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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド王ヴワディスワフ2世妃 ゾフィア

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王の長年の夢を叶えた幼妻
ヴワディスワフ2世妃 ゾフィア・ホルシャンスカ

1405~1461/在位 1422~1434

エルジェピタと幸せな結婚生活を送っていたヴワディスワフ2世でしたが
彼女が亡くなると我に返ったのか、ものすごく若い妃を迎えます。

四人目の妃となるゾフィアとは1420年か1421年に会っています。
ゾフィアは15歳、ヴワディスワフ2世は58歳(68歳説あり)でした。
この結婚にはリトアニア大公ヴィタウタスが尽力したそうなんですが
ゾフィアとヴィタウタスの関係はこんな感じ

         

案の定ポーラン貴族はこの結婚に反対。
また、神聖ローマ皇帝ジギスムントも反対していました。

妹が姉より先に嫁ぐのはいかがなものか… などといちゃもんをつけたりしたのですが
姉ヴァシリーサが1421年に結婚したものですから、翌年の1422年に結婚しました。
ちなみにヴァシリーサの結婚相手は、ヴワディスワフ2世の異母兄です。
こちらもかなりの年の差婚みたいですね。

この結婚は大当たり!と言っていいのか、ゾフィアは1424年に王子を出産しました。
このことでゾフィアのポーランドにおける評価と政治的影響力は強まりました。
1426年には次男を出産しますが1年足らずで亡くなります。

翌年には三男を生むんですが、この時には浮気を疑われています。
なんと! 7人の男性の名があがったそうですよ。
日本の豊臣秀吉もそうだけど、それまで子供に恵まれなかった君主の若い妻に
ほいほい子供ができたら、どうしてもそういう話しになっちゃいますよね。

        

しかし、ポーランド貴族たちからは、ゾフィアが生んだ王子たちより
アンナ・ツィレシュカが生んだヤドヴィカを推す声があがりました。
また、他国からもヤドヴィカを支持する声が高まります。
主にヤドヴィカにプロポーズしてる人たちなんですけどね…
なにせ、すごくたくさんの人から縁談がきてました、ヤドヴィカ。

けれども継承者争いのまっただ中の1431年にヤドヴィカが亡くなります。
この時にはゾフィアを疑う声が高まったそうです。

ヴワディスワフは子供たちに王座を渡すために、貴族たちにかなり譲歩し
新たな特権も与えなければなりませんでした。

1434年にヴワディスワフ2世が亡くなると、10歳のヴワディスワフ3世が王座につきます。
摂政は議会に託され、ゾフィアは自分の影響力を示そうと躍起になります。
また、ヴワディスワフ3世と、ハンガリーとボヘミアを相続することになる
アンナ・フォン・エスターライヒと結婚させようと頑張りました。
上手くかなかったけどね…

1440年、ヴワディスワフはハンガリー王に選出され
ハンガリー王女エルジェーベトと婚約しました。
ゾフィアはヴワディスワフを国境まで見送ったのですが
これが最後の別れの挨拶になります。
1444年、ヴワディスワフはオスマントルコとの争い中に戦死します。
エルジェーベトは結婚前に亡くなりまして、ヴワディスワフ3世は未婚でした。
どちらかというと女性より男性が好きだったらしい… という説もあります。

その後は三男カジミェシュ… という流れになるのですが、リトアニアにいたカジミェシュは
ポーランドに行くのをいやがります。
ゾフィアは2年間貴族たちとカジミェシュの間に立って折衝に励みますが
カジミェシュからは良い返事が聞かれません。

待ちきれなくなったポーランド貴族は、ピャスト家の流れをくむ
ポドラシェ公ボレスワフ4世を王に選出します。

だけどゾフィアは「もう少し待ってちょーだい!」とリトアニアに使節を送って
息子の説得にかかります。
お母さまのガッツに負けたのか、カジミェシュはやっと王位継承を承諾して
1447年に王座につきました。
どうせつくならさっさとせんかい! と誰もが思ったことでしょう。

ゾフィアはカジミェシュから政治に参加することを許され、議会に影響力を及ぼしました。
やっぱ、ボレスワフにしときゃよかったよ! と皆が思ったことでしょう。

ゾフィアの影響力は、カジミェシュがエルジェピタ・ラクシャンカと結婚した
1454年から衰え始めます。
あんなに息子のために頑張ってきたのに、嫁に負けるとは… 悔しかったろう…

最後に政治的な力をふるったのは、十三年戦争の時に教皇ピウス2世に使いを送って
ご意見を伺った時でした。

その後は聖書のポーランド語の翻訳などの援助に励みました、1461年に亡くなりました。
ヴァヴェル大聖堂に葬られています。

はっきりパーソナリティが描かれているわけではありませんが、業績だけ見ていくと
政治的野心があって、権力欲があって、欲しいものは手に入れるって感じ?
負けず嫌いであきらめないタイプの女性だったみたいですね。

もう少し個人像が垣間見えれば、悪女とか賢母とか妖婦とか
なんらかのカテゴリーに入れられて後世に名を残していたかもしれないですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと癒されコーナー
今日はお友達の家の猫ちゃんたち、ころちゃんとこたさんに会いに行って来ました
いつもラインで見ててすごく可愛かったんだけど、実物はもう~! すごくキュートで癒されましたよぉ
   おんてむみたい…

『窓から逃げた100歳老人』強運と幸運が長寿をつくる!

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HANDRAARINGEN SOM KLEV UT GENOM FONSTRET OCH FORSVANN 
2009年 ヨナス・ヨナソン

人間って、何も病気をしなければ120歳ぐらいまで生きられるらしいですね。

この物語は、そんな病気知らずの100歳の老人アラン・カールソンが主人公。
病気知らずでまだまだ元気ってだけでもすごい幸運なのに
このじいさん、ちょー幸運というか、度を超した幸運の持ち主です。

物語は、100歳の誕生日をむかえたカールソンが、老人ホームで開かれる
自分の誕生パーティの直前に窓から逃げ出すところから始まります。
題名どおりですね。

着の身着のままで出て来たカールソンは、何か着るものが入っているかも…と
バス停で会った若者がトイレに入っている間に彼のスーツケースを持って
出発直前のバスに乗り込みます。

しかし、そのスーツケースに入っていたのは着るものや靴ではなくて…
カールソンは悪の組織に追われることになります。

カールソンが追われながらいろいろな人に出会って逃げ回る約2ヶ月の日々と
これまで生きてきた100年の出来事が交互に描かれながら物語は進むのですが
どっちもラッキーすぎる!!

まず現在のカールソンですが、最初のスーツケースの置き引きなんてかわいいもんで
その後はもっと犯罪がエスカレートしていくわけよ。
しかもすべてうまい具合に偶然が重なり、警察やマスコミの目をすり抜けていきます。

そしてこれまでの100年!
フランコ将軍、トルーマン、宋美鈴、江青、チャーチル、スターリン、金日成
金正日、毛沢東、ド・ゴール、リンドン・ジョンソン などなど
そうそうたるメンバーと渡り合い、何度も危険に遭いながら生き延びてきた!!

運が強い! 強すぎる!!

しかもカールソンがいなかったら、ナガサキ・ヒロシマはなかったかもしれないし
スペイン革命は違う方へ動いていたかもしれないし
中国と台湾も今みたいな関係になっていなかったかもしれないとは…
おそるべき老人カールソン… そばでこんな過去を語られたら病院に入れちゃいそうだ。

私は常々 “ 抱腹絶倒 ” とか “ 涙が止まりませんでした、笑いで ” みたいなオビは
信用しちゃならんね! と思っていましたが、今回ほど痛切に感じたことはありません。

ナンセンス小説だからと目くじらをたてなければ面白いのかもしれませんね。
でも、私は「フィクションだ!」と開き直られちゃってるみたいに思えて
なんだかバカにされたみたいな悔しさを感じています。
100歳の老人が世に出て織りなす含蓄のあるストーリーを期待した私がバカでした。

ユーモアがわからない私が読んで悪かったよ。
最後に、失礼を承知で言えば、1,500円返してほしい…

ひとことクラフトコーナー
こないだホビーショーに行ってワークショップでがま口作りました
私はがま口あんまり得意じゃないんだけど20分でできた! 針も糸も使わないでできるなんて! 勉強になったわ~

『アウトサイド』エッセイを軽くみちゃいけなかったわ

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OUTSIDE 
1981年 マルグリット・デュラス

以前古本市で買ったんだと思うんだけど、すっかり忘れていた一冊。

私は、デュラスってたぶん2冊ぐらいしか読んだことないと思います。
『モデラート・カンタービレ』と『ラマン』かな?
どちらも感銘を受けた覚えはないのですが、独特の世界がある人だなぁ、と思っています。

で、どれどれ… とページを開いて、読み終えて、けっこう疲れました。

デュラスが新聞や雑誌のために書いたエッセイや、インタビュアーを務めた記事を
まとめたものですが、なんていうのでしょうね… 一筋縄ではいかない、という印象です。

前書きで、金欠でお金がほしかったから… と新聞や雑誌の仕事をうけた経緯を語ってますが
書いていた媒体はかなり幅広かったようです。
各々のポリシーによって書き分けていたのでしょうね… さすが。

27の章が六つのブロックにわかれています。
簡単に説明しますね。

第一ブロック『ある日、パリで』と第二ブロック『ストリート・ファイル』は
パリのおしゃれな風景やデュラスならではの視点で書かれる、パリらしい街角の出来事が
描かれていると思いきや…
8.二つの家庭を持つ男 と、9.カルメル会修道女が街に帰る日 を除いて
主に裁判所と司法への非難と思われます。

各章のネーミングからは想像がつかなかったんだが…
最初から、心して読まねばならんね! と身が引き締まりましたよ。

第三ブロック『ポートレート』は、16.マリア・カラス を除いてインタビュー記事。
ジャンヌ・モロー、メリナ・マルクーリ、バルドー、マーゴ・フォンテイン etc…
デュラスが厳選したって感じのそうそうたるメンバーに、単にインタビューするだけでなく
かなり主観の入り交じった人物像も書いています。どっちかっていうと褒め上げてますが…
このブロックはVOGUEに書いてたようで、他ブロックよりやわらかい印象です。

