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Channel: まりっぺのお気楽読書
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スペイン王カルロス4世王女 マリア・ルイサ

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反ナポレオンの急先鋒
カルロス4世王女 マリア・ルイサ・デ・ボルボン
エルトリア王ルドヴィーコ1世妃

1782〜1824/在位 1801〜1803

マリア・ルイサは、カルロス4世とマリア・ルイサ・デ・パルマの四女です。

お姉さんのマリア・アマリアのところでは(結果的に)姉の結婚相手を奪ったところばかり
クローズアップしてしまいましたが、どんな女性だったんでしょうね?
かなりエピソードがあるので、はしょっていきますよ。

ルドヴィーコと出会った頃のマリア・ルイサは、濃い色の巻き毛で、茶色の瞳と
ギリシャ風の鼻を持つ、とりたてて美しくはない少女でした。
でも表情が豊かでイキイキしていたそうで、陰気な姉よりは、そりゃあね…

マリア・ルイサは、若い頃から「スペインを狙ってるね!」と
ナポレオンの動きに注目していました。

結婚から6年後の1801年、ナポレオンは、まずイタリアを征服。
ブルボン家からパルマを取り上げると、かわりにトスカーナにエルトリアを建国し
ルドヴィーコを王にします。
懐柔策ですよね? マリア・ルイサとしてはどんな気持ちだったでしょう?

ところが、ルドヴィーコはもともと胸が弱く、子供の頃に頭を打った後遺症もあって
年をおうごとに症状が重くなり、即位から2年後に30歳で亡くなりました。
     
王位を継いだ息子カルロ・ルドヴィーコの摂政に就いたマリア・ルイサは
自分の収入から政府をサポートしようとしますが、ナポレオンは
エルトリアに力を持たれちゃっても困るんだよね〜、と財政を縮小しました。

その上、1807年には、マリア・ルイサとカルロをエルトリアから退去させ
自分の領地に併合してしまいました。

マリア・ルイサは、ナポレをンに面会し、追放先をスペインにしてほしいと要求しました。
悔しかったでしょうねぇ… 自分の夫と息子をいいようにあっちやったりこっちやったりされて
その上お願いごとまでしなくちゃならないなんて…

しかし、スペインも安泰ではありませんでした。
マリア・ルイサがスペインに到着した時、スペインはアランフェスの暴動で混乱に陥っていて
父王カルロス4世は退位し、マリア・ルイサの弟フェルナンド7世が即位しました。

ナポレオンは、カルロス4世とフェルナンド7世を、「仲裁したげる!」と
フランスのバイヨンヌに招きます、が、結局、弟ジョセフ(ジョゼ)を
王としてスペインに送り込みました。

ナポレオンはその後、スペインに残っていた王一家をフランスに招き
マリア・ルイサは両親に再会しました。
またまた、悔しかったでしょうねぇ… 2回も国を奪われるとは…

マリア・ルイサは、スペイン王室で唯一、面と向かってナポレオンに歯向かった人物でした。
フランスからの逃亡も試みましたがバレてしまい、息子とも引き離されて
修道院に入れられてしまいました。

1814年、待ちに待ったナポレオンの失脚により、自由になったマリア・ルイサは
息子のために、パルマの領地奪還にかかりました。
けれども、ウィーン会議は認めず、代わりにトスカーナのルッカ公領を与えました。
これは、マリア・ルイサがもと(エルトリア)王妃だったことが大きく物を言ったみたい。
そうでなかったら、もっと小さい伯領になってたか、何も与えられなかったかも…

マリア・ルイサは、「なにがルッカだよぉ!」とふてくされていましたが
3年後の1817年にやっと(しぶしぶ)政府を立ち上げました。
でもルッカのことは無視し続け、ローマで暮らしていました。

それでも晩年は、夏はルッカ、冬はローマと行き来してたみたいです。
1823年にローマで体調を崩し、癌で亡くなりました。

夫のルドヴィーコ1世が亡くなった時、マリア・ルイサは21歳で、まだまだ再婚できたのに
息子の摂政として奮闘し、ナポレオンに対抗し、ウィーン会議にも働きかけ…と
政治に明け暮れた一生でしたね。
なかなか気骨がある女性だったとお見受けします。

このパワーでこられたら、(お姉さんの)マリア・アマリアは
とても太刀打ちできなかったでしょうね。

              
             たぶん未亡人になったばかりの頃と思われます
                     決然とした表情が印象的ですね

(参考文献 藤沢道郎氏『物語イタリアの歴史』 Wikipedia英語版)

イタリアの歴史を、有名な人物を登場させ読みやすく
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー


見ていただけました? FNS歌謡祭! 短い出番だったけどステキだったなぁ… お衣装新調したのかしら?
“ SHINee 真ん中の人 ” で検索急上昇っていうのがウケる…  ダンスがキレッキレのマンネ(末っ子)テミンも素敵ですが
笑顔と声がやさしすぎて癒されまくるリーダー・オニュ、ソフトからパワフルまでなんでも歌がうまいジョンヒョン、
熱く燃えてるペンサ神・ラップのミノ、一番日本語が上手なお肌のキレイな万能キー、5人みんなをよろしくぅ


    

『シェル・コレクター』飲み込まれ、溺れてしまいそう…

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THE SHELL COLLECTOR 
2001年 アンソニー・ドーア

何気なく買った一冊なのですが、後からハタと! アンソニー・ドーアって
『メモリー・ウォール』を読んで、すごーく苦手だったひとじゃんか!! と思いあたり
グッタリして放置してたのね… そして、読んでみた。

うぅぅぅ… 目からウロコ的に、コペルニクス的に、すごくおもしろかった!
(当時)若手とは思えないよぉ、これ。
人生経験を積みまくったじいさんを想像してしまうような書きっぷりです。

釣りが好きみたいで、けっこう詳しく延々と釣り・河・海の描写が続きます。
興味のない私は、ちょっぴり中だるみしましたが、そんなの問題ない!
そういうシーンも大事だってことに、どんどん気づかされていきました。

8篇中7篇紹介したいんですけど、そうもいかないので…

『貝を集める人(The Shell Collector)』
盲目の老貝類学者がわびしく暮らすケニアの小さな島を、二人のアメリカ人記者が訪れる。
はじまりはナンシーという女性のマラリアが毒貝で完治し、続いて近隣の島にある
モスクの指導者の娘シーマのマラリアも毒貝で完治したことだった。

『長いあいだ、これはグリセルダの物語だった
         (For Long Time This Was Griselda's Story)』
高校のバレー部員で、背が高く、早熟で、悪いウワサが絶えないグリセルダは
妹ローズマリーと祭りを見に行き、見世物小屋の金物食いの男に魅せられ駆け落ちした。
女手一つで娘たちを育ててきた母親は精神を崩していき、ローズマリーは高校をやめて
母親が働いていた工場で働き始めた。

『世話係(The Caretaker)』
35年間、リベリアのモンロビアで母親と暮らしてきたジョゼフ・サリービー。
内戦が始まって数年後、市場へ野菜を売りに行った母親が行方不明になった。
母親を捜すため家を出たジョゼフは、そのまま難民になってアメリカへ渡った。
そして、オレゴン州で、冬の間独りで農園と菜園を管理する仕事を見つけた。

おもしろさがまったく伝わらなくてすみません…
あらすじではなく、物語の “ さわり ” だとご理解下さい。

三つとも、ある日いきなり環境が変わってしまった人の、戸惑いとその後を描いた話です。
展開が目まぐるしいわりに、文章は落ち着いていて、どちらかというと静を感じさせます。
でもどの話も、短篇でありながら圧倒的な力で迫ってきて、引き込まれていきました。

静かな海を見ていたら、波がだんだん大きくなって飲み込まれてしまうような気分でした。
特に最後の『ムコンド(Mkond)』という物語はすごかった!

タンザニアに派遣されたワード・ビーチという博物館の学芸員と、彼に見初められ
結婚してアメリカに渡ったナイーマという女性、二人のストーリーなのですが
うまく書けない… ただ、もう、すごい吸引力! の物語でした。

私はすぐ、この作家は好き、この作家は苦手、と決めてかかるクセがあるんだけど
本当に一冊読んだだけで決めつけちゃいけないなぁ… と猛省させられた一冊です。
もう一回『メモリー・ウォール』を読んでみよっかな…

『メモリー・ウォール』が苦手な方もぜひ!
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー


BEAST 新事務所設立おめでとうございます! BEAUTY の皆さん、本当によかったですね!
アルバムの発売を楽しみにしていま〜す

   

スペイン王カルロス4世王女 マリア・イサベル

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天然キャラで人気者
カルロス4世王女 マリア・イサベル・デ・ボルボン
両シチリア王フランチェスコ1世妃/バルツォ伯フランチェスコ夫人

1789〜1848/在位 1825〜1830

マリア・イサベルは、カルロス4世とマリア・ルイサ・デ・パルマの五女です、が
実はマニュエル・ゴドイの娘らしい… と言われています。

13歳の時に、12歳年上のパルマ公子フランチェスコと結婚しました。
フランチェスコは再婚で、最初の妃はマリア・クレメンティーナです。
彼女のお母さまは、カルロス3世王女マリア・ルイサでした。
     
さ! エピソードが多いのではしょっていきますよ!!

