか! 優しく見守ろう。
イヤ〜な話のまま終わるかと終わったら、最後の最後にザルマンがっ…見直しましたよ。

そうねぇ…アーウィン・ショーとかマラマッドを読んだ時にも
同じような印象を受けたような気がしますが、もう少し個人的なテーマだったんですよね。

この一冊からは異国における同胞たちの強い繋がりが滲み出ている気がします。
ロシア系ユダヤ人コミュティというのがかなり強固なものだ、というのはわかりました。
それが国民性によるものか、移住の事情によるものか…それはよくわかりませんが
移住者のほとんどが嫌々国を出て来たということも感じられました。

しかし、追放された同胞だからというだけで寄り集まった人々…
故国ではまったく接点がないような身分・職業・地域の人たちの寄せ集めです。
仲間のようでいて見え隠れする優越感や劣等感、意識の違いなど
おつきあいは簡単ではなさそうです。

ソ連が崩壊した後、作者一家や移住を嘆いていたコミュニティの人々が
ロシアに里帰りができていたらよいですね。

『and other stories』訳者がすごいのよ!

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W・P・キンセラ/W・キトリッジ/R・スケニック/G・ペイリー
S・ダイベック/S・ミルハウザー/D・シュウォーツ/J・F・パワーズ
J・A・フィリップス/M・モリス/D・パーカー

アメリカの作家の短編を集めた一冊ですけど、錚々たる訳者陣なのよ。
村上春樹氏、柴田元幸氏、斎藤英治氏、川本三郎氏…常々読ましていただいてます。
すみません、畑中佳樹氏は覚えが無かったのですけど『モーテル・クロニクルズ』は
持ってますので今度読んでみます。

収載されている物語には村上春樹氏によるグレイス・ペイリー2篇を筆頭に
ちょいと私ではついてゆけないものがいくつかありました。
これは完全に私の読書脳がコンテンポラリー向きじゃないせいで
作家、訳者の方々、ならびに作品がつまらないと言っているわけではございません。

読んでいて「あぁ、引き離されていく〜!」と感じました。
20世紀末の傑作を知ることのないまま一生を終えそうで怖いわ…

では、気になった物語をいくつかご紹介します。

『イン・ザ・ペニー・アーケード
        (In The Penny Arcade)/1981年 S・ミルハウザー』
12歳の誕生日、両親をゲートに残して独りでぺにー・アーケードに入りました。
カウボーイ人形はのろのろとピストルを抜き、覗き眼鏡の女性は期待はずれでした。
すっかり廃れたアーケードを進み、ロープの奥の暗闇を覗き込んだとき景色が一変します。

訳者は柴田元幸さんなのですけど、ミルハウザーは同氏の『夜の姉妹団』でも
紹介されていて、なんとなく好きでした。
少し恐ろしく非現実的なようで、青春時代になら体験できそうなピュアさと
1970年、80年代ぽいノスタルジアが、そこはかとなく漂っています。

『愛で責任が始まる(In Dreams Began Responsibilities)/1937年 D・シュワーツ』
1909年、映画館にいるようです。
そしてスクリーンには結婚前のパパとママが映っていて、デートにでかけるようです。
二人はコニーアイランドのレストランに入り、パパがママにプロポーズをしました。
撲は思わず立ち上がり「結婚しちゃいけない!」と叫んでいました。

あらら、けっこう古い作品でしたが、80年近く前の作品とは思えない新鮮さです。
二人の将来を知っている息子の心の叫び…なんか怖いですね。
結婚前の二人は誰が見ても幸せそうなものですが、いつまで続くかは人それぞれ…
あまりにベタベタしている芸能人夫婦とか見ると、離婚する時が心配(&楽しみ)になる私。
大きなお世話ですよね。

『嵐の孤児(Orphans of the Storm)/1985年 M・モリス』
休日になると血がつながっていない姉アリスと夫ジムの家を訪ねていました。
美しく完璧なアリスは15年間ジムに夢中です。
アリスとジムの夫妻、そして二人の娘たちの家庭は完璧です。
アリスの誕生日に訪ねると、アリスは山のようなジムの衣類を洗濯中でした。