第四ブロック『サルトル、バタイユ…』は、サルトルとバタイユと画家フランシス・ベーコン
そして、ある編集者にインタビューした記事です。
ここは哲学のぶつかり合いっていうか、禅問答みたいで、さっぱり面白くなかったですけど…

第五ブロック『小さな人たち』は子供に関するインタビュー。
彼女が子供に批判的なのか好意的なのか、いま一つつかめませんでした。
子供だからってあまくみないところがフェアなのか?
小さくても一人前の人間として接するという教育方針によるものか…

第六ブロック『記憶』は、最もエッセイらしい部分でした。
24.ポロネギスープ考 を除き、デュラス自身の暗い過去が書かれていますが
37.強制収容所からっもどった夫 は、ものすごく壮絶でした。
私は、このブロックで打ちのめされたような気がしています。

よく書いたな… とも思いましたが、同じ体験をした人へのエールかもしれないし
書くことで訣別したかったのかもしれませんね。
そんなに簡単に訣別できることではないと思いますが…

デュラスの、どちらかというと社会派な面が際立っている一冊ですね。
もう少し女性作家目線のエッセイ集があったら、ぜひ読んでみたい気がしています。

『ラマン』が自伝的な内容だと聞いたことがあるような気がするし
今回のエッセイからも、波瀾に充ちた人生だっただろうと想像できます。
私は作者の人生を深追いするタイプではないので、彼女のことをこれ以上知りたいとは
思いませんが、興味があったら伝記やWikipediaなどで調べられてはいかがでしょう?

ひとことゲームコーナー
とうとうほしの島にゃんこにあきて “ 島のにゃんこがさびしがってるニャ ” のメールも無視している今日この頃…
今は ねこあつめ に夢中!! かわいいなぁ

ポーランド王カジミェシュ4世妃 エルジェピタ

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さすがハプスブルク家! 子だくさん王妃
カジミェシュ4世妃 エルジェピタ・ラクシャンカ

1436~1505/在位 1454~1492

ヴワディスワフ2世を継いだヴワディスワフ3世はハンガリー王女エルジェーベト
婚約したものの、未婚で亡くなりました。

その後を継いだのはヴワディスワフ3世の弟カジミェシュ4世です。
王座に就くのを渋っていたんだけど、母后ゾフィア・ホルシャンスカに説得され
1447年に王になったので、王位は3年空いていました。
王、いなくてもよくないか? って話しになっちゃいますよね?

さて、そんな影響力大の母ゾフィアの力を弱めたとされる嫁エルジェピタ。

エルジェピタは、ヴワディスワフ3世と婚約していたエルジェーベトが
ハプスブルク家のドイツ王アルブレヒト2世との最初の結婚で生んだ王女です。
ドイツ王というのは次期神聖ローマ皇帝候補と考えていただければよいかと思います。

     

実はエルジェピタの生年ははっきりしていなくて、1436年から39年の間とされています。
エルジェピタと姉のアンネ、ヴワディスワフ3世とカジミェシュ、二組の縁談を
一気にまとめちゃおう!とポーランドの使節がジギスムントを訪ねたのが1436年で
エルジェピタに1435年生まれの兄ゲオルグがいることから1436年説が濃厚らしい。
生まれてすぐに縁談ですか… この縁談はまとまりませんでした。

いずれにしてもエルジェピタが生まれてしばらくすると、父アルブレヒトが戦死します。
ハンガリー王座はヴワディスワフ3世に持っていかれてしまいました。

1452年にカジミェシュとエルジェピタの縁談をまとめようと
使節を送ったのはまたまたポーランドでした。
この時は縁談がまとまって、二人は1454年に結婚しました。
エルジェピタは900人の従者を連れて来たらしい…

カジミェシュは、エルジェピタがあまり魅力的でないと聞かされていて
結婚を考え直そうとしていましたが、議会が許してくれませんでした。
この先が不安ですね… 王にほっとかれる王妃はけっこういますから…

けれどもこの結婚はとても幸せなものだったようです。
エルジェピタは毎年のように妊娠していて、13人のお子を生んでいます。
後年 “ 汝は結婚せよ ” と言われるようになる多産家系のハプスブルク家ですが
この頃からすでにそうだったんでしょうかね?
結婚を考え直さなくてよかったね、女性は見た目じゃないんだってば!

エルジェピタはカジミェシュに対して影響力を持っていたらしいのですが
政治的に目立とうとはしませんでした。
そのかわりといってはなんですが、王女たちの結婚にはかなりアクティブでした。
ここらへんもハプスブルク家っぽいね。

1457年、エルジェピタの弟ウラースローが後継ぎ無しに亡くなると
ハンガリーはマーチャーシュ1世が王座につき
エルジェピタの母エルジェーベトが摂政になりました。
ボヘミアは貴族ゲオルギーが王に選出されています。

エルジェピタは一家をあげてボヘミアとハンガリーの王位を要求します。
結果的には子供たちのうち11人が成人に達し、王子たちが各国の王位を継ぎます
王女たちも各国に嫁いでヤゲウォ家は躍進します。
そんなわけで、エルジェピタは “ 王たちの母 ” “ ヤゲウォ家の母 ” なんて呼ばれてました。

1492年にカジミェシュ4世が亡くなると、エルジェピタはドイツの芸術家を招いて
夫の墓所と棺を作りました。

その後は “ 国王の母 ” という威光を背負って政治的に目立つ… なんてことはなく
末の娘二人とクラクフで過ごしました。
1504年に病に倒れたのですが、なんの病気かはっきりしていないそうです。
翌年亡くなり、ヴァヴェル大聖堂の、夫と幼くして亡くなった二人の娘の隣に葬られました。

1496年に六女バルバラを結婚させていましたが
七女エルジェピタの縁談はまとめてなかったので、心残りだったでしょうね。
エルジェピタ(娘)はエルジェピタ(母)の死から10年後に、33歳で嫁いでいます。

縁談のこととかけっこうはしょりましたけど、お家のことは一生懸命やって
夫を支え、夫の治世をサポートし、政治には口出さないって、王妃の鏡よ!
もっと有名でもいい王妃ですよね。 そりゃあ、悪女より面白味はないかもしれないが…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと園芸コーナー
だんなさんがFrancfrancで買って来て大切に育てているワイルドストロベリーの鉢をひっくり返して
ものすごく反省しました。 だって小さいんですもの…(言い訳です) 芽が出てよかったよぉ
ところで小さい白いツブツブはなんですの? 栄養剤ならよいが…

『ジャンプ 他十一篇』シンボル、フォーカス、プリズム

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JUMP AND OTHER STORIES 
1991年 ナディン・ゴーディマ

私は先日、『バージェス家の出来事』で、人権とか難しいことを考える本は避けたいな… 的な
ことを書いてまして、本来の読書スタイルはそのとおりなんですが
今回は自らどっぷり身を投じてしまった…

ナディン・ゴーディマは、ノーベル賞をとっていたので名前だけは知っていましたが
読むのは初めてです。

南アフリカ出身の白人作家が描くアパルトヘイト末期のエピソード…
どちらかというと、差別問題の云々よりも、アパルトヘイト撤廃直前の南アフリカで暮らす
黒人、白人双方の戸惑いや本心を知りたいという理由から手にしてみました。

ものすごく考えるところが多かった一冊でしたが、正直言って何に対して考えればいいのか
まだまとめきれずにいます。
読んでいて楽しくもなく、好きなタイプのストーリーでもないのですが
とても入りやすい文章で、けっこう没頭することができましたね。

内容は、やっぱり大きく人種問題にウエイトが置かれているのですがケースは様々です。
説明するのはすごく難しいのですが、読み終えて一冊まるごとの印象をひと言で言うなら
登場人物の温度差でしょうか?

本当は12話全部書きたいぐらいなんですが、特に印象的だったいくつかをご紹介します。

『究極のサファリ』
おかあちゃんが買物にいったきり戻って来ないので、おばあちゃんの家に行ったが
何も食べるものが無く、何人かの人たちと村を後にすることに決めた。
何日も何日も、誰にも見つからないようにクルーガーパークを越えて行く。
白人がキャンプで焼く肉の匂いを嗅ぎながら餓えたからだで歩き続ける。

幼い少女の目線で進められる物語です。
死と隣合せで歩く彼女は、バーベキューをしながら余暇を楽しいんでいる白人に対して
恨みや妬みはないみたいで、当たり前のことだと思っているようです。

『幸せの星の下に生まれ』
一家は息子の部屋が空いている間、ラッドという黒人の青年を下宿させた。
ラッドはおとなしく礼儀正しかった。
17歳の娘ヴェラは、彼とほとんど口を聞くことがなく、意識もしていなかったが
酔って帰ったある夜ラッドに介抱されてから彼に惹かれていく。

舞台はイギリスかな? ヨーロッパのどこかだと思われますが、テロの恐怖が
だんだん人ごとではなくなっている今日この頃、この話しには微妙な気にさせられます。
国を取り戻そうとする志と正当性と手法のギャップを
外国人はどういう立ち位置で見ていればよいのでしょうね?

