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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド公ミェシュコ3世妃 エルジェビエタ

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ちょー幼妻かもしれない
ミェシュコ3世妃 エルジェビエタ・ヴェギエルスカ

1128〜1154/在位せず

兄ボレスワフ4世から最高公の地位を継承したミェシュコ3世という人は
何度も退位したり即位したりと忙しい人でした。

ミェシュコは、1136年頃ハンガリー王ベーラ2世の王女エルジェビエタと結婚しました。
この縁談にも母親のシャロメアの奔走ぶりが垣間見えますね。
息子の味方がいっぱいほしーよー!!というガッツが感じられます。

      
けれどもこの記録が正しいとするとエルジェビエタは8歳か9歳です。
いくら中世とはいえ若すぎ! ということで、ベーラ2世の娘ではなく姉か妹、
つまりクロアチア公アールモシュの公女では?という説もあるそうです。

どうなんでしょうね?
一番上の子は1149年以前に生まれてるらしい… エルジェビエタは20歳前後ですね。

1154年に26歳か27歳で亡くなったとされています。
やはり幼くして嫁いだのでしょうか?
現在なら小学生… いくら国益のためとは言っても
争いの絶えない異国に娘をやる親の神経もすごいものがありますね。



              
継母モード全開だったのかどうかは謎
ミェシュコ3世妃 エウドクシャ・イジャスワヴォヴナ

1131〜1187/在位 1173〜1177

ミェシュコはどうやら前妃エルジェビエタが亡くなるとその年のうちに再婚したみたいです。
お相手はキエフ大公イジャスラフ2世の王女エウドクシャです。
        
キエフもなんだか目まぐるしく大公が替わっている印象があるのですが
こまめに縁談をまとめていますね。
神聖ローマ帝国の介入が激しくなってきたこの時期
キエフ大公国はポーランドにとって重要な相手だったみたいですね。

ミェシュコは1173年に最高公に即位しましたが、1177年に退位しました。
これは前妃エルジェビエタが生んだ長男オドが「エウドクシャの子ばかりひいきする」と
叔父、つまりミェシュコの弟カジミェシュ(後の2世)の助けを借りて
反乱をおこしたためです。
ただの焼きもちじゃすまないのが王家のつらいとこ… 継承権がかかってますから。
カジミェシュもただの親切心だけで助けたわけじゃなさそうですね。

このえこひいきにエウドクシャの意思が関わっているのかどうかは不明です。
小さい子の方が可愛いから… とミェシュコがかわいがっていただけかもしれないしね。

結局(親子喧嘩の果てに)ポーランドからの逃亡を余儀なくされたミェシュコは
まずは長女のエルジェビエタの嫁ぎ先ボヘミアのソビェスラフ2世に助けを求め
そして、たぶん次女リュドミラか三女ユディスの嫁ぎ先のドイツへ向かい
最後に五女アナスタジアの嫁ぎ先ポメラニアのボギスラフ1世を頼りました。
ちなみに三女までは前妃エルジェビエタの子ね。

エウドクシャも同行していたようです。
前妃の娘たちとは上手くやっていけたのかしら?
もしも再婚後冷たくあたっていたとしたら居心地が悪かったでしょうね。

ミェシュコは1187年に領土を回復して1191年に復位しています。
エウドクシャは領土回復の時には生きていたと推測されていますが
復位の時には亡くなっていたとされています。

1187年以降の記録は無いようなのですが、1209年死亡説もあるそうです。
そうすると、ミェシュコの4回に渡る退位・復位に付き合ってるわけで…
ご苦労様です。

(参考文献 沼野充義氏『中欧』 Wikipedia英語版)

ひとこと韓流コーナー
私はイ・ソヨンという女優さんが好きで、BSで始まった『恋せよ、シングルママ』というドラマを見始めたのですが
20話までかと思っていたら50話まであるんだって! 長い…長過ぎる…でももうやめられない

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