結婚から4年後にナポレオンのイタリア半島侵攻があって、王一家はパレルモでの
逃亡暮らしを余儀なくされますが、お姉様のマリア・ルイサと違って
政治に興味も野望もないマリア・イサベルは、フランチェスコと幸せに暮らしてました。
お子様も13人とこだくさんです。

マリア・イサベルは、カルロス4世の、地味目な顔立ち四姉妹の中では
比較的整った顔立ちだったそうですが、幼く見えるせいで
結婚当時パルマではあまり良い印象を持たれませんでした。
でも、性格が良くて従順で、姑のマリア・カロリーナとは正反対、ってことで
徐々に人気を得ていきます。

相次ぐ出産のせいで、マリア・イサベルは徐々に太っちゃったらしい…
ちょっとおマヌケで、お人好しで子供好き… 下町の近所のおばさんみたいですね。
劇場と舞踏会と祝典が大好き!という無邪気な人で、結果的に夫より人気者に。

1925年に、フランチェスコが両シチリア王になります。
マリア・イサベルは王妃になっても、子育てに大忙しで政治どころじゃなく
ただ王の隣にいるだけで、なんら政治的な役割は果たしませんでしたが
優しい物腰と寛容な性格で、相変わらず人々から好かれていました。

1830年、王女マリア・クリスティーナと、スペイン王フェルナンド7世の結婚で
里帰りをしましたが、パルマに戻ってからしばらくしてフランチェスコ1世が亡くなります。

さ、皆さーん! ここからがマリア・イサベルならではのエピソードですよ!!

マリア・イサベルは、息子のフェルディナンド2世が即位してからも
母后としてシチリア宮廷に残りましたが、人気者のままでした。
息子も母親に敬意を払い、大切にしてくれました。

しかし、未亡人になった時、マリア・イサベルは41歳。
若くてハンサムな高官に弱くて、フラフラ恋人を作っちゃったらしいのね。
既婚のオーストリア士官と激しい恋に落ち、2年後に士官の妻が死亡すると
結婚しようとしたりしますが、これは相手の強欲によって叶いませんでした。

でもやっぱり独りは寂しい… というわけで、マリア・イサベルはフェルディナンド2世に
「結婚させて!」と願い出ました。
母親の行いに頭を悩ませていたフェルディナンド2世は、この願い出を承諾し
結婚にふさわしそうな貴族のリストを作成して、母親に手渡しました。

マリア・イサベルは、リストからバルゴ伯フランチェスコを選び、1839年に再婚しました。
この旦那さん、若かったらしいよ。
いくら王家の仲間入りができるといっても、選ばれて嬉しかったんだろうか?
当時なら、家柄アップができて、家族も大喜び!でよかったのかもね。

けっこう顰蹙を買いそうな再婚だったのですが、マリア・イサベルは、親しみやすさと
貧しい人たちへの優しさから、1848年に亡くなるまで、人気者のままだったそうです。
キャラクターって大事ですよね!!

どの国も王制自体がユラユラしてて、国の存続も危ういと右往左往してる時期に
けっこう楽しく人生を送れた女性なんじゃないでしょうか?
政治的野心があったら、きっと気が休まらなかったのではないかと思いますが
無欲だったことが彼女の幸せな人生を招いたのかもしれません。

              
             お嫁入りのころでしょうか? かわいいですね

お子様のうち、王女ルチアは、マリア・イザベルの弟カディス公フランシスコと結婚
マリア・クリスティーナは(上記のように)兄のフェルナンド7世妃に
マリア・アントニアはトスカーナ大公レオポルト2世妃になっています。
娘さんたちはけっこう激動の人生を送ってますね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことアイドルコーナー
わたしはSMAPファンじゃないんだけど、このあいだのSMAP×SMAP見てたら泣けてきちゃった
タモリと楽しそうに会話してても、椎名林檎と歌ってても、本当にラストなのか… と思うと涙が出ちゃって…
私でさえそうなのだから、ファンの皆さんは本当に寂しく哀しいですよね?
31日に奇跡がおきないかと、微力ながら祈っております。


   

スペイン王フェルナンド7世王女 ルイサ・フェルナンダ

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王座の行方を背負わされた王女
フェルナンド7世王女 ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボン
モンパンシェ公アントワーヌ・オルレアン妃

1832〜1897

フェルナンド7世は4回結婚してます。
一人目の妃マリア・アントニアとの間にはお子様がはいません。
二人目の妃マリア・イサベルは王女を二人産みましたが
長女は5ヶ月で亡くなり、次女は死産でした。
三人目の妃マリア・ヨーゼファにもお子様はできませんでした。
四人目の妃マリア・クリスティネとの間に生まれた三女がイサベル2世です。

ルイサ・フェルディナンダは四女でした。

ルイサの姉イサベルは、ずっと従兄のカディス公フランシスコと婚約していました。
フランシスコは、ホモセクシャルで、性的に不能と言われていて
フランス王ルイ・フィリプ1世は、イサベルには子供ができないはず! と考え
ゆくゆくはスペイン王座をわが家に… と画策します。

手っ取り早いのは結婚ですね!
1846年、14歳のルイサは、22歳のルイ・フィリプ1世王子アントワーヌと結婚します。
姉のイサベル&カディス公とW婚でした。

アントワーヌはスペイン継承権を手に入れ、一度フランスへ帰国しますが
その後セビリアに入り、王位継承に備えました。
狙いまくってる家系図をどうぞ!!
    
しかし! なんということでしょう!!
イサベル2世は予想に反して、どんどん嫡子を産むっていうじゃない!!
アントワーヌは待ちきれなかったのか、イサベル2世に対して次々謀略を企てます。
ルイサが加担していたかどうかは不明ですが、姉妹の仲はかなり張りつめていたようです。

1868年、退位させられた姉イサベル2世ともども、母がいるフランスに亡命します。
母親と再会した窮地の姉妹、少しは仲直りできたのかしらね?

1870年、ルイサは夫アントワーヌが亡くなるとセビリアに戻り余生を送りました。
ちなみに、姉イサベル2世はフランスで余生を過ごしています。

9人のお子様のうち、五女マリア・メルセデスはイサベル2世王子アルフォンソ12世と
三男ガリエラ公アントニオはイサベル2世王女エウレリアと結婚しました。
エウレリアについてはまた今度…

ルイサのパーソナリティがまったくわかりません。
ミエミエの政略結婚ですが、結婚後は幸せだったのでしょうか?
義父や夫とともに王座を狙っていたのか、板挟みで苦しんでいたのか知りたいところですね。

              
               少女時代でしょうか?かわいいですね

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことごあいさつコーナー
ゆるゆるなブログに、今年も1年お付き合いいただきありがとうございました
今年のアップはこれで最後になります
みなさま、良いお年を〜

   

スペイン女王イサベル2世王女 イサベル

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悲劇のハネムーンとその後
イサベル2世王女 イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン
ジルジェンティ伯ガエターノ妃

1851〜1931

今回、ちょいと長いです。

イサベルはイサベル2世の長女です。
長男のフェルナンドは生まれてすぐ亡くなりました。

父親のカディス公は、子供たちに冷たく、よそよそしかったようです。
(ウワサどおりホモセクシャルで不能だったとしたら、自分の子じゃないんだもんね)
母親のイサベル2世も目まぐるしい統治と私生活に追われて
子供たちにかまわないことがよくありました。

イサベル2世は、長女イサベルに目をかけていたみたいで、多くの教育を施されました。
特に語学には力が入っていたみたいです。 どこにお嫁にいくかわからないものね。
イサベル自身は音楽と馬術が好きでした。

政治的理由から、両親の従弟にあたるガエターノの結婚が持ち上がります。
ガエターノがスペインに到着すると、急ピッチで話が進められ数週間後に結婚しました。
イサベルは17歳、ガエターノは22歳でした。
       
ガエターノは、背が高く(お写真によるとハンサムで)心優しい人でした。
一方、イサベルは背が低く、従順でしたが保守的で頑固な性格でした。
似合いそう…っちゃあ似合いそうな二人ですね。

しかし、王家を守っていかなきゃいけない激動の時期に、なんで彼を選んだのかと思うんだが
ガエターノはからだが弱く、あまり知的ではなく、心も病んでいました。
家柄だけでよかったんですかね?
              
                お写真があるのでのせときます

結婚後、二人は、ローマやウィーン、フランスなどを巡る旅に出ます。
一応ハネムーンなんだけど、ガエターノの療養先を探すのがねらいでした。
なかなか見つからなかったんでしょうか? 旅は2年に及びます。

二人はスイスに落ち着くように思えましたが、ガエターノはそこで頭を射って自殺…
結婚生活は3年で終わりを告げました。

一生懸命尽した挙げ句に自ら命を絶たれてしまうなんて
女性にとっては大きな心の傷になりそうですね。
20歳の若い未亡人イサベルは喪に服すと、イサベル2世が亡命しているパリに戻り
弟や妹に勉強を教えたり、独りで暮らしている父親を訪ねたりして静かに暮らしました。

心に傷を負ったままイサベルのストーリーは終わってしまうのか… と思っていたら
1875年、イサベルの人生の第二幕が始まります。

弟のアルフォンソ12世が、スペイン共和国王として呼び戻されました。
未婚だったアルフォンソ12世は、ファーストレディとしてイサベルを選び
1ヶ月後にイサベルもスペインに戻ることになりました。
頼もしいお姉ちゃんに側にいてほしかったのかしら?

スペインでは、イサベルを再婚させようとして、バイエルン家か
ハプスブルク=ロートリンゲン家のどちらか… と縁談を進めていました。
イサベルが嫌がったのか二つの縁談は失敗し、イサベルは、妹の教育や
弟の妃メルセデスの世話にうちこみました。

メルセデスが亡くなった後、マリア・クリスティネをプッシュしたのもイサベルでした。
アルフォンソ12世の死後は、摂政になったマリア・クリスティネをサポートして
甥や姪から “ 第二のお母さま ” と慕われました。

イサベルは、アルフォンソ12世時代、甥のアルフォンソ13世時代で
宮廷でもっとも一目置かれる存在で、アルフォンソ13世失脚後は
共和国から国にとどまってほしいと懇願されましたが、これを拒否します。

イサベルは、宝石のほとんどを甥のアルフォンソ13世に譲り渡し亡命します。
そして、パリ到着後数日で亡くなりました。

意志が固い人だったみたいですね。
3年間だけ連れ添った夫を失った後は、まるで家族と国のためだけに生きてたみたい。
もしかしたら、もう再婚したくないほど辛い3年間だったのかもしれないけど
ロマンティックじゃないので、亡き夫への愛ゆえに… ということにしちゃいましょう。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことごあいさつコーナー
遅蒔きながら、あけましておめでとうございます
今年の年明けは、やっと当たった東急ジルベスターコンサートのダッタン人の踊りで華々しくむかえました!うふふ
良い年になるといいなぁ… 良い年にしたいなぁ…

   

『侍女の物語』進歩? 後退? 女性の未来は?