『銃が暴発する寸前』
アフリカーナー(白人支配階級)ファン・デル・ファイヴェールは
自分の農場の使用人を撃って死なせてしまう。
狩りに行く途中の事故だったが、ファイヴェールはこの事故が世界中に報道され
彼らの運動の恰好のターゲットになると、きっとそうなると知っていた。

アパルトヘイトでも奴隷制でもそうだと思うけど、残酷な雇い主がいた一方
制度は制度として利用しながらも、人と人の付合いをしていた雇い主もいたと思うのね。
ただ、その制度下で起こったことはすべてが同一視されてしまう場合もありますよね。
一度糾弾が始まれば、どんなに違うと叫んでもその声はかきけされてしまうかもしれません。

『どんな夢を見ていたんだい?』
彼のために車を止めてくれる白人がいるわけもなく、黒人は金を要求するので
照りつける太陽の下をずっと歩き続けている。
しかし、青年と年配の女性の白人二人が乗った車が止まった。
青年の次から次への質問に、彼は白人が気に入りそうな返事を考えて返す。

“ 彼 ” はカラードといって、白人と黒人の両方の血を持っている人らしいのね。
だからどちらのこともけっこう冷静に、冷笑的に見ているような気がします。
助けてくれた人に対して、喜ぶような返事を(作り上げてでも)しようとする姿勢は
卑屈になっているわけではなくて、自然に身についたみたい。

ある問題を外部から眺める時、特に象徴的なものに焦点が当てられますね。
この問題にはこれ、この問題にはこれ、と刷り込まれているイメージに
ピッタリの対照が見つかった時、世間は容赦が無くなります。
事実とは多少違っても、イメージに合うように屈折してしまう危険もあります。

彼女が白人だからというわけではないと思いますが、悪制の象徴にされてしまった
南アの白人たちの戸惑いが読み取れるストーリーが印象的でした。

この『JUMP AND OTHER STORIES』は、アパルトヘイト完全撤廃の3年前に書かれていて
内外の撤廃運動が最高潮に盛り上がっていた時期だと思われます。

でも、渦中にいる人々の中にも、猛烈に反対運動をする人がいるかと思えば
なんの疑問も抱えずにいる人もいたり、当事者でありながら部外者みたいな人が
いたりするということが、なんとなく伺い知れますし
白人の中に広がる危機感の温度差も垣間見えました。
撤廃後も平坦な道のりではないんだろうな… という予感も抱かせます。

考えさせられることはたくさんありましたが(ここまで書いといていうのもなんですが)
あまり人種問題ということにとらわれすぎると難しく思えて、せっかくの良書を
私みたいに手にするのを避けて生きてしまうことになるかもしれませんね。
ストーリーだと思えば、面白いというと誤解を招くのかな?文章もテンポも良い一冊なので
興味がある方はぜひ読んでみて下さい。

ひとことおやつコーナー
『マツコの知らない世界』でとりあげられ、すぐ売りきれちゃうというポテチが久々に入荷されたと聞き買ったさ!
塩は食べちゃったんだけどさ… 久々のポテチなので美味しかったけど… のりにはもっと期待しちゃうぞ



ひとことK-POPコーナー
ソウル公演行った方、うらやますぃぃぃ! こんな時に、なぜなのぉ? スマホもパソコンも速度ダウン状態になって
YouTubeが見られなくなっている  Oddを聞いて妄想を膨らましております

ポーランド王アレグザンデル妃 ヘレナ

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逃亡をこころみた王妃
アレグザンデル妃 ヘレナ・モスキエヴスカ

1476~1513/在位 (リトアニア大公妃)1495~1506 (ポーランド王妃)1501~1506

ヴワディスワフ3世の後を継いだヤン1世は未婚だったのか王妃の名が発見できず
いずれにしても嫡子がいなかったので、弟のアレグザンデルが継承しました。

そんなアレグザンデルの妃になったのは、モスクワ大公イヴァン3世公女です。
ヘレナの母親ソフィーヤ・パラエオロジナ
ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティン11世の姪にあたるという由緒正しさです。
     
幼い頃のヘレナについてわかっているのは、モスクワ育ちだということと
教養があるとても美しい子だったということぐらい。

8歳の時に一度、ポーランド王カジミェシュ4世王子との縁談がもちあがりました。
相手はまだ未定でしたけど…
ポーランドはオスマントルコに対抗するための同盟国を探していて
ロシアに目をつけたわけですね。

1942年にカジミェシュ4世が亡くなると、ロシアはリトアニア大公国に侵攻を開始します。
ポーランドはヤン1世が、リトアニアはアレグザンデルが継承していました。
アレグザンデルは和平のためにヘレナと結婚することにします。

ヘレナはロシア正教の敬虔な信者で、カトリックへの改宗を拒んでいます。
イヴァン3世も、リトアニアのヴィリニュス城にロシア正教の教会を建てるように
条件を出していて、アレグザンデルはこの条件を呑んだようです。

アレグザンデルはカトリック信者ではないヘレナとの結婚のために
ローマ教皇アレクサンデル6世から特別な許可を得ました。
結婚式はカトリックとロシア正教のミックスで行われたようで
ヘレナはロシアの民族衣装を着て式に出ています。

でもアレグザンデルの母エルジェピタ・ラクシャンカは、この頑固な嫁が気に食わなかったか
わざと結婚式に遅れたりしています。
早くも垣間見える嫁姑の諍いの兆し… こわいわ~

戴冠式はカトリックの儀式にのっとって行われるため、ヘレナは戴冠していません。
義母エルジェピタはヘレナに改宗するように圧力をかけ続けますが、ヘレナはこれを拒否。
たぶん、嫁ぎ先より実家の方が力が上だという奢りもあったんでしょうね。

エルジェピタは、言うことを聞きやしない嫁だけでなく、一緒に説得しようとしない
息子アレグザンデルにも怒りをぶつけます。
アレグザンデルにしてみりゃ「めんどくさいなぁ~、もうっ」って気分だったしょうね。

一方でヘレナは、カトリック貴族や聖職者たちと争う気はありませんでした。
静かに好きな祈りをあげさせてあげればいいじゃないね。

幼い頃は父親の言いなりだったらしいヘレナに対してイヴァン3世は
政治的策略渦巻く手紙を送りつけてきましたが、ヘレナは手を貸すことはしませんでした。
アレグザンデルに対しては忠実で従順な妻だったみたいです。

もともと素直で従順な人だったようですね。
エルジェピタに対してだけ頑なだったのかしら?
しつこかったんじゃないの~? エルジェピタ。

ヘレナは2回妊娠しましたが両方とも流産してしまい、子供が生めなくなりました。
当時の王だったら、それを理由に離婚することもできたと思うんだけど
アレグザンデルはそうしませんでした。
政略結婚ではありましたが、夫婦の仲は良かったみたいです。
アレグザンデルもなんとなく寡黙で争い嫌いなタイプに見えるものね。
戦争弱かったみたいだし…

1506年、アレグザンデルが45歳の若さで病になり亡くなりました。
30歳のヘレナは、モスクワに帰ることを希望しましたが、ポーランド貴族たちは
恰好の人質であるヘレナを帰そうとはせず、ワルシャワに住まわせました。

アレグザンデルの後は、弟のジグムンド1世が継いでいました。
ヘレナとジグムンドの付合いは冷えきっていて儀礼的なものでした。
絶対に兄嫁としていたわっていたとは思えないわ。
ジグムンドがそうだったってことは、他の宮廷人もそうしてた可能性が大きいですよね。
かわいそうに… 帰してあげなよぉ

1511年、ヘレナは再びモスクワに帰ることを願い出ましたが
ジグムンドは許しませんでした。
当時はリトアニアとモスクワの間がまたまた緊張していたんですけど
モスクワ大公はヘレナの兄ヴァシーリィ3世でした。

ヘレナはこっそりモスクワに帰ろうと決心して計画を立てましたが
これが失敗に終わり、トラカイで捕まってしまいました。
おぉぉ~、どうなってしまうの?

ヘレナはアレグザンデルの死後もヴィリニュス城で暮らしていましたが
脱走失敗後はトラカイやビルシュトナスで足止めさせられました。
この待遇に、兄ヴァシーリィ3世が激怒したため収監はされませんでしたが
やはり帰してもらうことはできませんでした。
たぶん、監視とかついて幽閉生活を送らされていたんじゃないかしら?

1513年、ヘレナは急に亡くなります。
リトアニアの廷臣による毒殺だと言われています。
お金を盗もうとして殺されたという説もあります。
どちらにしても、ありえないわけじゃないし、せつない話しですが
ヘレナが殺されたのじゃなくて、ストレスから急死した聞かされても驚かないわ。

ヴィリニュスのセオトコス大聖堂に葬られました。
アレグザンデルはヴィリニュス大聖堂に葬られています。 二つは別ものみたい。
せっかく同じ土地なんだから、一緒に葬ってあげられなかったのでしょうか?

ヘレナみたいな王妃はたぶんたくさんいたはずです。
そういう王妃は、記録が無かったり、かなり短い記述で終わっている場合が多いので
少しでも晩年の不幸な様子が残っていてよかったです。
よかった… というのもなんですが、少しでも慰めてあげることができるものね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
テソンのヘアスタイルが… 歌っている時はステキなんだけど、しゃべってるとワカメちゃんみたいに思えてきて…
かわいいんですけどね… LOSERのMVは痛そうで痛そうで何度見ても涙が出ちゃうよ

ポーランド王ジグムンド1世妃 バルバラ

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王の愛しく儚い思い出になった王妃
ジグムンド1世妃 バルバラ・ザポリャ

1495~1515/在位 1512~1515

アレグザンデルにはまたまた嫡子がいなかったため
弟のジグムンド1世がポーランドとリトアニアを継承しました。

ジグムンド1世は2回結婚していまして、二人目の妃がけっこう強烈です。
まずは一人目の妃バルバラです。

バルバラはハンガリーの領主シュテファン・サポヤイの娘ですが
このサポヤイ家はものすごく裕福なことで有名でした。
なんと! ハンガリーとスロヴァキアに70以上の城を持っていたらしい!!
都内にマンション20部屋… なんかとはわけがちがうっす!