はっきりとしたテーマがある話ではないのですが、文章の流れがとても好きな一編でした。
アリスが洗濯をしていたわけは、夫の衣服に香水のにおいがついていたから…
15年間熱愛していた夫の浮気を知った後のアリスの行動は…見習いたいぞ!
このまま終わってしまうわけでもなさそうな余韻も心憎いラストでございました。

多くの作品を手がけてきた訳者がお気に入りを持ち寄った一冊なのでしょうね。
好みの違いが反映されている分ブツ切り感は否めませんが
好きか嫌いかはさておき、この5人で一冊の短篇集を発刊できたというのは快挙では?

文藝春秋! ありがとう!!
欧米文学好きには素敵な贈り物でございました。

『月と六ペンス』興味が無い人の過去もまた…

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THE MOON AND SIXPENCE 
1919年 サマセット・モーム

ブログの草稿半減キャンペーン中につき、本日も読書感想文です。
今日のBGMはZE:Aでございます。

『月と六ペンス』は高校生の時になぜか仲間内で流行って読んだのですが
あまり印象に残っていなかったんですよね。
ただモデルがゴーギャンというのは覚えていました。

最近は行っていないのですが、美術展は好きです。
でも綺麗にまとまった感がある風景画とか婦人の肖像画が好きでして
この小説のモデルになっているゴーギャンは別に好きではないんですよねぇ…
それに偉人の人生にもあんまり興味がないので伝記も読まないんですよねぇ…

だからゴーギャンの伝記だったら再読することはなかったと思うのですが
あくまでもモームの小説ってことで再読する気になりました。

ゴーギャンとは違って、主人公はチャールズ・ストリックランドという英国人です。

処女作を書いている頃に知り合った株仲買人の妻エイミーは
とても気持が良い婦人で、良妻賢母、そして芸術家たちの理解者でした。
エイミーのお茶会や晩餐に訪れるうちに、夫ストリックランドに紹介されましたが
まったく凡庸な社交が苦手な40代の中流紳士でした。

しかし、その秋ストリックランドがいきなり家を出てしまいます。
エイミーの依頼でパリへ出向くと、ストリックランドは汚いホテルの一室で
薄汚れた姿で暮らしていました。
そして「絵が描きたい、ロンドンへは帰らない」と言い張ります。

5年後、パリで暮らすことになりストリックランドに再会しました。
彼は描きたいものだけを描き、生活はあいかわらず苦しそうでした。
ストリックランドにはオランダ人のストルーヴという熱烈な信奉者がついていました。

ストルーヴはどんなに冷たくあしらわれ馬鹿にされてもストリックランドを崇め
世話を焼いていて、自慢の妻ブランシュをストリックランドに寝取られた時でさえ
自分の立場より二人の行く末を気遣ったほどです。

しかしストリックランドとブランシュの関係は悲劇的に終わり
ストリックランドはいきなりマルセイユに発って行きました。

15年後に訪れたタヒチで、死後名声を得ていたストリックランドの
島での暮らしぶりと壮絶な最期を聞かされます。

と、ここまで書いてきてあることを思いつきました。

これは(本人は否定しているけど)トマス・ハーディがモデルとされている
『お菓子とビール』と構成が酷似しているのでは?

作者が語り手となって主人公の思い出を記してみよう…という出だしがあり
出会ってちょっとした付き合いがあった後、しばらくして再会、
親しい付き合いが合って再びの別れ、何年も後に事実をしることになり、
遺された妻に伝記の話が舞い込むという流れ。
そして、実は自分は妻が知らないある事実を知っているんだけど
それは言わないでおきましょう…という心配り(?)