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THE HANDMAID'S TALE 
1985年 マーガレット・アトウッド

なにジャンルの小説なんでしょうね?
政治的なものなのか、フェミニズムなのか、娯楽小説… ってことはないか?
『1984年』っぽい感じもするし、『愛の嵐』的な雰囲気もありそうだし…
ともあれ、いろいろな側面から読めるおもしろい小説でした。

あらすじは長〜くなりそうなので、やめときます。
どうしてこんなことになったか… っていうのだけ書いてみますね。

舞台は旧アメリカ合衆国です。
大統領が暗殺されたり、町に軍服の人間がやたら増えたりと不穏な空気が漂い始めていた
ある日突然、女性は銀行口座を凍結されて仕事も解雇されます。
つまり、完全に男性の所有物になることを強いられたわけ。
どうやら原因は、出産率の低下と人口の激減にあったようです。

さらに、新たに “ ギレアデ ” となった国家の主導者はキリスト教を盾に、というか
新解釈で、人々を厳しい戒律と制度のもとに支配し始めます。

文字は読んでも書いてもダメで、雑誌・新聞禁止はおろか標識・店の看板も絵のみ。
男性と女性が勝手に会ったり結婚したり、それどころか目を合わせてもダメ
軍での功績をたたえられた人とか特権階級の男性たちのみが
男性から隔離されて育った白い服の “ 花嫁 ” をあてがわれることになります。

では、結婚していた人たちは?
指導部や特権階級の人たちはそのまま結婚生活を送ります。
妻が着るのはブルーの服で、未亡人になると黒い服を着ます。

貧しい人たちの妻は “ 便利妻 ” と呼ばれ、赤青緑のストライプの服を着ています。

独身女性で、年配だけど働ける者は、緑の服の “ 女中 ” になります。
働けないと “ 不完全女性 ” となってコロニーに送られます。

さて、“ 侍女 ” なんですけど、彼女たちは若くて子供が生めそうな女性、あるいは
生んだことがある女性です。
主人公の “ わたし ” 通称オブフレッドは、夫と幼い娘とカナダに逃亡しようとして捕まり
家族と引き離され、赤いセンターに送られて教育を受け、侍女になりました。

侍女が何するか? っていうと(もうわかったと思いますが)子供を産むわけさ。
それも相手の軍上層部とか特権階級の人の家に部屋を与えられ、女中に世話をしてもらい
食事には良いものを食べさせてもらい… いい身分に思えますね。

けれど、好きなものを食べたり好きな所へ出かける自由は無く
父親になる相手とは二人きりで会ってはならず、決められた日に、服は脱がず
(年配の)妻の上に仰向けになり…
まさに “ 種を入れさせ、腹の中で育てる ” というのが仕事なのね。
子供を生む時は、やはり妻の前に座って産み、子供はすぐに妻に渡されるという仕組み。

バーカーバーカーしぃー! でも規則でちゃんと決められてるわけさ。

この話しが恐ろしいのは、ほんの数年前まで、この国は “ あの ” アメリカだった…
というところではないでしょうか?
だから十代ぐらいの子まで、自由で男女平等なアメリカを覚えてるし
好きな雑誌を読み、好きなだけ情報を手に入れていたことを忘れていないわけですよね。

でも、ほんの数年でプロパガンダが功を成し、密告や公開処刑が行われる状況で
みんなすっかり(表向きは)従順で禁欲的で清貧になってしまってるのね。
こわいよぉぉぉ… 人間てけっこう弱い生き物なのね。

こんな世の中がいいわけない! と思ってる人はいっっっっぱいいるわけで
この物語、どうなっていくんでしょう? と思いながらワクワク読んでいましたが
残りのページ数が少なくなっていくとともに、読めない展開に不安と焦りが募りました。

で、ラストにいきついても、本当のところどうなったのかわかんないんだけど
勝手に想像するしかないので、わたしはハッピーな方に解釈します。

女性をこんなに差別的に扱うとは! と怒り心頭の方も多いかもしれませんね。
フィクションですってば! 作り話ですから、ね!
ただ、ぜったいあり得ない話って思えないのが不安だわ…
まあ、私は侍女になることはないのだが…

侍女といえば、愛妾コーナーで出てくる愛妾が、けっこう王妃とか王女の侍女をしてて
王様の愛人になってるのよね。
この小説の侍女は、まったくもって宮廷の侍女とは仕事が異なるわけですが
近からずとも遠からず… って感じでしょうか?

さらに付け加えとくと、世界から見てもおかしな状態の国に、日本人観光客が訪れ
侍女に「写真撮らせてくれる?」とか聞いちゃうあたり…
当時よっぽどイメージ悪かったのね〜

こんな世の中が来るのか来ないのか…
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


ひとこと科学の進歩っておそろしいコーナー
うかうかとピースサインができないなんて… スマホで写真がきれいに撮れるからって喜んでばかりもいられないっすね
だからって裏ピースも国によってはタブーみたいだし… これからは小さい♥でいくしかないね!

   

『猫語の教科書』うちの子は違う! と誰もが思うはず

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THE SILENT MIAOW 
1964年 ポール・ギャリコ

この本はかなり前から持ってて、『ジェニィ』を読んだ時に、読まねば!と思ったのに
忘れてました… で、読んでみたけどさぁ…

ギャリコ氏は24匹も猫を飼っていた猫好きということで、けっして悪意があるわけでは
ないんだろうけど、猫嫌いが「だからキライなんだよ!」って言いそうな気がする。

ある編集者の家の玄関に置かれていた、意味不明な原稿。
編集者の友人で暗号解読が得意なライターである書き手が訳したところ
どうやら猫の手によってタイプされたもののようです。

内容は、どうやって人間の家に入り込み、のっとり、人間を教育するかってことを
若い猫に説いたものでした。

これがさぁ…
猫のかわいいしぐさがオンパレードで書かれてるんだけど、なにもかもに意味というか
作戦・目論みがあるのか…と思うと哀しくなっちゃうよぉ

たとえば、原題の『THE SILENT MIAOW』ですけど、これは、声を出さずに
“ ニャーオ ” と鳴く仕草で、著者(雌猫)は、これを、おねだりする時の
最大の武器・最終兵器と位置づけてます。

ベッドの上で寝たい時、座り心地の良い椅子を自分のものにしたい時、
高級そうなおかずをわけてもらいたい時、旅行に連れてってほしい時、
誰に、どんな手順で、どんな仕草でうったえれば成功するかを詳しく解説!
まずは一家の長である夫(父親)を落とせ! ということらしいです。

ミステリアス・気まぐれ・マイペースという猫らしさを維持しつつ、時と場合に合わせて
甘えたり服従したりして、捨て猫にならないように生きる術もレクチャーしています。
まさに教科書なんでしょうね?

でもイヤだーーー!
猫は何もしなくても可愛いんだもん!! 自分勝手でいいんだもん!!!
飼い主を “ 教育 ” してるつもりでやられちゃたまりませんよぉ…

たぶん、自分ちの猫の可愛さに「やられちゃったなぁ…」と、嬉しさ半分、反省半分の
ギャリコ氏が、いたずら心で書いたんだと思うんですけど
したたかさとかズル賢さが目立っちゃってる気がします。

奇しくも、さきほど高橋 克実さまが出ている午後のニュースショーを見ていたら
“ 夫と妻に叱られた時の表情があまりにも違う猫 ” のことやってまして
専門家によると、雌猫は基本的にどんな雄にも(人間でも犬でも)可愛がられたいらしい…
克実さまに「このメス猫!っていうのは、あながち間違いじゃないんですね?」とか
言われちゃってんじゃないよ〜!!

でも、それが本当だとしても、人間を癒してあげようと思う気持ちがある、
飼い主に愛を感じている… と著者(雌猫)が書いてくれてるだけで嬉しいです、わたしは!

それでもネコが好き!というみなさま
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
 

ひとことドラマコーナー
『下克上受験』に要潤さまと小林薫さまが出る!ってことで見ようと思ってたのに見そこねた〜! 
要潤さまはエリートの御曹司役ですってね!!  どんな役だろう? 
韓国ドラマだと主役のツンデレか恋のライバル(ほぼヒール)って役どころなんだが…

スペイン女王イサベル2世王女 マリア・デ・ラ・パズ

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相思相愛の夫を得た王女
イサベル2世王女 マリア・デ・ラ・パズ・デ・ボルボン
バイエルン王子ルートヴィヒ・フェルディナント妃

1862〜1946

前回よりさらに長いです… 最後まで読んでいただけるとよいのですが…

イサベル2世には三男六女のお子様がいましたが
長男、次女、三女、三男は幼くして亡くなっています。
四女マリア・ピラールは18歳で急死しました。

マリア・パズは五女です、が、父親はカディス公ではなく、イサベル2世の秘書をしていた
政治家で外交官のミゲール・デ・カスティラだと言われています。
カスティラは老後、マリアの屋敷の一部を与えられ、亡くなるまでの26年間を過ごしました。
やはり他人ではなさそうですね。

マリア・パズは、イサベル2世の娘たちの中で一番母親似で、地味な顔立ちでした。
強い個性は無く、気さくで親切、ロマンティックで芸術的。
スペインの歴史と詩を書くのが大好きで、絵も上手でした。
またオペラや舞台の鑑賞が好きで、自らハープの演奏もしていました。

18歳の時、従兄のバイエルン王子ルートヴィヒとの縁談がもちあがります。
        
ルートヴィヒの母親は、イサベル2世の従姉妹にあたるアマーリエで
息子とマリア・パズの結婚を望んでいました。
アマーリエは人柄を重視したそうですが、ルートヴィヒは、マリア・パズの
ポートレイトを見て決めたそうです。 どれかしら? これかしら?
               