イギリスの雑誌とか見ると、けっこう城が(城にしちゃ)安く売られているんだけど
城は手に入れるより維持するのが大変だと思うのよね。
修理でしょ、使用人でしょ、庭の手入れ、光熱費… だから手放す人が多いと思うの。
それを70以上って、あんた…

母親はポーランドのピャスト家につながる
チェシン公プレジェミシュラフ2世の公女ヤドヴィカです。

バルバラは、ハンガリー対立王ヤーノシュの妹にあたります。
        
バルバラが4歳の時、父シュテファンが亡くなり、バルバラは母ヤドヴィカの従兄の
チェシン公カジミェシュ2世の世話になるために家族のもとを離れます。
それからはスロヴァキアのトレンチーン城、ハンガリー王妃アンヌの宮廷などで
幼い頃を送っていたようです。

1506年、アレグザンデルの後を継いだジグムンド1世は、ハンガリーとボヘミアの
王座を手にしそうなハプスブルク家に対抗するための同盟者を探していました。
サポヤイ家はハンガリーのアンチ・ハプスブルクの中で最も強力な一家でした。

ジグムンドは1511年に使者を送り、ウラースロー2世とバルバラ本人の同意を得ました。
翌年、バルバラは17歳で45歳のジグムンドと結婚しました。

ジグムンド、初婚?
この人はカジミェシュ4世の五男で、まさか王座がめぐってくるとは思われず
いい縁談がなかったのかしらね?

バルバラは、持参金として100,000red zloty持ってきたのですが
これはものすごく大金だったらしい。
3年後にジグムンドの妹エルジェピタが結婚する時に持ってった持参金は20.000zloty…
ケタ違い… しかもredが無いけどね…

この結婚はサポヤイ家の裕福さを見せつけただけではなく、どれだけ重要な相手かを
王家に見せつけることになりました。

ジグムンドとバルバラには28歳の年の差がありましたが
結婚生活は愛に充ちた幸せなものだったそうです。
ジグムンドは、芸術家肌で教養があり、穏やかな人だったそうで
バルバラは尊敬できる相手として慕っていたんじゃないかしらね?

王妃を残して遠征に行く王も多い中二人で出かけて、一緒にいることが多かったようです。
二度目にジグムンドが不在だった時は手紙をやりとりしていたらしいんだけど
ジグムンドが書いたものが20通に対して、バルバラの手紙は2通しか無いんだって。
あくまでも残っているものなのでね… 女性の方が手紙をとっておくだろうし…

ジグムンドはバルバラにも力を持たせようと、政治的なサポートをしたようです。
たぶん、自分が亡くなった後で宮廷で力を維持できるようにだと思うのですが
バルバラは政治に興味がなく、議会への影響力はあまりありませんでした。

二人の間には、1513年に長女ヤドヴィカが、1515年に次女アンナが生まれました。
けれども、アンナ出産後バルバラは体調を崩し、半年あまりして亡くなりました。

ヴァヴェル大聖堂に葬られましたが、ジグムンド1世は、1517年に大聖堂の中に
ジグムンドチャペルを建立する命令を出し、バルバラと5歳で亡くなった次女アンナの遺体は
そちらに移されました。

バルバラとの結婚は、結局ハプスブルク家の躍進を止めることはできませんでした。
ジグムンド自身も、後にアンチから賛成派に変わります。

結果はどうであれ、結婚生活が幸せで何よりでした。

だけど、ジグムンド1世さぁ…
同じ人が前王妃へレナにあんなひどいことする? なんか納得できないなぁ。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこともの申す!コーナー
先日、マンションのエレベーターの中に、犬のう◯ちがっっ! あやうく踏むところだったじゃないのっ!!
お散歩の時に持ってる可愛らしいバッグは、か・ざ・り・で・す・か? 善良な飼い主さんにまで迷惑がかかりますよ

『O・ヘンリー ニューヨーク小説集』求む!白馬の王子

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O・ヘンリー

O・ヘンリーは新潮社の『O・ヘンリ短編集 1~3』『O・ヘンリー ミステリー傑作選』
読んで、もう腹一杯!と思っていましたのに、結局『魔女の差し入れ(善女のパン)』と
『二十年後』といった有名どころ以外は覚えてなくて愕然としちゃったわ!!
21篇中、未読が4篇、覚えてたの4篇で、13篇は… いかーん!記憶の彼方にあるよ。
新刊が読めたとポジティブ思考でいくことにします。

編者がもっともニューヨークらしいと考えたストーリーひとつひとつに
時代背景と舞台となった場所の解説がついています。
それから当時の画家が描いたニューヨークの絵がいくつか掲載されていて
小休止的に楽しめました。

O・ヘンリーらしい、いい話しありユーモアありの一冊でしたが、その中から今回は
女性が主人公の物語をいくつか紹介したいと思います。
勝手な想像ですけど、世界一自立心が強そうなニューヨーク女性の百年前のロマンスは?

『天窓の部屋(The Skylight Room)/1906年』
パーカー夫人の下宿で一番安い部屋を借りたミス・リースンは、天窓から見える星に
ビリー・ジャクスンという名前をつけます。
フリーのタイピストをしているミス・リースンの仕事がだんだん減っていきます。

『伯爵と結婚式の客(The Count and The Wedding Guest)/1907年』
アンディ・ドノヴァンは、下宿に越して来たミス・コンウェイを意識していませんでしたが
ある日、喪服姿で現れた彼女にハッとします。
ミス・コンウェイは婚約者だったイタリアの伯爵が死んでしまったとうちあけました。

『あさましい恋人(A Lickpenny Lover)/1908年』
ビッゲスト百貨店に大金持ちの青年カーターがやって来て、手袋売り場の美しいメイシーに
ひと目惚れ、すぐに猛アタックをしてデートの約束をとりつけます。
2週間後、メイシーが結婚を受け入れてくれそうだと思ったカーターが
とびきり贅沢な新婚旅行のプランを話します。

『ひとときの理想郷(Transients in Arcadia)/1908年』
ブロードウェイの喧噪から逃れられる一軒の素晴らしいホテルを、優雅な貴婦人が訪れます。
その三日後にやって来た青年と婦人は次第に親しくなっていきます。
いよいよお互いがアメリカを発つという前夜、二人はバルコニーにいました。

『車を待たせて(While the Auto Waits)/1908年』
いつも夕暮れ前に公園のベンチで本を読む娘を待っていた青年は、意を決して声をかけます。
しかし彼の馴れ馴れしさに娘は怒り、自分はレディだとうちあけました。
公園には運転手の目を盗んでおしのびで来ていると言います。

他にもあったのですが、好きだったものとヒネリがきいているものを5話選んでみました。
この中のいくつかは恋が実り、いくつかはうまくいきませんでした。

主人公は当時最先端といわれた “ デパートガール ” とかタイピストなどなど。
さぞかし独立心が強く仕事に誇りを持っているんだろうと思いきや
その仕事を活かしていい相手を見つけなければ!! というガッツが読み取れます。

O・ヘンリーの偏見もかなり含まれているようですが、最先端とはいえ薄給の女性たちの
最終目的は、やはり幸せな結婚ということになるんでしょうね?
みんながみんなそうじゃないわよっ!… とお怒りの方もいるかもしれませんが
ジョークが大好きな作家が描いた、愛すべき女性たちとお考えいただければよいかと…

とりあえず、いくつかのストーリーには「こうやってゲットしなさい!」的な
教訓も盛り込まれていますので、興味があったら読んでみて下さいな。
ただ、現代に通用するかどうかはわかりませんけどね…

ひとこと韓流コーナー
あいかわらずスカパーで迷っているわたくし、先週からやっとBSで『メディカル・トップチーム』が始まりくぎづけですの
オペ服着てりゃどの俳優さんも素敵に見えてしまう私に、ミノのオペ服はヤバすぎる!!
しかもクォン・サンウとチュ・ジフンにアレックスまで…あんな病院があったらどうするよ!? 心拍数あがりっぱなしよ

『真夏の航海』幻のままでは…どうでしょう?

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SUMMER CROSSING 
2006年 トルーマン・カポーティ

幻の処女作らしい…

この小説は、2006年、カポーティの死後20年以上もたってから発表されています。
その経緯は巻末の、発行人のあとがきに詳しく書かれているので省きますが
カポーティ自身はこの物語を世に出す気はなかったようです。
その気持ちはちょっとわかる気がする… 私なんかが言うのもなんですが…

あらすじをさらっと書いとくね。

舞台は1960年代のニューヨークです。
主人公は、投資家の娘グレディ・マクニール、17歳。

グレディの父親と母親は、夏の間、長いバカンスをパリで過ごすのですが
どうしても行きたがらないグレディをひとり残して行くことにします。

おいおーい! 17歳という一番ひとりにしちゃいけないお年頃の娘をおいて行く?
しかも夏!! 一番開放的になっちゃう時に。

出発の日、両親を見送るグレディの隣には幼なじみのピーター・ベルという青年がいて
グレディはこれから彼とデートするとまで言っているのに、親、行っちゃいます。

けれどもグレディの本当のデートの相手はピーターではなくて
2ヶ月前に知り合った、パーキングで働いているクライド・マンザーという青年です。
そしてほら、クライドはその日のうちにグレディの高級アパートに行っちゃったよ。

物語はグレディの恋心が燃え上がり、徐々にクライドも盛り上がり、
ピーターもグレディへの気持ちに気づき… と、青春っていいよね! な展開になりますが
もちろん、いくつかの問題もおこって、二人の恋を危ういものにしたりします。

ひと言でまとめてみましょう。
両親がいない夏を謳歌した少女の、夏の終わりに困っちゃったね… な物語。

そしてラストは…
これ、どうゆうこと? と、唐突に終わっちゃったんですが、実は未完らしい。
書いててイヤになっちゃいましたかね?