どちらもモームらしく、短編がいくつも盛り込まれたような充実ぶりと
淡々とした中に隠されたドラマティックな展開があり、
脇役たちのパーソナリティーの瑞々しい描写がありと、おもしろく読めました。

ラストに向かって徐々にストリックランドの “ 壮絶さ ” が加速して行きます。
そんなところはさすがモーム! でございます。
モームはゴーギャンの生き様を借りて天才の狂気を描きたかったのかもしれませんね。

でも、いかんいかんと思いつつ、どうしてもモデルがちらつく…
ハーディはなんだかんだで好きで読んでるから、主人公に多少の同情を持てましたが
ゴーギャンの絵には興味ないのでね… 最後までGoing my wayな主人公が好きになれず
なんだかゴーギャン本人まで嫌いになりそうよ。
(すみません… 本当のゴーギャンがどうだったのかはまったく知りません)

先入観から入った私の読み方が悪かったのね…
名著の誉れ高い一冊ですから、一読の価値はあると思います。

『碾臼』じれったくも凛々しい物語

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THE MILLSTONE 
1965年 マーガレット・ドラブル

この本は自由が丘にある古本屋さんで買いました。
その古本屋さんには百円コーナーがあって、とんでもない掘り出し物があるの。

百円だったので手を出してみた一冊で、特に期待はしていませんでした。
出だしが若者都会派小説みたいに思えたので「あちゃ〜」と後悔しつつ読み始めたのですが
読んでいたらだんだん面白くなってきて、すぐに読み終えてしまいました。

アフリカに赴任中の両親が残していってくれた高級住宅街のフラットで暮らしている
ロザマンドは、ある日妊娠したことに気がつきました。

ロザマンドは作家のジョーと計理士のロージャーと遊び歩いていましたが
思わせぶりに接するだけで、深い関係ではありませんでした。
相手はBBCラジオのアナウンサーのジョージでした。

ここで注目!
ロザマンドは初めてのセックスで子を宿したのね。
しかも、セックスの後の彼の態度で自分は嫌われたと思ってしまい
次の約束もできず、会いにも行けなくなります。
月日は流れ妊娠…

詩の研究家のロザマンドは、仕事は安定していないし、論文を書く時間が必要です。
子供が特に好きなわけでもありません。
というわけで、なんの躊躇もせず(堕ろすために)産婦人科を訪ねて行くのですが
そこで「産んで当たり前」という態度で接する医者に会い
疲れきった様子の待合室の妊婦たちを目にして、いきなり生む決心をします。

友人たち、個人教授をしている生徒たちには相手がわかるまで黙っていました。
両親や兄には言いませんでした。
子供の父親であるジョージにも伝えませんでした。

ロザマンドの妊娠を知った人たちの反応は様々でした。
きっと助けてくれると信じていた姉ベアトリスの猛反対にはショックを受けました。

いろいろあるんだけど端折ってくね。
ロザマンドはオクテイヴィアという娘を生み、深い愛を注ぐようになります。

「子供がこんなに愛おしい存在だったなんて!」と感動に浸るのも束の間
オクテイヴィアが重い病であることがわかり、難しい手術をすることになります。

全編通してロザマンドは自分の言いたいことを飲み込んでしまう
“ 忍耐の人 ” という印象なのですが、入院した子供に会うために
看護婦長と戦う時には自分を爆発させます。
我が子を思う母親の強さとはこういうものなのかと思わされました。

ロザマンドのジョージへの愛は変わらないのですが
相手には何も告げることなく娘と二人の生活を続けます。
二人は近くにいるにもかかわらず再会すること無く時が過ぎて行きますが
ある夜とうとう再会します。
しばらく会話を交わした後、ロザマンドはジョージを自宅に誘いました。

この物語のラストへの印象は、読む人の結婚観とか結婚経験で二つにわかれそう…
私としては “ 一般的な ” ハッピーエンドに終わってほしかったのですが
作者の意図は違っていたようです。

読んでいる最中、平凡な私は、早く相手に打ち明けて責任をとらせればいいじゃんよ〜!
あるいは、友人の誰かに打ち明けたことから相手の耳に入り…なんて韓流的流れを期待しつつ
ちょっとイライラしながら読んでいました。

でも読後は、何も語らず、全てを自分で決めて、自分一人で引き受けようとする女性の姿に
羨ましさを覚えました。
“ 凛としている ” というのは、こういうことを言うんじゃないかしら?
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