さぁ! ここからはルートヴィヒのプロポーズ大作戦をお送りします。

マリア・パズの兄アルフォンソ12世は、ミュンヘンでしばらくルートヴィヒと
学友だった時期があり、お友だちってことで彼を招待します。
マリア・パズは、ルートヴィヒがやって来た日のことを日記には記していますが
あまり魅力は感じなかったようで、結婚はイヤだなぁ…と思ったようです。

マリア・パズはルートヴィヒのプロポーズを断ります。
しかし、ルートヴィヒはあきらめるもんか! 受け入れてくれるまで待ちますとも!!

2年後、マリア・パズはまだ未婚でした。
1833年、ルートヴィヒは再びスペインを訪れ、二人で庭園を散歩中プロポーズ。
マリア・パズも今回は結婚をOKしました。

一度はフッた相手ですが、マリア・パズにとって、この結婚は大正解だったと言えましょう。

二人は結婚後、ミュンヘン郊外のニンフェンブルクに落ち着きました。
ルートヴィヒはものすごい音楽家で、オーケストラでヴァイオリンも弾いていました。
ミュンヘン大で薬学を学んでいました。
軍隊ではハイランクでしたが、政治的策謀は嫌いで、宮廷生活は避けていました。
マリア・パズも芸術家気質だし、演奏もするし、すごく気が合いそうね。

夫婦はニンフェンブルク宮殿での静かな暮らしを愛していました。
スペインから芸術家を呼び寄せて、彼らのパトロンもしていました。
長女ピラールは画家になっているのですが、両親の趣味の良さと
多くの芸術家に囲まれた暮らしが影響していたかもしれませんね。

また、多くの時間をチャリティーに費やし、貧しい子供たちの保護施設を拡大
1913年にはミュンヘンに学校を設立しています。

実家との交流は続いていて、姉のイサベルや義姉マリア・クリステュネとの文通で
スペインの様子を聞いていました。
長男フェルディナントは、アルフォンソ12世王女マリア・テレサと結婚しました。
第一次世界大戦後、一家の富は一気に落ちぶれましたが
度々王族としてスペインに招かれ宮廷で過ごしました。
束の間、日々のやりくりの苦労が忘れられて幸せだったかもしれませんね。

しかし、追い打ちをかけるように、甥のアルフォンソ13世が廃位され
マリア・パズの権利によるスペインからの収入が途絶えます。
さらにさらに、ヒトラーの台頭で暮らしは切迫していきます。

バイエルン王家の主派と違って、ルートヴィヒが属するアルベルティン家は
ナチに対して反抗的ではなく、夫婦の息子と二人の孫もドイツ軍に従軍していました。
それでも、ナチは王家締めつけの手は緩めず、家宅捜査され、手紙類も開封されました。

1945年、やっと終戦か… と思ったら、アメリカ軍がやってきて
一家が暮らす邸宅も襲われました。
困窮中も守ってきた、母イサベル2世の形見の宝石も奪われてしましました。

終戦後は、反戦派の市民や連合国側から見れば、ヒトラーの登場を招いた貴族社会、
ナチに加担した王族ってことになって、たたかれる対象になっていたかもしれないです。

一年後、マリア・パズは階段から落ちて、数時間後に亡くなりました。
84歳でした。 夫ルートヴィヒはその3年後に亡くなりました。

“ パズ ” というのは “ 平和 ” という意味だそうです。
平和への願いが込められた名を持ち、家族との平和で静かな生活を望んでいた女性の晩年が
戦争によって、踏みにじられてしまったかと思うと哀しいですね。
             
(Wikipedia英語版)

ひとことゆるキャラコーナー
みなさまはとっくにご存知だったのでしょうけど、ニャンゴ・スター! かわいいね!!
しゃべらないで口もとに手をあてる仕草もCute〜 「おいおい」しゃべるかも…ということですが、このままでいてほしい


『人形 デュ・モーリア傑作集』嬉しい予感…

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THE DOLL AND OTHER STORIES 
ダフネ・デュ・モーリア

『いま見てはいけない』と同じような装丁ですね!
創元社はデュ・モーリアをシリーズ化してくださるのかしら? 楽しみ〜

こちらの一冊におさめられている14篇は、初期の作品だそうです。
表題の『人形』をはじめ、『東風』『飼い猫』『幸福の谷』の4篇に
後年の『鳥』『レベッカ』『レイチェル』を連想させる背筋ヒンヤリ感が漂っていますが
女ごころや恋愛トラブル、社会風刺などをテーマにした女性らしい作品が多く
コミカルともいえるストーリーもありました。
いろいろな作家の影響も見え隠れ… まだまだ作風を模索中だったのでしょうか?

ヒッチコック映画の原作者という先入観が強くて、オカルトとかミステリー方面の
作家だとばかり思っていたのですが、そうでない作品も多いかもしれないですね。
創元社さま、待っています。

ではでは、今までのデュ・モーリアのイメージと違う作品をいくつか紹介しますね。

『いざ、父なる神に(And Now to God the Father)』
上流の人々が大挙してやってくる、ロンドンの聖スウィジン教会のハンサムで人気者の
ホラウェイ牧師は、ある晩、若きクランリー卿の訪問を受けた。
彼は地方で知り合った娘を妊娠させてしまい、結婚を持ち出されて困っているという。

ものすごーーーいスノッブ牧師が、うまーく世渡り様子が描かれています。
聖職者なのにね… こういう人、いっぱいいたんだろうなぁ
この牧師さんは、別のお話しで、貧しい者の味方の副牧師と争うことになります。
さてホラウェイ牧師の未来は?

『メイジー(Mazie)』
メイジーは体調が悪かったが、その日も仕事のために街に出た。
しかし、一日中歩き回ったが相手は見つからない。
夕方、メイジーは堤防から川を見ながら、平底船に乗って漂って行く自分を想像した。

特別なことがあったようで平凡な、場末の娼婦の一日が描かれています。
シーンごとにいろいろなメイジーに出会えます。
メイジーのお話しはもう一篇あって、おバカだが憎めないタイプに思えてきます。

『そして手紙は冷たくなった(And His Letter Grew Colder)』
3年ぶりに帰国したX・Y・Zから、彼の友人の妹ミセス・Bへの手紙。
訪問のお伺いからはじまり、招待のお礼、返礼の招待… 毎日のように届く。

題名のとおりです! どんなに熱烈なアプローチを受けても信じちゃダメっすね!
内容はみえみえでしたが、文面にありありと男性の気持ちが見えて面白く読めました。

『笠貝(The Limpet)』
他人のことばかりを気づかうあまりに、不幸になってしまったと嘆く女性の独白。
まずは両親、スターのヴァーノン・マイルズ、離婚した夫ケネス、政治家チチェスター卿…
皆に良かれと思って精一杯やったあげく取り残され、四十代を迎えようとしている。

そりゃあ、取り残されるでしょうね… でもすごい世渡り上手よ! この人。
戦略的だし、口も上手いんだと思うわ。 いい営業になれるんじゃないかしら?
野心満々の男性にはいいかもしれませんがおススメはしません。

いろいろなテーマがちりばめられた、若い作家の手探り感と探究心が垣間見えます。
でもさすが! やはり面白かったです。
『東風』の出だしなんか、何かが起こりそうでゾクゾクしました。

こういうデュ・モーリア作品をもっともっと読んでみたいです。
創元社さま… しつこいね

恐いのが苦手な方もこれなら安心
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


ひとこと大統領コーナー
遠い日本にいるわたしが見てても不安なんですけど…
嫌われ者でも無名よりはまし… っていうお考えなのでしょうか?

スペイン女王イサベル2世王女 エウラリア

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王を怖れさせた暴露本?
イサベル2世王女 エウラリア・デ・ボルボン
ガリエラ公アントニオ妃

1864〜1958

エウラリアは、イサベル2世の三男六女の末っ子です。
末っ子らしくのびのび育ったみたいなエピソード満載です。
教育は姉たち同様、亡命先のパリで受けました。

スペインへ帰国して9年後、22歳の時に従弟のアントニオと結婚しました。
結婚式は兄のアルフォンソ12世の崩御で数ヶ月延期されました。
     
結婚から2年後、二人目のお子様が誕生すると、エウラリアは夫と別居します。
スペインとパリの屋敷は維持していましたが、イギリスが好きだったようで
しばしばイギリスに滞在していました。

1893年、シカゴ万博を訪れ、ホワイトハウスでクリーブランドとも会っています。
アメリカに行く前にプエルトリコやキューバを訪れています。
後には、カルロス3世の子孫でありながら、Daughters of the American Revolutionの
メンバーとして認められました。

エウラリアは、作家として活動していましたが、主な作品は王室の暴露本。
1912年にペンネームで書かれ英訳もされた『The Thread Life』は
甥のアルフォンソ13世が「私が読んで許可するまで出版を見合わせてほしい」と
電報を打ったにもかかわらず、これを拒否して出版します。

家族と親戚たちとは連絡を取り合い、親交はあったようなのですが
貴族のサロンはザワついていたようです。
「これ自分かも…」と思った人もいたでしょうし、一般市民に知られたくない風習や
過去におこった貴族のおバカ丸出しエピソードなんか本にされちゃあね…
実際は、王女である彼女の教育や自立、階級や信教について書いてあったみたいです。

また、世界の政治情勢についても語っていて、とりわけ、
フランスとドイツには和平なんてありえない! という確信を示していました。
なぜかしら? フランク王国の取り合いに始まり、普仏戦争があり、第一次大戦があって
ずーーっと戦ってる印象があったかしらね。
たしかに第二次大戦でも敵になっちゃいましたが…

また、しばしばイタリアのムッソリーニについても言及しています。
甥のアルフォンソ13世は、イタリアのヴィットリオ・エマヌエーレ3世に倣って
ファシスト政権を樹立させ、国内の混乱を乗り切ろうとしていました。

彼女の著書には、しばしば当時のファシスト体制からの引用があったということで
ファシズム反対派ではなかったということなんでしょうかね?
甥がスペインで創った独裁体制を指示していたということかしら?