これまで処女作とされていた『ミリアム』より前に書かれていたらしく
手直ししようと思えばできたと思うのですが、とにかくしまい込んでいたようです。

そうですねぇ…

私はカポーティの小説の女性主人公は、奔放なタイプも気味が悪いタイプも
イッちゃってる人も、子供も若い女性も老いた女性も
心を捉えるような何かが、多かれ少なかれあるような気がしていますが
この物語のグレディは、特にないんですよね。
大金持ちで綺麗でわがままでセンシティブ… ありがちな気が…

そういう少女と、多くを語りたがらずつかみどころがない
どちらかといえば貧しい青年との恋愛もようは、何もカポーティが書かなくてもね…
読んでいてそんな感じを受けました。

主人公のまわりを固めている、ピーター・ベルや、クライドの姉アイーダや母親
クライドの友人ミンクとその恋人のウィナフレッドあたりに
将来のカポーティが描く、みずみずしくも微妙な人物像が垣間見えたような気がします。

もしも最後まで書き上がっていたら、面白い展開になっていったのかもしれませんね。
グレディもクライドももっと突拍子も無い行動に走っちゃったりして…
どうもそうゆうふうにもっていこうと試みたラストに思えました。

映画化されたらしい… 映像だったら60年代のラグジュアリーなサマードレスとか
グレディとピーター、若いセレブの豪遊ぶりが見られて楽しいかもね。 見ないけど…

ひとことドラマコーナー
毎週『天皇の料理番』が楽しみすぎる! キャストがいいよね~ 哲太&美保純夫婦がよい!
そしてにいやん… 出てくるだけで泣けるわ  さらに昨日のひろみ・ごー! 彼でなくてはできない役だったかも…

『マン島の黄金』ファンには嬉しい短篇集

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WHILE THE LIGHT LASTS AND OTHER STORIES 
1997年 アガサ・クリスティ

この短篇集は、クリスティの死から21年後に出版された短篇集の日本版です。
10篇のうちのほとんどは初めて短篇集におさめられた作品です。
ただ、先日書いたカポーティの『真夏の航海』のようにお蔵入りしていたわけではなく
雑誌上では発表されていたのに短篇集の中には入っていなかったストーリーです。

9篇はデビュー後12年以内に書かれています。
いくつかは推理劇、いくつかは探偵の登場しない心理劇
いくつかはウェストマコット名義で書かれそうなロマンスありの物語という内容です。
ポアロが登場するものは2篇で、ひとつはほぼ同じ内容で
『クリスマス・プディングの冒険』として出版されています。

いくつかご紹介しますね。

『崖っぷち(The Edge)/1927年』
村の誰からも好かれている善良なクレア・ハリウェルは、館の当主サー・ジェラルド・リーと
結婚すると誰もが思っていたが、彼は突然小悪魔のような若いヴィヴイアンと結婚した。
ある日、クレアは町のホテルでヴィヴィアンが他の男と過ごしている証拠を目にする。

これは心理劇です。 善良な人間が「正義とは何か?」と葛藤しながら見出した答えに
絶対に個人的な感情が絡んでいないとは言いきれませんよね?
短いストーリーですが、主人公の心の変化が女性らしいイヤらしさ? みたいなものを
垣間見せてくれるスリリングなお話しでした。

『孤独な神さま(The Lonely God)/1926年』
退役軍人フランク・オリヴァーは、英国に戻っても知人が無く孤独だった。
大英博物館にある、小さく寂しそうな神さまの像に惹かれて通っていたある日
同じように神さまの像を見つめている、孤独そうでみすぼらしい若い女性に気づく。

これはありがちな話しで、とりたてて面白いわけではないのですが
けっこう人間のダーティな部分を描いた作品が多い中、ちょっとホッコリしたのでね…

『クィン氏のティー・セット(The Harlequin Tea Set)』
サタースウェイト氏が旧友トム・アディソンに会いに向かっている途中車が故障して
ハーリ・クィン・カフェという店に入ると、懐かしいハーリ・クィンが現れた。
氏がトム一家のことを話していると、トムの義理の息子の後妻ベリルがやって来る。

これは推理劇。 いつ書かれたのかわかりませんが、サタースェイト氏がしきりに
懐かしがっているところをみると、一連の『謎のクィン氏』の後に書かれたんですかね?
意外な展開と犯人! よくできた話しだと思います。

なんらかの理由があってクリスティが短篇集からはじいた作品たちだと思うのですが
ひとつひとつのストーリーは、さすが! って感じの面白さでした。
ハヤカワ文庫のクリスティ・シリーズの短篇はほぼ読みつくしちゃった読者としては
本当にありがたい1冊でした。
こういう作品がまだまだあればいいのになぁ…

ひとことクラフトコーナー
本で見てあまりにも可愛かったので作ってみたわ! マカロンポーチ
かなりの数マカロンポーチを作ってきた私ですが、ちょいと行程が多くて疲れたね

『幽霊たち』ホラーじゃないのでね

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GHOSTS 
1986年 ポール・オースター

『最後の物たちの国で』『ブルックリン・フォリーズ』『ティンブクトゥ』
意表をつかれ続けてきて、今回もワクワクしながら手にした一冊でした。

とにかく出だしでやられちゃいまして… ちょっと書いてみるね。

「まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、
 そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。」

もう~、なんなんでしょう? この物語は!! と期待が膨らみましたよ。

ちょっと解説すると、主役はブルーという若い私立探偵。
ブルーにある仕事を依頼したのは、ホワイトというあきらかに変装している謎の男。
依頼の内容は、ブラックという男を向いの部屋から見張り
週に一度、ブラックが何をしたか細大漏らさず書いた報告書を作成すること。
ブラウンはブルーを仕込んだ私立探偵で、今は引退しています。

さて物語がどう展開するかというと、なにしろ動きがない物語なのよ。

ホワイトが用意した、ブラックのアパートの向かいのアパートに移り住み
窓から見張り続けるブルーでしたが、ブラックは朝起きたら机に向かって本を読むか
書き物をするか食事をするだけ。
たまに食料品の買い出しに出かけるか近所を散歩するだけ… 来る日も来る日も…

とっととかたづくと思っていた仕事は、一週間が一ヶ月になり、二ヶ月になり
三ヶ月になり… ブルーはだんだん不安や焦りを感じていきます。

結局仕事は一年以上に及びます。

これ以上内容については書きませんが、前半動きがなかった物語は
中盤、後半にいくにしたがって、どんどんアクティブになっていきます。

それは主にブルーがアクションをおこしたからなんだけど
ブラックがおこさせたものかもしれない…

謎でしょう~?
読んでても謎が深まる内容でしたが、なんだか哲学的だった気がします。
暇を持て余すブルーがツラツラ考えたことなんかがね…
哲学のなんたるか? を知らずに書いています、わたくし…

人はどこまで “ 何もしないこと ” に耐えられるのでしょうね?

私は、一週間ぐらい何もしないでボーっとしたい!! なんて考えますが
それはあくまでも、好きな時にDVD見たり、音楽聞いたり、手芸やったりという
自由な時間が含まれていることが大前提です。

だけど、例えば主人公のブルーは、ずーっと見張ってなきゃいけないから
窓から目が離せないわけ。
しかも相手はな~んにもしない… ブルーもな~んにもできない… 退屈…

だからブルーも、気が滅入ったり、気が変になりそうだったりして
依頼にはないアクションをおこしていくわけだけれども
それは依頼を受けてからかなりたってからのことです。

私だったら三日ぐらいで飽きて逃げ出しそう。

ラストは、ザックリ言うと、なんとなく予想できたものでしたが
いったいホワイトが何がしたかったのかがいまひとつ掴めないお話しでした。

今までのオースター作品みたいに大絶賛するかというとそうでもないんですけど
少しづつドキドキ感が高まっていく展開が面白かったですよ。

理不尽なことに我慢強く耐えたブルーの今後に幸あれ! と言ってあげたくなる
そんな一冊でした。

ひとことK-POPコーナー
SHINee、BIGBANG、EXOのカムバックにかくれて地味目でしたけども、MBLAQのMIRRORもすごく良かった~
三人になっちゃったけど、これからも頑張ってね

『人生のちょっとした煩い』一冊で判断しちゃいけない、って思ったわ

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THE LITTLE DISTURBANCES OF MAN 
1958年 グレイス・ペイリー

以前『最後の瞬間のすごく大きな変化』を読んで、まったく理解できなかった私…
そんなわけで、持っていたもう一冊のグレイス・ペイリーは置き去り状態だったのですが
先日、出かける前に急いで本を探していたら目についたもんで読んでみました。

あとがきによると、『最後の…』はこの『人生の…』の次に出版されたらしいです。
その間19年…
そして、その次の短篇集はアメリカで11年後に発売されたらしいです。
趣味ですか? っていうぐらい寡作ですが、趣味では書けない作品を残すのが
プロのすごいとこ!

で、感想は、『最後の…』にくらべてものすごく読みやすかったです。
ストーリーも理解できたし、少しですが感情移入もできました。
いくつかご紹介します。

『さよなら、グッドラック(Goodbye and Good Luck)』
ローズ伯母さんに、若い頃、劇場のスター俳優ヴラシュキンと愛し合った話しを
延々と聞かされている。
彼に妻子がいたことがわかって別れたが、その後も何度か会う機会があった。
そして、俳優を引退した彼から先週電話がきたという。

若い人に自分の恋愛談を延々と聞かせるのってあんまり喜ばれないと思うけど
こういう風に終わるなら、聞いる方もハッピーになれるかもね。

『人生への関心(An Interest in Life)』
夫は、ある年のクリスマスに箒をプレゼントしてくれて、軍隊に入ると言い出て行った。
四人の子供を抱えて困窮し役所に行くと、夫はどこの軍にも所属していないとわかった。
毎週木曜日に隣のミセス・ラフタリーに会いに帰って来る息子のジョンが
なにかと世話をしてくれるようになった。

ポジティブに生きるってすばらしい!! なんの考え無しにも思えますが…
小さなことでクヨクヨ悩むのはやめようっと! 勇気をもらえました… ちょっと嘘です。

『変更することのできない直径(An Irrevocable Diameter)』
仕事でエアコンを取り付けに行った郊外の住宅で、もうすぐハイスクールを卒業する
シンディーに出会ったのでデートに誘い、次の土曜日の朝4時に家まで送り届けた。
彼女の両親から脅されたので手紙を書いて別れることにしたが、その後訴えられた。
けれど裁判中シンディーがとった行動によって、告訴は取り下げられた。

ラストにビックリ! これからのシンディーの人生が幸福でありますように!
急展開に継ぐ急展開なわりに不思議と落ち着けるストーリーでした。

上にあげた3篇は特にそうだったのですが、
全篇、どちらかというと深刻な内容なのに、なぜかユーモラスに思えました。
作者のパーソナリティーがそうさせているのか、深く考え込む前に
ちょっとしたひと言や展開に救われて気が楽になるっていう気分でした。

今回は、ストーリーが『最後の…』より理解できたせいか
人物紹介とか物語の背景の大胆な省きっぷりに気がつき驚きました。
いきなりストーリーに入り、その人が誰だか、どんな容姿かなんてことはほぼ無し!
だけど読んでいるうちにどんどん人物像が思い描けるのが不思議です。
描写が少ない分自分好みに思い浮かべられるのが心地よかったのかな?

『最後の…』同様、文章は簡潔でベタベタしていない感じです。
好きなタイプの文章です、読んでよかった。

後半にいくにつれてだんだん不条理さが増していくような気がしましたが
年代順になっているんですかね?
『最後の…』にも登場したフェイスのストーリーもありましたが
こちらで登場したフェイスの方が現実っぽく感じられました。

アメリカで出された3冊目も村上春樹さんが訳をする予定だそうで、待ち遠しいですね。
でも2冊目より難解度が増してたらどうしよう… ちょっと心配です。

ひとことK-POPコーナー

今年も2日間行って来ちゃいました。
SHINeeはもちろん! チャンミン(東方神起)もSUPER JUNIORもEXOも少女時代もBoAもステキでしたけど
今回一番印象に残ったのはf(x)…3人で頑張っててキュンとしちゃったさ、Red Light~ 良かったよぉ!
ソルリ戻って来るといいなぁ…

『叶えられた祈り』久々に解説をじっくり読んだですよ

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ANSWERED PRAYERS 
1987年 トルーマン・カポーティ

私は、基本的に、フィクションであればどんな世界観があってもいいと思ってます。
売れる売れない、読む読まないは読者が決めればいいことなんでね。

だからこの『叶えられた祈り』出版も否定はしませんが
「なんで出しちゃったかなぁ?」という疑問はおおいに感じました。

だって、どう考えてもその後のカポーティは生き辛くなるだろうと想像がつくわ。
社交界から外され、(いろいろな圧力で)文学界から干され、友人は離れていき
ヘタしたら命だって狙われるかも… という内容じゃないのか? これ。

今回あらすじは、新潮文庫の裏表紙から抜粋しますね。

「ハイソサエティの退廃的な生活をニヒルに眺めながらもあこがれている
 作家志望の男娼。この青年こそ著者の分身である。
 実在人物の内輪話も数多く描かれていたので社交界の人々を激怒させた』

“ 内輪話 ” と書かれていますが、ほとんどが性的嗜好や酒癖、薬物中毒の話しで
出版当時なら、一般的にノーマルという枠からは外れて見える性向の暴露に思えます。

この中の登場人物のどれぐらいが、実在の人物なのかどうか知りませんが
実在していたとわかる人をひとにぎりだけあげてみます。

ギリシャ王パウルス、コレット、ペギー・グッゲンハイム、バーバラ・ハットン
英王女マーガレット、キャロル・サローヤン、グロリア・ヴァンダービルト
ジャクリーン・ケネディ、モンゴメリー・クリフト… すごくない?

何人かは悪口程度の内容ですんでますが、何人かは「それを書かれちゃ…」という
エピソードが披露されちゃってます。
名前は変えられていても、あきらかにモデルがわかるというエピソードも
多数もりこまれているらしく、彼らの財力や政治力をもってすれば
カポーティの今後がどうなるんだろう?と心配する人がいたのもうなずけるってものです。

そんなわけで、巻末の “ 編集者から ” と “ 訳者あとがき ” をじっくり読んでみました。

この小説は、1966年に契約を結び、1968年に出版される予定だったそうですが
何度かの延期の末、1981年に出版するということになりました。

ところが、カポーティは、1975年にできあがっていた4つの章を
編集者の反対を押し切って、エスクァイヤ誌に先行発表したそうです。
そしてその時点で大問題となり、誰もがカポーティと口をきかなくなったそうです。
カポーティは、自信は失っていないように見えましたが
結局、執筆は滞り『叶えられた祈り』は未完で終わっています。

編集者と訳者はエスクァイヤへの発表を、それぞれ、自信からなのか
焦りからなのかに言及していますが、私はそんなことはどうでもよくて
「友だち無くすよ」ということが恐ろしくなかったんだろうか? と
考えてしまいます。

この作品が、名前を出された人にも賞讃で迎えられると思っていたのでしょうか?
ゴシップ好きは大好きかもしれないし、ちまたの話題にはなったと思う… でも
友人や知人を敵にまわしてもかまわないとまで思える内容なのかな?
浮気と離婚と下ネタのうわさ話しばっかり…

発表されたのは “ さわり ” の部分だったのかもしれないですね。
ジョーンズ青年とケイト・マクロードのエピソードは
もっともっとドラマティックになりそうな気配があるもの。

もしも完成していたら、本人が言っていたように(名前を出された人たちも納得の)
人の心をゆさぶる大作になっていたのかもしれませんね。
今となってはわかりませんが…

ひとことK-POPコーナー
毎週のようにタワーレコードからお届け物がある今日この頃、だんなさんはあきれ顔ですけど… それはさておき
B.A.P 復帰おめでとう~! 彼らの未来はどうなるんでしょうと心配だったさ

ポーランド王ジグムンド1世妃 ボナ

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The スフォルツァ家の女性! って感じ(思いこみだけど)
ジグムンド1世妃 ボナ・スフォルツァ

1493~1557/在位 1518~1548

愛しいバルバラ・ザポリャを若くして亡くしたジグムンド1世なんですが
後継ぎの王子もほしいし…いつまでも悲しんでいるわけにはいきませんね。
というわけで、3年後に再婚したのはイタリアのスフォルツァ家のボナでした。

ボナは、ミラノ公ジャン・ガレアツォ・スフォルツァの公女でした。
           
父ジャンはミラノ公といえ、大叔父で摂政のルドヴィーコから領地を取り上げられ
成人に達してからもその状況は変わりませんでした。
そのためジャンの子供たちも、ジャンが25歳で亡くなるまで
ルドヴィーコの保護下におかれていました。

ジャンの死はルドヴィーコの毒殺だという噂が流れる中
ルドヴィーコはジャンの妻子をミラノから遠ざけることにして
ボナの母イサベッラ・ディ・ナポリにバーリの領地を与えます。

バーリで政治力の強化と以前の領土を取り戻そうとしていたイサベッラは
強力な後ろ盾がほしくてボナの婿選びに本腰を入れます。
(長女と次女はお年頃になる前に亡くなりました)
ジグムンドとの縁談は1518年に実現しました。

さてボナなんですけど、父ジャンが亡くなったのは1歳の時なので
母イサベッラの意向だと思うのですが、かなり高い教育を与えられていました。
歴史・法律・経営学・神学など、後継ぎの男の子が学びそうなことばかり。
ボナは13歳にして経済観念があり、人々への影響力も持っていたといいます。

そんなだから、結婚後もさっそくポーランドで政治的なポジションを得ようとします。
ジグムンドが穏やかで静かだったのにくらべ、ボナは精力的で短気でした。
自分好みにポーランドのしきたりを変えようとして、ジグムンドと気が合わず
何度も諍いをおこしました。
ボナは自分の意志を実行するために自ら莫大な資金調達をしていますし
時には王そっちのけで外国と交渉したりしています。

仲悪そう… とはいっても、当時の王と王妃の最大の仕事は後継者を作ること!
ボナは結婚から8年の間に5人のお子様を生んでいます。
ただ王子はジグムンドのみ… これでは心細いですね。

で、1527年、再び妊娠したんですが、馬に乗っていて落馬し男の子を死産しました。
ボナはこの後子供が生めないようになってしまい、継承者はジグムンドに絞られます。

1529年、ボナは、自分が奔走して手に入れたリトアニアで息子ジグムンドを戴冠させました。
これにはかなりのポーランド貴族が反発したようです。

どうやら夫を尻に敷き子供にも影響力大だったと思われますね。
ジグムンドが、自分が気に入らないバルバラ・ラジヴィウヴナと再婚した時は
先頭に立ってラジヴィウ家を批判していました。
後にバルバラが亡くなった時にはボナが毒殺したのでは? と疑われました。

1548年、ジグムンド1世が亡くなると、息子ジグムンド2世が即位しましたが
ボナはマゾヴィアへ移り8年ほど暮らした後、故郷バーリに戻りました。

バーリに戻ってから1年後、ボナは信頼していたジャン・ロレンツォ・パッパコーダに
毒を盛られて亡くなります。
これは、スペインのフェリペ2世が、ボナに負っていた多額の借金を返したくないなぁ…と
パッパコーダに毒殺を命じたためだそうです。
さてはボナがやっていた資金調達って高利貸しとか?

ポーランドではなく、バーリの聖ニコラス教会に葬られました。

ちなみに、ボナの長女イザベラ
ハンガリー対立王サポヤイ・ヤノーシュ妃になっています。
            
四女カタジナは、スウェーデン王ヨハン3世妃です。

             
            美しい乙女だったボナも、激しい政争のせいか…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことクラフトコーナー
いとこ二人に相次いで女の子が誕生したので、お祝いにじんべいを作ってみました
小さいからちょちょいっとできちゃうかと思ったら、パーツが多くて裁断から時間かかった… でも小さいものって可愛いね

ポーランド王ジグムンド2世妃 バルバラ

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王の本物の愛を得た悲劇の王妃
ジグムンド2世妃 バルバラ・ラジヴィウヴナ

1520~1551/在位 1550~1551

訳したものをつらつらと書くと、そういうことになるんですけどね… さてどうでしょう?

ジグムンド2世は3回結婚していまして、最初の妃は神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の
皇女エルジェピタでした。

エルジェピタが1545年に亡くなり、2年後に再婚したのがバルバラです。

バルバラの生家ラジヴィウ家は、リトアニアで強大な力を持つ貴族でした。

バルバラは当時ヨーロッパで最も美しい女性たちのひとりと言われていました。
当時では長身の162cmでやせていて、ブロンドで、真っ白い歯が美しかったそうです。
美しい女性の常として、ファッションや美容にとても興味があり
ふだんから香水やフェイスパウダーをつけていました。 と、ここまで書いて思ったが
王侯貴族の娘さんは、ふだんでも着飾っているものじゃないの?