1958年に、スペインのフランス国境に近いイルンで、心臓発作で亡くなりました。

今なら、評論家やコメンテーターとして重宝しそうな女性ですね。
でも、現代においても王族にはちょいと困ったタイプかも… 正直すぎてね。

ちなみに、エウラリアの次男ルイス・フェルナンドは、麻薬がらみで王位継承権を
剥奪されたことをはじめ、けっこうワイルドな人生を送ってます。
お兄ちゃんのアルフォンソは真面目そうなんですけどね。

              
                辛口コメントをしそうな感じ?

(参考文献 ピエール・ミケル『ヨーロッパ最後の王たち』 Wikipedia英語版)

ヨーロッパ各王国の終焉を描いた一冊
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


ひとことK-POPコーナー
いよいよ SHINee WORLD 2017 ~FIVE~ が始まりましたね! ジョンヒョンの足は大丈夫だったのでしょうか?
レポではほとんど椅子に座っていたということでしたが、一番悔しい思いをしているのはジョンよね…
それでも欠席せずに日本まで来てくれて、歌声を聴かせてくれてありがとう〜! でも無理しないでちゃんと治してね
これからのツアー、楽しみにしてます!!

   

スペイン王アルフォンソ12世王女 マリア・デ・ラ・メルセデス

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父の最愛の人の名を持つ薄幸の王女
アルフォンソ12世王女 マリア・デ・ラ・メルセデス・デ・ボルボン
両シチリア王子カルロ妃

1880〜1904

ワンポイント王アマデオマリア・ビクトリアには三人のお子様がいましたが、皆王子でした。
このうちの一人がスペイン王座を継いでいたら、歴史は違っていたかもしれませんね。

アルフォンソ12世が、初恋のマリア・メルセデスを亡くした後再婚した
マリア・クリスティネが待望の妊娠をしました。
出産が近づくと、パリからイサベル2世も立ち会うためにやってきました。

そして誕生したのがメルセデスでした。
立ち会っていた王家一同がっかり… 議会もがっかり…
王子じゃないなんて… ということで、皆大きな失望を隠しませんでした。
なんなんだよぉ! 大変な思いをして産んだお母さんに失礼じゃないか!!

マリア・クリスティネはその場を穏便におさめましょう… と、王女にメルセデスという
夫の最愛の人の名をつけることを提案します。
名付けることは了承されましたが、本来なら王位継承者であるメルセデスは
帝王学を授けられず、ただの王女として教育を受けます。
母マリア・クリスティネの教育方針はたいへん厳しかったようです。
   
政治家のアントニオ・カスティロという人は、もともとマリア・クリスティネが嫌いで
その娘が女王として戴冠するなんて! 考えただけでムカつく!!ってことで
宮廷でもメルセデスのことを無視し続けました。

そうしたことが原因になっているのかどうかわかりませんが、メルセデスは恥ずかしがりで
生真面目で、人好きのしない少女に育っちゃったみたいです。

1899年、両シチリア王家の王子カルロとの婚約が発表されました。
成り行きはわからないんだけど、夫カルロはハンサムだったそうで
もしかして、どこかで会って恋に落ちましたかね?

婚約が発表されると、自由派から反対の声があがりました。
カルロにはなんの問題もなかったんだけど、お父様に問題があったようです。
カルロのお父様アルフォンソは第三次カルリスタ戦争で指揮官をしており
クエンカの強奪にも加担していたと言われていました。

また、両シチリア=ブルボン家は最も保守的なカトリックで
それも懸念材料のひとつとされました。
でも当時のスペインもかなり保守的なカトリックだと思えるんだけどね…
結局カルロは、両シチリア家の継承権を放棄してメルセデスと結婚しました。

このカルロという方は、メルセデス同様、恥ずかしがりで生真面目だったそうですよ。
静かな、というより、どーんよりした家庭になりそうな気が…

でもメルセデスは、最初からカルロに惹きつけられていて
「彼と結婚できて幸せ…」と書き記しています。

結婚後は母マリア・クリスティネの希望で、実家の近くで暮らします。
仲睦まじく幸せで、すぐに二人の子供が生まれました。

結婚から3年目、メルセデスは3人目の出産をします。
子供は死産だと思われましたが、生き延びました(しかも81歳の長生き)
しかし、メルセデスの様態は悪化し、亡くなります。

疎まれてる… と感じ続けて過ごした少女時代から、やっと幸せになって
人の目をきにせずのびのび生きられるっていうのに、24歳の若さでねぇ…
幸せな王女や王妃が、出産で亡くなるのがけっこう多いんですよね。
医学の進歩云々以前に、寝具や器具が不潔だったと言われてます。
ちょっと気をつけてれば多くの不幸がおこらずにすんだと思うと残念ですね。


             
おまけみたいですみません・・・
アルフォンソ12世王女 マリア・テレサ・デ・ボルボン
バイエルン公子フェルディナント妃

1882〜1912

メルセデスの妹マリア・テレサの生い立ちは、メルセデスとほぼ同様です。
24歳の時に従兄弟のフェルディナントと結婚しました。
フェルディナントの母は、イサベル2世王女マリア・パズです。
家系図はそちらをご覧下さい。

4人目のお子様の誕生日の8日後に亡くなっていますので、たぶん出産が原因かと…
29歳でした。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
行って来ましたよ〜 SHINee WORLD 2017 ~FIVE~ 神戸ワールド 記念ホール
ジョンヒョンは脚の調子がまだよくないとメールがきていましたが、全曲ダンスにも参加してくれて感激!
『君のせいで』のオニュ!! ス、ステキすぎました…  Keyのミュージカル仕込みのダンス、最高でした!
あのすごいセットでのミノのダンス、さすがでした  テミンのかっこよさは言うまでもないですが、MCが面白すぎます!
あぁぁ… 3月の代々木は全滅だったので、4月までなんとか乗り切らなければ…
 
ウワサのペンラ、でかい… メンバーの衣装を着てるセサミストリートのキャラたち、かわいいでしょ!

   

『くじ』恐いもの見たさで…

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THE LOTTERY OR,THE ADVENTURES OF JAMES HARRIS 
1949年 シャーリィ・ジャクソン

表題の『くじ』は『厭な物語』で読んで、かなりの衝撃を受けました。
短篇集を見つけたものの、あんな話がずら〜っと並んでいたらと思うと
なかなか手に取る勇気が出なかった… でも、出してみた…

結果から言うと、『くじ』ほどインパクト大の話はなく
もやもやするものしないもの含め、一冊穏やかに読み通すことができました。
22篇ありまして、けっこう印象に残った話が多かったです。

いくつかご紹介します。

『魔性の恋人(The Demon Lover)』
彼女は、彼が夜中に帰ってから、二人の結婚式のために迎えに来る10時まで落ち着かない。
しかし、12時になっても彼は来ない。
彼女は行ったことのない彼のアパートを訪ねて行くことにする。

ダマされてんでしょうけどね… 信じたい気持ちはわかる… わかるけどしつこい
女性が必死に男性を探しまわる姿は、人から見れば滑稽に映ってしまうんでしょうね?

『背教者(The Renegade)』
忙しい朝、家族を送り出している最中に電話が鳴り、ウォルポール夫人が出てみると
女性の声で、ウォルポール家の犬が、彼女の家の鶏を何羽も噛み殺したと言う。
夫人が買物に出ると、皆がそのことを知っていて声をかけてくれた。

この夫人は人に会って話すほどに、だんだんある考えに傾いてしまいそうで不安なのね
すーぐに広まっちゃう、小さな町でのできごと… 迂闊なことはできませんね

『人形と腹話術師(The Dummy)』
ウィルキンズ夫人とストロー夫人が、その上品で人気があるレストランで食事をしていると
派手なグリーンのドレスの女と、猿のような小男が現れた。
男は腹話術師で、ステージを降りると女と口論を始めたが、ほとんど人形にしゃべらせた。

スカッとしたね〜!! こんなばあさんになりたいわ!

あとはね、本屋さんを舞台にした『曖昧の七つの型』とか好きでした。
モヤモヤ度ナンバーワンは『ジミーからの手紙』と『大きな靴の男たち』が甲乙つけがたい。

あと、原題に出てくるジェームズ・ハリスという男性が何話かに登場しますが
この人がどんな人なのか掴みどころがなく、モヤモヤしました。

わりと普通の日常の様子から始まるんだけど、読んでいるうちに落ち着かなくなってくる…
いうパターンが多かった気がします。

そうですねぇ… のどかそうに見えて難しい近所付き合いとか
どうにも人に強く出れない、なんか言いくるめられちゃうというお人好しさんたちの行動が
読んでいて、少し居心地の悪さを感じた要因だったでしょうか?