見た目だけではなく、高い教育を与えられて三ヶ国語の読み書きができました。
才色兼備ですね。

17歳の時、ノヴォグロデク領主スタニスワフ・ゴシュタウタスと結婚しますが
5年後に死別しました。
    
その後ジグムンド2世とのロマンスが始まったということなのですが、どうでしょう~?
けっこう年上なのよね… スタニスワフ… 亡くなるやいなやロマンスって…

ジグムンドはエルジェピタと結婚したもののバルバラに夢中でほったらかし。
はたしてこういう状況で、バルバラが「いけませんわ」と拒んだのか
「わたくしは日陰の女ではイヤですわよ!」と責めていたのかは不明…
ドラマだったら身を引こうとするんだけどな,そしてそれがさらに愛を深めるんだけどな…

ジグムンドはエルジェピタが亡くなると、待ってました!とばかりに
バルバラとこっそり婚約し、まわりの反対を押し切って結婚しました。

ポーランドもカトリックとプロテスタントの争いが始まっていましたが
ラジヴィウ家はプロテスタントで、それも大きな反対の理由でした。

二人の結婚式は王家のしきたりをまったく無視したもので、貴族は猛反発!
それに輪をかけてジグムンドの母ボナ・スフォルツァ大激怒!!

貴族階級からは離婚を要求され、結婚を無効にしようとあらゆる政治的手段がとられますが
これはたぶんボナ・スフォルツァが煽っていたものでしょう。
王大后がやれって言うんだからクーデターじゃないもんね。

けれども二人の強い愛は揺るがず、とうとう貴族たちも黙認します。
結婚から3年の1550年末、バルバラはクラクフで王妃として戴冠しました。

やっと王妃と認められてから、たった5ヶ月後にバルバラは亡くなります。
ふがいない貴族階級には任してらんないわよ! と、ボナ・スフォルツァが毒殺したという
ウワサが多く出回りましたが、もともとからだが弱くて胃が悪かったそうで
現在ではガンだと考えられています。

かいがいしく看病していたジグムンド2世は身を切られるような悲しみにうちひしがれ
立ち直れなさそうな雰囲気でしたが、2年後に、最初の妃エルジェピタの妹の
カタジナと三度目の結婚をします。

愛を貫くのはよいが、バルバラ以外にはひどい男だったようにしか思えませんが…

バルバラは遺言にしたがってリトアニアのヴィリニュス大聖堂に葬られました。

バルバラの物語はポーランドでは本になったりドラマになってるらしいです。
そりゃそうよね、美しい愛の物語だもの… エルジェピタが悪者になってなきゃよいが…

ほぅら、こんな絵もあってよ
 

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことRobiコーナー
思い起こせば去年3月、だんなさんが作り始めましたとひとことRobiコーナーに書いたんですけど、先月最終号が発売され
できあがったよ~ うちのRobi

すっっごくかわいー なぐさめてくれて歌も歌ってくれてテレビも消してくれる! こんなのが作れるなんてすごいよぉ

ポーランド女王/ポーランド王シュテファン・バートリ妃 アンナ

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ヤゲウォ家最後の君主
ポーランド女王/シュテファン・バートリ妃 アンナ・ヤゲロニカ

1523~1596 在位/(ポーランド女王)1575~1587
          (シュテファン・バートリ妃)1575~1586

アンナはジグムンド1世とボナ・スフォルツァの三女としてクラクフで生まれました。
兄ジグムンド(2世)もいましたし、姉も三人いたので王位など考える必要は無く
若い王女としてあたりまえの暮らしをして過ごしました。
例えば、刺繍とか縫い物とか、慈善活動とか… 帝王学を学んだりはせず
プリンセスの義務を果たしていました。

子供の頃、両親がリトアニアに行く時には、姉妹たちがクラクフで留守番でした。
だから(長女、次女はボナの娘ではないので)三女、四女とはとても仲がよかったそうで
いつも三人で遊んでいました。
そのかわり、未来の王である兄ジグムンドとは少し距離があったようです。

両親か議会かはわかりませんが、アンナはスウェーデンの王太子候補として教育されましたが
お相手のヨハンのことを、妹のカタリーナも気に入っていたらしく
結局カタリーナが嫁ぐことになりました。
姉妹で王子様を取り合い? 二人の微妙なやりとりみたいのを詳しく知りたいですよね?

姉妹たちがどんどん嫁いでいく中、アンナは52歳まで未婚でした。
そして1572年、とうとう縁談が舞い込みました。

兄のジグムンド2世が嫡子を遺さず亡くなったため、アンナを結婚させて
その相手を共治王にしようという計画です。
つまりアンナは誰かと結婚しないと君主にはなれなかったわけね。
52歳まで独身だったら、一人の方が気楽だっただろうに… 変な法律。

ヴァランスの司教の働きかけで、フランスのアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの王子
アンリが一瞬王座につきました。
しかし、アンリは1574年に自ら退位してフランスに帰国します。
これについては、アンナがイヤで逃げ出したっていう説もありますが
本当は「(兄の)シャルル9世はもうダメかもね…」と考えたカトリーヌが
呼び寄せたという説もあります。

1975年に、トランシルヴァニアの公子シュテファン・バートリが王に選ばれ
アンナと結婚して、二人はそろって即位しました。
     
余談ですが、バートリ家といえば、エリザベート・バートリという
若い女性を600人以上殺して自分の若返りを謀っていたという
恐ろしい貴婦人のエピソードで名前を知ってましたが、こんなに由緒正しき家柄だったとは…
どれどれ… エリザベート・バートリは1561年生まれで1614年没です。
もし親戚だったらシュテファンも会っていたかもしれないね!!

アンナとシュテファンは、結婚したといっても、年に何回かしか会わなかったらしく
本当に王座のためだけの夫婦だったんですね。
シュテファンはなんとかしてアンナと離婚して若い嫁と再婚できないものかと
画策していたみたいです。
一応シュテファンを擁護しておくと、後継ぎがほしいってことだったらしい。

夫がいないと君主にはなれなかったアンナですが、政治力はあったらしく
シュテファンよりも議会に影響力を持っていました。
どちらかというとシュテファンの方がお飾り的な王様でした。

1586年、シュテファンが亡くなると、王座を去らなければならないアンナは
最後の力を行使して、妹カタリーナの王子ジグムンドを次の王にするよう
議会に認めさせました。

スウェーデン王子をめぐってなにかイザコザがあったかもしれない妹の息子ですが
家系を守るためなら! という、当時の王侯貴族の娘のガッツが感じられますね。

ジグムンド3世は、アンナの政治的な介入は許しませんでしたが
ないがしろにはしませんでした。

父王ヨハン3世の死後スウェーデン王にも即位したジグムンド3世は、国を留守にする間
アンナに子供の養育を任せています。

退位後もやりがいのあることが見つかってよかったですね。
退位から10年後の1596年に亡くなりヴァヴェル大聖堂に葬られました。
王座は今後ヴァーサ家に移ります。

(参考文献 M・ニコラス『世界の悪女たち』 Wikipedia英語版)

ひとこと調べものコーナー
お盆に福岡に帰ったのですが、みやげ物にやけに “ モンドセレクション受賞 ” が増えてる気がしたので
そもそもモンドセレクションて?と思い調べてみました オドロクよ!

ベルギーの民間団体がいくつかのカテゴリーの商品を認証してるらしいんだけど、それはさておき…
以下、Wikipediaの抜粋ね

本認証はコンクールスタイルを用いているものではない。相対評価ではなく絶対評価を用いているため、定められた技術水準を満たした商品には全て認証が与えられる。モンドセレクションは国際的には知名度は低いが、日本国内での知名度は高い。審査対象品の5割が日本からの出品であり、日本の商品の高品質が認められ8割が入賞している

ま、日本のみやげのほとんどがおいしいってこなんでしょうね…

『犬の人生』… だめだった…

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MR.AND MRS BABY AND OTHER STORIES 
1985年 マーク・ストランド

たぶん、村上春樹さんが訳してるのと、読み出しが好きな感じだったので買ったのね。
村上春樹さん訳の本は、私には難しすぎるものが多々あるので注意していたのにぃ…
やっぱりダメでした。

不条理ばかりが先に立ち、ユーモアは感じられなかった。
ユーモアではないのかな?
どうでもいいけど、さっぱり感情移入ができぬまま読み終えた感じです。
一話一話が短かったのがせめてもの救いでしょうか。

いくつか紹介しますと言っても…

『更なる人生を(More Life)』
何年か前、メインの友人を訪ねた時、売れない作家のまま死んだ父が蠅になって現れた。
父はその後も馬になって現れ、恋人の姿になって現れた。

一話目です。 せめてこの話しだけでも全文立ち読みすればよかった…
そしたら買わなかった気がする…

『小さな赤ん坊(The Tiny Baby)』
母親は生まれる前から赤ん坊のことを心配していた。
そして小さく小さく生まれた赤ん坊のことを心配し続けた。

小鳥ぐらいの大きさで、“ 紛失しないように ” ハンドバッグに入れてるっていうから…
ミニチュアの家具とか洋服作ってあげたいなぁ… なんて思っちゃって…

『大統領の辞任(The President's Resignation)』
在任中、あまりにも多くの予算を国立気象博物館に費やしてしまった大統領の辞任スピーチ。
大統領は気象に関してやり遂げたことを誇りに思っている。