できたら言いくるめちゃうサイドの人間になりたいが、主人公に肩入れしながら読んでると
あぁ、負けるタイプだな…わたしは… と見せつけられたような気がします。
でも、『くじ』から膨らんだ恐ろしい妄想に反して、おもしろく読めた一冊でした。

何かに不安にさせられてる…そんな一冊
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


ひとことK-POPコーナー
ヒョンスンが復帰して、BEASTが再結成ってどういうこと? 今の5人のBEASTは? 名前変えなきゃいけないの?
てっきりBEASTで活動すると思ってたのに… 予期せぬ展開にビックリしてます 

   

スペイン王アルフォンソ13世王女 ベアトリズ

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初恋がかなわなかった長女
アルフォンソ13世王女 ベアトリズ・デ・ボルボン
チヴィテッラ・チェージ領主アレッサンドロ・トルロニア夫人

1909〜2002

スペイン王女編、最終回ですよぉ…
今まで読んでいただきありがとうございました。

アルフォンソ13世と王妃ビクトリア・エウヘニアには、五男二女のお子様がいました。
ベアトリズは三人目の長女です。
       
ベアトリズと妹のマリア・クリスティナは、他の王侯子女と一緒に
普通の学校に行きたいと熱望していましたが、許してもらえず
ロイヤル・パレス内で英国風の教育とマナーを受けていました。

英語とフランス語を学び、父とはスペイン語、母とは英語で会話しました。
歴史や宗教とともにピアノ、ダンスを習い、スポーツも大切ね!ってことで
水泳・テニス・ゴルフ・乗馬も習いました。
すごい… おけいこばっかりで疲れちゃいそう…

また度々姉妹で英国を訪れ、母方の祖母ベアトリスが暮らすケンジントン・パレスに
滞在して、動物愛護や赤十字の活動に参加しました。

18歳の時に社交界にデビューしたベアトリズは、20歳の時恋に落ちました。
相手はスペイン首相リヴェラの息子ミゲルです。
若い二人は幸せ一杯で、一緒に乗馬を楽しむ姿を見られたりしていました。
ビミョウね… これは身分違いの恋なの?

どうやら身分違いらしい… リヴェラ首相は二人の恋愛に気づくと「問題外!」と
息子を海外に行かせちゃったらしい。
中世だったら、これを機に王家にくい込んじゃおう! と考える親もいたでしょうが
冷静な人だったのか、スペイン王座はおいしくなかったか…

アルフォンソ13世は、伝統にしたがいカトリックの王子たちから婿選びを開始します。
イサベル2世王女エウレアリアの孫にあたるオルレアン家の三兄弟が有力で
長男アルヴァロが候補と思われました。
しかし、この縁談は、スペインの難局の中で中断されました。

1931年、王一家は国外へ逃亡します。
王妃ヴィクトリアと子供たちは、なんと、列車でパリに向かいました。
でも、さすが王一家ね、パリではサヴォイ・ホテルに落ち着いたそうですよ。

もともと不仲だったアルフォンソ13世とヴィクトリアの別居は確実なものとなり
ヴィクトリアと姉妹二人はまずロンドン、その後ローザンヌへ向かいます。
そこで母親と過ごしていましたが、1933年に父アルフォンソ13世に同行して
ローマに向かいました。

1934年、ベアトリズはチヴィテッラ・チェージ領主アレッサンドロを紹介されました。
当時のスペインの状況では、王子たちとの結婚は難しいと考えたアルフォンソ13世は
二人の結婚を承諾しました。

1935年に行われた二人の結婚式には52人の王侯貴族が参列し
千人にのぼるスペイン人がかけつけ、当時アルフォンソ13世と最悪の関係だった
母ヴィクトリアと兄アルフォンソもやって来て、一大イベントになりました。

アルフォンソ13世が1941年に亡くなり、第二次世界大戦が始まると
イタリアで暮らしていた一家はローザンヌへ疎開し、母ヴィクトリアと仲直りしました。
戦後はイタリアに戻って余生を過ごしました。
90歳の時に、雑誌のインタビューで逃亡時代などについて語っています。

お子さんは四人です。
孫のアレッサンドロはフィアットで働いてたらしいですよ。

2002年に93歳で亡くなりました。
前王ファン・カルロス1世はアルフォンソ13世の四男ファンの孫で
ベアトリズは父方の伯母にあたります。
異国で、故郷の王政復古をどのように思いながら見ていたのでしょうね?

              
                可愛らしい王女時代の写真




              
恋をかなえた次女
マリア・クリスティナ・デ・ボルボン
マローネ伯エンリコ・ウージェニオ・マローネ=チンザノ夫人

1991〜1996

生い立ちは姉ベアトリズとほぼ同じです。
1940年、マリアは王位継承権を放棄して、ローマで貴賤結婚をします。
もう、王位継承権なんてあったってねぇ…
貴賤結婚って言ったって、王座がなきゃ自分たちだってただの人なわけだし…
でも一応、旦那様は初代マローネ伯に叙位されました。

1996年に、クリスマスを王一族で祝うためスペインに帰国した際
心臓発作で亡くなりました。 85歳でした。

王家に生まれ、革命があって父王が廃位され、逃亡したり各国を転々としたりと
激動の一生でしたが、故郷で、幼年時代を送った宮殿で、家族に囲まれ
幸せな気持ちで逝かれたと思いたいですね。

(参考文献 ピエール・ミケル『ヨーロッパ最後の王たち』 Wikipedia英語版)

六つの国の王家の終焉を描いた一冊
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ひとことK-POPコーナー
本日 SHINee FIVE 到着! とてもステキなMV Get The Treasure のメイキング見て驚いちゃったよ!! 
後ろのみなさん、CGかと思っていたらマネキンチャレンジ状態だったのね〜
ちょーアクティブなSHINeeが見事に引き立っていました!! みなさま、おつかれさまでした




   ヒフミド トライアルセット【小林製薬】

『人間狩り フィリップ・K・ディック短篇集』これは警告だ!

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SECOND VARIETY 
1953年〜1955年 フィリップ・K・ディック

地球人が住めそうな星が見つかった! というこの時期、偶然読んでました。
そして、そんなに喜んでる場合じゃない! と思いました。

P・K・ディッックは、『地図にない町』という短篇集を読んだことがあります。
『人間狩り』は『地図に〜』より、宇宙でドンパチ感がありますが
(わたしにしては)深く考えさせられた内容の話が多かったです。
特に印象に残ったお話しをあげてみます。

『ナニー(Nanny)/1955年』
完璧に仕事をこなし、子供たちを守ってくれるフィールズ家のナニー。
ある夜中、ナニーはこっそり家を抜け出し、隣家のナニーと戦った。
しかし、サーヴィス・インダストリー社のグリーン・ナニーは
隣家の新型で大きなエコ社のブルー・ナニーには勝ち目がない。

他社よりも高性能、他人よりも高品質… を追い求めていくと、最後には…
それから、ロボットにいろいろな機能を持たせるのもどうか? と思った物語でした。

『火星探査班(Survey Team)/1954年』
汚染され荒廃した地球の人類たちが移住できるかどうか、火星に探査に向かう。
しかし、火星はすでに資源が使い尽くされ、町の残骸しか残っていなかった。
残された文書から、火星人が火星を脱出したのは約60万年前だとわかった。

移住できる星を探してる場合じゃないんですよ! 地球を守らねば!!

『人間狩り(Second Variety)/1953年』
目の前でクロウたちに殺られたソ連兵が持っていた書簡を見て、話し合いの要請だと考えた
連合軍から、ヘンドリックス少佐が志願して出向くことになった。
彼が灰だらけの地上を歩いていると、テディベアを抱いた少年がたたずんでいた。

荒廃しつくした風景より、同じものがゾワゾワいる光景を想像するだけで恐ろしい…

どうして人類が移住しなきゃいけないかとか、地上が灰だらけなのかというと
放射能なんですよね、原爆や水爆、さらにはもっと威力がある武器を… と争った結果
地球は死の星になってしまったみたいです。
そんな中でも人類は、相手をもっと打ちのめせる武器を創り出し続け…

『ナニー』はちょっと視点が違いますが、結局は他人より優位に立とうとする
人間が招いた結果だということになります。

気になったお話しをもうひとつ

『展示品(Exhibit Piece)』
歴史局に務めるジョージ・ミラーは、200年前の20世紀中期の文化をこよなく愛している。
ある日、物音を耳にしたミラーは、忠実に再現された展示品の1950年代の住宅に入っていく。

江戸東京博物館の長屋とか明治村の建物で暮らしてる人がいる、って想像すると
なんだか心和みません? とジャック・フィニィ気分で読んでたら、ラストは…

この短篇集には、他にも戦争や競争、人間の驕りが高じていくと
こうなってしまうのではないかという恐ろしい話がいくつもおさめられています。
どれもグロテスクですが印象的です。

わたしは、これらの物語を、(もしそうだとしても)作家のイマジネーションが生んだ
ファンタジーだとは思いたくないです。 小説の名を借りた強烈な警告だと思う。

SFはあまり得意ではないのですが、ちょっとだけ見方が変わった気がします。

SFの読み方が変わるかもしれない… そんな一冊
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


ひとことK-POPコーナー
2PMのJun.Kがステージで負傷したと聞いてビックリしました。 大事に至らなければいいんですけど…
ステージがだんだん派手になって、高く上がるしグルグル回るし前後左右に動くし割れるし… たまにハラハラします
アーティストたちは一生懸命で、ステージギリギリのところで踊ったり走ったりしてくれるから、ホント心配
コンサートは中止だそうですが、からだのことだけ考えて、一日も早く良くなってくださいね

   ヒフミド トライアルセット【小林製薬】

イギリス王ウィリアム4世愛妾 ドロシー

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二十年間、妻としてすごした
ドロシー・ジョーダン

1761〜1816/愛妾 1791〜1811

スペイン王女編が終了して、さてどうしましょう? とオロオロしていますが
久しぶりに愛妾シリーズ、いっちゃおうかしら?

ウィリアム4世の内縁の妻だったドロシー・ジョーダンです。
なんだか、寵姫・愛妾のくくりに入れてしまうのは申し訳ない気がしますが…

ドロシー・ジョーダンの父親は舞台監督フランシス・ブランド
母親は女優グレース・フィリップスといいますが、二人は結婚していません。
ドロシーが13歳の時、ブランドが他の女優と結婚するため家を出て行きます。
一家は貧しく、グレースはドロシーを劇場に出させることにしました。

ドロシーは “ いまだかつてない ” 美脚の持ち主だということですぐに人気者に!
20歳の時に、コークの劇場主との間に子供が生まれたようで、未婚だということを
ごまかすために “ ミセス・ジョーダン ” と名乗っていたと言われています。
ちなみに、ドロシーは生涯独身でした。

俳優のジョージ・インチボルトや警察長官リチャード・フォードという男性たちと
お付き合いしてますが、ドロシーはどちらも真剣で結婚したいと思ってたのに
男性陣はそうでなかったようで、結局結婚できませんでした。

でも、ドロシーは可愛らしくウィットに富んでいる女優で
当時クラランス公だったウィリアム(後の4世)の目にとまりました。

ウィリアムとドロシーは、1791年から一緒に暮らすようになりました。
ドロシーはものすごく家庭的で、二人はケンカをしたことがなかったそうです
女優の仕事も続け、誘われればウィリアムと公の場に出かけました。
子供も10人生まれ、もう夫婦以外のなにものでもない!
      
しかし、1791年、二十年連れ添った二人は別れることになりました。

当時ジョージ4世の継承者が皆嫡子がいないという状態で
ウィリアムに王位継承がまわってくる気配… ってことで
お妃選びをしなければならなくなったのです。 もうドロシーでいいじゃんね!

ウィリアムは7年後にアデレイド・オブ・サクスマイニンゲンと結婚することになります。

ドロシーは年金を与えられて、ステージに立つ必要はなくなりました。
でも53歳の時に、娘婿が作った大きな借金を返すため舞台に復帰しました。
1815年に返済を終え、一人フランスに渡りました。
ウィリアムのめでたい結婚話とか聞きたくなかったのかしらね?

ウィリアムは、子供たちにも俸給を与え続け、音男の子は貴族に叙し
女の子たちも貴族に嫁がせています。
ウィリアムとドロシーの子供たちから、フィッツクラランス家が始まっています。

ただ、子供たちは裕福になって良かったとして、フランスへ渡ったドロシーには
もう年金が払われていなかったんですかね?
貧しい生活を送っていたそうで、渡仏から1年後に亡くなりました。
共同墓地に埋葬されたそうです。

二十年ですよぉ… 身を引いたのか引かされたのか… せつないですねぇ
こういってはなんですが、公妾とかにしちゃえばよかったんでないのか?
ジョージ4世みたいにさ…

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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ひとことドラマコーナー
今クールも終わろうとしてる今頃になって、おもしろそうなドラマ見つけちゃったよぉ
テレ東の『バイプレイヤーズ ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』
遠藤憲一・大杉漣・田口トモロヲ・寺島進・松重豊・光石研 出演だって!!
すでに8話まで終わってるって言うじゃないのっ!! 日本のドラマもちゃんとチェックせねばなるまい

   ヒフミド トライアルセット【小林製薬】

イギリス王ジョージ1世愛妾 エーメンガルデ

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王妃を追いつめた愛妾
ケンダル公 エーメンガルデ・メルジーナ・フォン・シューレンブルク

1667〜1743/愛妾 1690〜1727

王様としての資質はどうだったのかはさておき、女性(わたし)としては
どうも好きになれないジョージ1世。
愛妾も何人かいたそうですが、今回は代表的な愛妾エーメンガルデでいってみましょう。

エーメンガルデは、シューレンベルク男爵グスタフの娘で
ハノーヴァー選帝侯妃ゾフィアの侍女になりました。
王子ゲオルク(ジョージ1世)には、ハノーヴァー選帝侯エルンスト・アウグストの
愛人だったプラーテン伯夫人の紹介で会い、愛人になりました。
エーメンガルデは、かなり背が高く細い女性で “ かかし ” と呼ばれていました。

 

ゲオルクは妃であるゾフィア・ドロテアより、エーメンガルデと行動をともにする時間が
多くなっていきます。
エーメンガルデはゲオルクの子を少なくとも3人生んでいます。

1714年にゲオルクがイギリス王ジョージ1世として即位し、1716年にロンドンへ移る時
一緒に渡英しました。
ちなみに、その時にはもう一人の愛妾ゾフィア・キールマンセッゲも同行しています。
火花バチバチ旅行だったのかしらね?
ちなみにちなみに、ロンドンでは、エーメンガルデは “ メイポール (柱、ね)”
ゾフィア・キールマンセッゲは “ ゾウ ” とあだ名をつけられたそうです。

ご存知のとおり、王妃ゾフィア・ドロテアは同行していませんでした。
ゾフィア・ドロテアは浮気をしたということで幽閉されていたのですが
彼女を追い込んだのが、エーメンガルデをはじめとするジョージの愛妾たちの
存在だったのではないでしょうか?
なにしろ侍女として四六時中宮廷内にいて、スパイされてるような状況だもの。

1716〜19年に渡って、エーメンガルデはケンダル公をはじめ多数の爵位を叙位されてます。
その上1723年には、神聖ローマ皇帝が彼女をエーバーシュタイン女公にしました。
これは、ジョージ1世とエーメンガルデが秘密裏に結婚したという話を考慮してのことです。

ジョージ1世にも政治的にすごく影響力があったようで
宰相ウォルポールは「まるで王妃みたいだ」と嘆いていました。

1727年、ジョージ1世はドイツで急死します。
エーメンガルデは、うわ言で「きっと私のところへ帰ってくる」と言い続けていました。

1743年に75歳で亡くなりました。
もしジョージ1世と結婚していなければ、一生独身だったということになります。
どうしても悪者に思えちゃうけど、ジョージ1世に対しては一途な人ではあったようですね。

(参考文献 森護氏『英国王室史話』『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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ひとことK-POPコーナー

あぁぁ… 代々木… 昨日と今日、もりあがったんだろぉなぁ… 1日も行けなかった代々木は初めてでションボリMAX
地方を申し込むと代々木が当たらないというウワサは本当だろうか?


   ヒフミド トライアルセット【小林製薬】

『青い眼がほしい』Morrison World Started

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THE BLUEST EYE 
1970年 トニ・モリスン

この小説はトニ・モリスンのデビュー作だそうで
『ビラヴド』『パラダイス』のようなファンタジー色はないものの
フォーカスを当てる人物の入れ代りや、過去へのさかのぼりなど、絶妙な展開で
後年の作品にまったく見劣りしないものでした。

主な語り手は、クローディアという小学生の少女で、彼女は身のまわりのこと
姉のフリーダや母さん、間借り人のミスター・ワシントンのことを
少女らしい観点から語ってます。

もうひとりの主人公はピコーラという少女とその両親です。
ピコーラは醜いと思われていて「青い眼がほしい」と切実に願っています。
父親チョリーは大酒飲み、母親ポーリーンは白人の家で働いています。

物語冒頭で、ピコーラがチョリーの赤ん坊を宿したことがわかります。
でも、なぜそうなったかは最後までわかりません。

ピコーラは、チョリーが自分の家に火をつけてしまい行き場が無くなった時
郡の依頼で一時クローディアの家で預かったことがありました。

物語は、大きく秋・冬・春・夏にわかれていて、ある時はクローディア、
ある時はピコーラ、ある時は過去… という具合に、順序や起承転結などなく
デタラメに進んでいきます… が、まったく違和感はありません。
後年の作品の、もっと入り組んだルーツ辿りよりは明快で、すいすい読み進めました。

ラストはちょっと論理的になっちゃっているような気もしますが
すごく正直な独白のようにも思えます。
とにかく、ハッピーなラストでないことはお伝えしておきます。

どう言ったらいいのかわからないんだけど、上手く言えないかもしれないんだけど…

トニ・モリスンの物語はまだ4作品しか読んでないんですが、皆黒人が主人公でした。
どうしても人種差別に目がいきがちなんだけど、なんだか違う気がしてきた。

もちろん、差別を描写している部分もあるんだけど
それよりも、もっと純粋なテーマが各々の作品にあるんじゃないかな?

どの作家にも、その人ならでは… という “ 核 ” みたいなものがありますよね?
それが、彼女の場合は黒人の登場人物であり、日常生活であって
差別そのものを訴えたいわけではないんじゃないかと…

うぅぅ…泥沼にハマってますね

とにかく、私が読んだトニ・モリスンの4作品は、同じようなテーマを持っていそうで
まったく印象が違っていました。
人種・差別・過去という同一のファクターを抱えつつ
一辺倒にならず多彩な表現方法で、どの物語でも楽しませてもらえました。

これ以上書くと泥沼に沈んでしまいそうなのでもうやめときます。
とにかく、彼女の作品をもっともっと読んでみたい! と思いが強くなりました。

少女の切実な願いが哀しい…
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ひとことWBCコーナー
(失礼なことに)今回は盛り上がれそうにないなぁ…と思っていたWBC、すごく盛り上がっちゃってるんですけど!!
わたしはアンチ・ジャイアンツなんですが、試合を重ねるごとに小林が素敵に見えてきてしまっている〜 どうしませう…
侍ジャパンのみなさま、準決勝、ガンバってね!!

    ヒフミド トライアルセット【小林製薬】

『ナイト・ソウルズ』エイリアンさえいなきゃ…

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THE BEST OF MASQUES 
1988年 J・N・ウィリアムスン編

わたしは疎くてさっぱり… なんですけど、このアンソロジーの作家陣22人は
SF・ホラー・オカルト分野の作家・脚本家のそうそうたる顔ぶれらしいです。

知っている作家はスティーヴン・キングとレイ・ブラッドベリ
そして以前『厭な物語』で『赤』を読んだリチャード・クリスチャン・マシスンだけでした。
なぜ持ってるんだろ? スティーブン・キングに凝った時に買ったのかしら?