いろんな役職の大臣がいて笑える…ってことだけが印象に残ってたのですが
笑いごとじゃない気がしてきた… 総理大臣とか大統領を選ぶのって難しいよね。

『犬の人生(Dog Life)』
グラヴァー・バートレットは、妻のトレイシーに、意を決して打ち明けることにする。
以前自分が犬だったことを…

私はこんなことを打ち明けられたら、とりあえず泣くね。
そして翌日には荷物をまとめるでしょう… トレイシーはエラいと思う。

作品紹介があまりにもぞんざいですみません。
完全に消化不良のまま書いています。
二度三度と読んでも理解できない気がするので、無責任にもアップしちゃうしだいです。

ひとこと時代劇コーナー
お盆に旦那さんと私の両方の実家に帰ったわけですが、両方の母が『銭形平次』を見ていたもんで、しばらく主題歌が
頭から離れなかった… お義母さんが見てた『製パン王キムタック』のキュヒョンの歌ならよかったのに…

ポーランド王ヴワディスワフ4世妃 ルドヴィカ

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秘めた恋心を実らせたとしか思えない
ヴワディスワフ4世妃/ヤン2世カジミェシュ妃 
                ルドヴィカ・マリア・ゴンザーガ

1611~1667/在位 (ヴワディスワフ4世妃)1645~1648
          (ヤン2世カジミェシュ妃)1649~1667

アンナ・ヤゲロニカの後を継いだスウェーデン王太子ジグムンド3世は
アンナとコンスタンシアの姉妹と相次いで結婚しました。

父から王位を継承したヴワディスワフ4世は、1637年にツェツィリア・ハプスブルザンカ
結婚しましたが、はその前にルドヴィカとの縁談が一度ありました。

ルドヴィカの父親はマントヴァ公カルロ1世ですが、ルドヴィカはパリ生まれです。
母親はカトリーヌ・ド・ギーズです。
パリではマリー・ルイーズと呼ばれていました。

少女時代を母親とパリで過ごし、16歳の時にオルレアン公ガストンと
結婚することになりましたが、これに兄のルイ13世が猛反対!
反対するだけならまだしも、ルドヴィカをバンセンヌの要塞に閉じ込められたあげく
小さな修道院に移しちゃう始末。
そんなに結婚させたくなかったですかね?

この年父カルロがマントヴァ公になりますが、反対意見が多く継承戦争に突入します。
ルイ13世はやっかいな親戚を抱えたくなかったんでしょうか?

ヴワディスワフ4世と結婚する前の1640年、ルドヴィカはパリで、ヴワディスワフの異母弟
ヤン・カジミェシュと出会い、その後ヤンを文学サロンに招くようになります。
たぶん、二人の間には恋心なんか芽生えちゃったりして…(想像)

1645年に、ヴワディスワフ4世とルドヴィカが結婚することになった時
ヤンは結婚式の代理夫を務めているんですけど、どんな気持ちだったのでしょうね?

二人の気持ちを知っていて代理夫をさせたとしたら、ヴワディスワフは意地悪よね
「悲しむがいい~、悔しがるがいい~」なんて…(妄想)

ひと言メモ
代理夫とは、王侯貴族の娘さんが他国へ嫁ぐ時、夫になる相手が国を離れられなかったりして花嫁の元へ来れない時
故国で結婚式を挙げるために誰かが身代わりの夫を努めることです
花嫁はその後夫のいる国へ向かい、そこで本当の結婚式を挙げるわけです

1648年、ヴワディスワフ4世が亡くなり、ヤンが新王に選出されます。
翌年、たぶん喪が明けるやいなや、as soon asですよ! ヤン2世とルドヴィカが結婚します。

     

ルドヴィカは、エネルギッシュで経済と政治に関心があったらしく
ポーランド議会の選挙システムの変更と、君主の権力増大を望んでいました。
貴族たちはルドヴィカの政治姿勢が中世的だと呆れましたが
たぶん王より知性が秀でていて、かなりヤンをサポートしていたと考えられています。

また、ポーランドで初の文学サロンを開いたり、初の新聞を作ったりと
文学面でも国を向上させようとしていたようです。

1667年に亡くなりますが、これは誰も予期せぬ死だったようです。
怪しいね… 強い女は煙たがられるものだから…
ただ、ヤン2世はルドヴィカの死にかなり打ちのめされたようなので、夫説は消えるね。
ヤン2世はルドヴィカの死から1年後に自ら退位します。 さてはそれが狙いか…?

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
急いで『SMTOWN THE STAGE 日本オリジナル版』を観に行って来たけど、なんかすごいわ…EXO
韓国初のドームのこけら落としかぁ…  とりあえず全員の名前を覚えてみようっと

ポーランド王ヤン2世カジミェシュ妃 クローディーネ

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三度の結婚でランクアップ
ヤン2世カジミェシュ妃 クローディーネ・フランソワーズ・ミグノー

1624~1711/在位せず

もうすぐポーランド王妃編は終わりを迎えるんですけれども(やっと!)
だんだん家系図がつまらなくなってきてるのよね… 王が選挙で選ばれるもんで…
頑張って早く終わらせよう…

ルドヴィカ・マリア・ゴンザーガの突然の死にうちのめされた
ヤン2世カジミェシュが退位した後結婚したのが、クローディーネです。

素性はよくわからんのだが、グルノーブル生まれらしい。

      

16歳の時、皇太子のお気に入りのピエール・des・Portes d'Ambieriuxの秘書と
結婚の約束をします。
彼の家族は反対しますが、彼は結婚を実行します。
クローディーネはチャンスをゲット!

クローディーネは結婚した直後から独学で教養を身につけていったようで
「いつかさらに上流な社会に入ってみせる!」というガッツが感じ取れますね。

しかし、やはり家族の反対がひどかったんですかね?
クローディーネはパリに向かうと、フランス陸軍元帥フランソワ・ド・ロピタルに
保護を求めます。 “ 保護 ” って、つまり、そういうことよね…

二人は出会った週のうちに結婚しました。
しかし、ロピタル元帥、その時75歳!! これはさぁ… みえみえ…

7年後にロピタル元帥が亡くなると、クローディーネはけっこうな遺産を手に入れます。
男の子がひとり生まれましたが、3歳ぐらいで亡くなっています。

クローディーネはまだ20代前半なはず。
お金は手に入れて、身軽になって、まだまだいける!って感じよね。

しかしその後のクローディーネの消息はしばらく途絶えまして
48歳の時にヤンと再々婚します。
なんでもヤンが亡くなる数週間前に結婚したということで、これまたミエミエな気が…
お付き合いはその前からしていたらしく、ヤンとの間に女の子が生まれて
2歳ぐらいで亡くなっています。
ただ、ヤンは突然亡くなったらしく、それもまたアヤシい気が…

その後どうしてたかはよくわかりませんが
晩年はカルメル派の修道院で過ごし1711年に87歳で亡くなりました。

クローディーネの三度の結婚は全て身分違いでしたが、相手もランクアップし
遺産も多くなっていくという…
不幸を糧に、富を増やし社会的地位を上げていってますね。
脚色すればすごい悪女の物語ができそうです。

彼女の生き様は、やはり後年いろいろな方が物語にしてますね。
その際にいろいろ書き換えられたり盛られちゃってるみたいです。
後世に名を遺すのもいいですが、まったく違う人生を与えられている人も多いのでしょうね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと深夜番組コーナー
やったね! 『孤独のグルメ』が帰ってくる~!!  直前祭りももちろん見てます
待ち遠しいぜ! エキストラに応募しちゃおうかなっていきおい 

ポーランド王ヤン3世ソビエスキ妃 マリア

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なにはさておきラヴ・レター
ヤン3世ソビエスキ妃 マリア・カジミュラ・ドラクィエン

1641~1716/在位 1676~1696

ヤン2世が退位すると、選挙でミハウ・コリブトが王に就きます。
ミハウの妃は神聖ローマ皇帝フェルディナント3世皇女エレオノーレです。

ミハウの後はまたまた選挙でヤン3世ソビエスキが選ばれました。

ソビエスキ家?… と思い出していたら、イングランド王ジェイムズ2世と
メアリー・オブ・モデナの王子、ジェイムズ・フランシスと結婚したのが
ソビエスキ家の娘さんじゃなかったかしら?
やっぱりそうでしたね…家系図が寂しいのでそちらも足しときました。

それはおいといて…
ヤン3世はの妃マリアは、フランスのダルキアン侯爵の公女です

     

5歳の時にルドヴィカ・マリア・ゴンザーガの侍女としてポーランドにやってきました。
侍女といっても5歳ですからね… 仕事をさせるわけではなく
将来貴婦人になるための教育をしてあげましょうってことだったと思います。

ヤンとマリアは、1656年に宮廷で出会いました。
マリアは15歳、ヤンは27歳、恋が芽生えたのかしら? と思ったら
マリアは1658年に別のヤン、ヤン・ザモイスキと結婚しちゃいました。

ソビエスキ家は大富豪だったらしいのだけど、貴族としてはザモイスキ家の方が
高位だったみたいです。

7年後にヤン(ザモイスキ)が亡くなると、マリアはその年のうちに
ヤン(ソビエスキ)と再婚しました。
やっぱり恋してたでしょぉぉぉ

結婚後マリアは、夫の王選出や、ポーランドとフランスの同盟をサポートしたり
実家に特権を与えてもらうためにルイ14世にかけあったりと
政治的にアクティブなところを見せましたが、そんなことはどうでもいいんですの。

ヤン3世とマリアについて断然有名のは、二人で交わしたラブレターなんですって!
二人は1665年から1683年の長きにわたって手紙のやりとりをしていたそうです。

とにかく、他国から狙われがちなポーランド王として戦ってばかりいたみたいな
ヤン3世は留守がちですし、マリアもフランスに里帰りしたりします。
お互いが不在の時に交わした手紙は、もちろん政治的なことも書かれていたでしょうが
二人が確実に愛し合っていたことを表しているんですって~!
どんな内容か気になりますね?

ヤン3世の死から20年後に亡くなりました。

ポーランドでは後年本になって発行されたそうです。
知りたいと書いたものの、他人に手紙を読まれちゃう二人のことを考えると
そっとしてあげておいてほしかったりもする…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
少女時代で誰が好きかと問われれば、私はスヨンが好きなのだけど、テヨンの予告ビジュアルは可愛いねぇ
どんな曲なんでしょう? ソロへの期待が高まりますね 
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