作家陣のほとんどが脚本を手がけていると知ったせいかもしれませんが
映像になったら… ということをしっかり見据えて書いてらっしゃるという気がします。

エイリアンとか、怪物っていうか…あんまり突拍子もないものが登場する話は
やっぱり苦手でしたが、面白く読めたお話しもあったので紹介しますね。

『ソフト病(Soft)/F・ポール・ウィルソン』
人々がソフト病で息絶えている中、わたしと娘のジュディは進行が脚で止まっている。
感染せずピンピンしていて、いつも家の用事を引き受けてくれるジョージと
3日間連絡がとれないので、向いのアパートへ様子を見に行くことにする。

骨がとけていく病気で、原因もわからず治療法もないらしいです。
死に絶えた町に取り残されてしまう恐怖が、ひしひしと伝わってきます。
ソフト病でなくても、こんな状況に陥ったら… ギャー! 想像したくないですね。

『モーリスとネコ(Maurice and Mog)/ジェームズ・ハーバート』
モーリスが近所の人々にバカにされながら、5年間かけてつくった自宅の庭の地下シェルター。
いよいよ閉じ籠らなければならなくなった日、隣人たちを払いのけハッチを閉めたが
なぜか一匹のネコが入り込んでいた。

核爆弾が落ちたみたいんなんですけど、果たして地下にいれば助かるものなのだろうか?
モーリスの準備は完璧だったように思えるのですけどねぇ… ツメがあまかった〜
このネコのせいでどうこうというわけではないんだが、絶妙な役割を演じてます。

『夜は早く凍てつく(The Night Is Freezing Fast)/トーマス・F・モンテレオーネ』
祖母に言われて、ブリザードの中しぶしぶ買物に行く祖父に、10歳のアランがついて行く。
途中、雪の中立っている男を車に乗せてやると、男は地獄のことを話し出す。
あまりにしつこく話すので、祖父は男に、車から降りろと言う。

子供や若者にはピンとこないことに、恐怖を感じる老人…
年をとればとるほど、ふとしたことに怖れおののく瞬間が増えていくのかなぁ…
なんて思えまして…

あのね、『大きな岩のある海辺で/ジョー・R・ランズデール』と
『死からよみがえった少年/アラン・ロジャーズ』という話があって
始まり方がすごく好きだったのですが、エイリアンが出てくるのよね〜
出てこなければなぁ… 別の感じの恐い話しにしてくれたらなぁ…

たしかに、こんなことあるはずがないじゃんか! という話が多かったのですが
人間の心にある恐怖を、引っ張り出して手を加えていくと、ホラーやSFになるのかな?
孤独とか、後悔とか後ろめたさ、死を意識し始めた時とか、見知らぬ人の視線とか…

そういうところから、個性あふれる物語が書ける想像力がすごいですよね。
でもやっぱり苦手なんだけど… ごめんなさい。

錚々たる作家たちの競演!
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ひとことWBCコーナー
今日はお休みで、プエルトリコ VS オランダの試合見てましたが、あらためてメジャーリーガーばっかりじゃん!
こうなったらメジャーがひとりしかいない日本に優勝してもらって、世界をアッ!!と言わせてほしい…

    ヒフミド トライアルセット【小林製薬】

イギリス王ジョージ2世愛妾 ヘンリエッタ

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家族思いの愛妾
サフォーク伯夫人 ヘンリエッタ・ハワード

1689〜1767/愛妾 1714〜1735

父親のホバート男爵ヘンリーは、ヘンリエッタが8歳の時に決闘で亡くなりました。
母親エリザベス・メイナードも数年後に亡くなりました。

ヘンリエッタは、弟や妹たちに良い地位を与えてああげたいわぁ… と思い
17歳の時にサフォーク伯チャールズ・ハワードと結婚しました。
このおかげだかどうだか、弟ジョンは初代バッキンガムシャー伯に叙位されてます。
        
しかし、チャールズは、根っからのギャンブラーで乱暴者、結婚生活は不幸でした。

1714年、チャールズとヘンリエッタは、次期王ジョージ1世のご機嫌をとろうと
ハノーヴァアーを訪れました。
その後ヘンリエッタは、王太子妃キャロライン・アーンズバックの寝室係になります。
ジョージ(2世)がねらってしたことなのか、妻の寝室係が美人じゃない?と
手を出したのかはわかりませんが、ヘンリエッタはジョージ(2世)の愛妾になりました。

ジョージ(2世)は、ヘンリエッタを公妾にするかわりに夫チャールズの借金を
かたずけてあげたってことで、ヘンリエッタは旦那さんを助けるために
愛妾になったのかもしれませんね。
ヘンリエッタとチャールズは正式に別居しました。
でも、長い別居生活のままで離婚はしなかったみたいです。

夫チャールズは、ヘンリエッタをジョージ2世から取り戻そうと
1729年に大法院に訴えていますが、この時、ヘンリエッタを避難させたのは
なんと! 王妃キャロラインでした。

キャロラインはその後も、ジョージ2世に年金を払うよう申し出て
ヘンリエッタが宮廷を出て行くことを思いとどまらせていました。
できた嫁ですわ…

1733年、チャールズ・ハワードが亡くなって未亡人になったヘンリエッタは
1735年にバークリー伯の息子ジョージと再婚し、これを機に公妾の座を降りました。

実はヘンリエッタの再婚前から、ジョージ2世は彼女を疎んじるようになっていました。
ジョージ2世はヘンリエッタと語り合うのが好きだったんだけど
ヘンリエッタは耳を悪くしちゃったのね。
19年も一緒にいたのにねぇ… 筆談とかでもいいじゃないねぇ!

弟妹のために結婚したり、王のご機嫌とりに行ってちゃっかり王子の愛妾になったりと
したたかそうに見えるヘンリエッタですが、実はものすごく控えめで
政治的野心もない人だったそうです。
親戚の地位をアップしてもらいたいなぁ… と思っても、なかなかジョージ2世に
言い出せなかったそうで、彼女が公妾を辞退し、ジョージ2世が新たに
デルレイン夫人を愛妾にした時、宰相ウォルポールや大臣たちはたいそう嘆いたらしい…

デルレイン夫人… どんな人なんだろう? 見つけられず…

キャロラインが約束したように、ジョージ2世から多額の年金を贈られたヘンリエッタは
テムズ河畔に土地を購入し、ロジャー・モリスとペンブローク伯ヘンリー・ハーバートの
設計による、美しいマーブル・ヒル・ハウスを建築しました。

大人しい人とはいえ、美しい上に性格が良かったのでしょうかね?
愛妾をやめた後もたくさんの友人たちがいたようです。
宰相ウォルポールやジョナサン・スィフトとも文通してました。
親しい友人の中には、ジョージ2世に批判的な詩人アレグザンダー・ポープもいて
ヘンリエッタがジョージ2世と別れた理由は彼にあるとも言われています。

1746年に夫ジョージが亡くなると、マーブル・ヒル・ハウスを手放したのですが
その後のことがよくわかりません。 20年ぐらい長生きしてるんですけどね…
こじんまりとした邸宅で、友人や崇拝者たちの訪問を受けながら
平和な老後を過ごしたと思いたいですね。

(参考文献 森護氏『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)

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ひとことK-POPコーナー
TWICE 日本デビューですか! ミナちゃん・モモちゃん・サナちゃんも故郷に凱旋できて嬉しかろお!!
BLACKPINKはまだかしら? 

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フランス王アンリ3世愛妾 ヴェロニカ

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愛妾ってほどでもないけど・・・
ヴェロニカ・フランコ

1546〜1591/愛妾 不明

ヴェロニカがアンリ3世と関係があったのは短い間だったみたいで
愛妾とは言えないんだけど、経歴が面白いのでご紹介しようと思いました。

父親はよく判らないのですが、母親は高級娼婦、いわゆるクルチザンヌだったようです。
十代の頃、裕福な医者と結婚しましたが上手くいきませんでした。

生きていくために、母親と同じ道を歩み出したヴェロニカはたちまち人気者に。
結婚生活は短かったのか、二十歳の時にはデビューしてたみたいです。
当時のイタリアでは、階級の違う娼婦たちの睨み合いが激しかったらしいのですが
ヴェロニカはかなりハイクラスに属していました。
次々と高位の貴族のお相手になっていて、その中にアンリ3世がいたみたいです。
           
ヴェロニカは、クルチザンヌである一方詩人でもありました。
パトロン探しの合間に勉強し、名門文芸サークルにに所属していました。
また、書簡集と他の作家のアンソロジーなどを出版して
その収益で娼婦とその子供たちのための基金なども設立しています。

こういう知的で芸術家肌なところが、インテリを自負するルネサンス貴族たちに
ウケていたのかもしれませんね。

1575年にヴェニスがペストの猛威にさらされた時、ヴェロニカは立ち退きを強要されます。
しかし、1577年にヴェニスに戻ると、家や金品をはじめ所持品のほとんどが
強奪されていました。
きっとクルチザンヌとして蓄えたゴージャスなものばかりだったのでしょうね?
なぜ運び出さなかったのかしら?

その上、魔女裁判にかけられてしまいます。
この告発は取り下げられましたが、なんでもヴェニスの貴族たちが
ヴェロニカを助けるために、裏で手をまわしたそうですよ。
だけど、手をまわしたという決定的な証拠は出なかったようで…
こ、これは、今流行りの そ・ん・た・く ですか?

こうして自由は勝ち取ったものの、ほとんどの物を失い、最後の支援者が亡くなった後は
金銭的な援助もなく、かなり困窮したと言われています。

生涯で6人の子供を生んでいますが、3人は幼くして亡くなっています。

1591年まで生きていたようですが、1570年代以降のことはあまりわかっていません。
お子様たちに大事にされて、創作活動などを行っていたとしたらよいのですが…

              
              こちらも雰囲気があってすてきなので…

(参考文献 Wikipedia英語版)


ひとことK-POPコーナー
INFINITEのソンギュが骨折ですって〜!?  5月のカムバに間に合うかしら?
Kポ界ってなんだか怪我が多い気がする… それもスポーツ大会中とかゲーム中とか
歌とダンスで頑張っている子たちにあまり無理はさせないでほしいなぁ そういう姿もステキではあるのですが… 

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