肖像画が無いので母アニェス像
父王の横暴で身分が定まらず
フィリプ2世王女 マリー・ド・フランス
ナミュール公フィリプ1世妃/ブラバント公ハインリヒ1世妃
1198〜1238
以前わたくしがさんざんぱら悪口を書いたフィリプ2世は3度結婚しています。
王女はマリーだけで、三人目の妃アニェス・ド・メラニーの子です。
フィリプ2世は二人目の妃インゲボルグと強制的に離婚しアニェスと結婚しましたが
この結婚をローマ教皇インノケンティウス3世は認めませんでした。
フィリプの要請でなんとかマリーと弟のフィリプは嫡子となることができました。
しかし、1213年、幽閉されていたインゲボルグの復帰で
マリーとフィリプは庶子になりました。
マリーは2歳の時にスコットランド王子アレグザンダー(2世)と婚約していました。
この婚約は4歳の時に破棄されます。
なんでしょね? インゲボルグの実家デンマークからのクレームでしょうか?
すぐにイングランド王ジョンと敵対していたブルターニュ公アルチュールとの
婚約が決まりましたが、翌年アルチュールが行方知れずになったため消滅しました。
ちなみに、スコットランド王アレグザンダー2世は後に
ジョン王の王女ジョアンと結婚しました。
結局マリーはナミュール公フィリプ1世と結婚しました。
フィリプの姉イザベルはフィリプ2世の最初の妃です。
フランドル家は当時フランスと戦争中で、フィリプは投獄されていました。
許されぬ恋かしら? だとしたらロマンティックですね。
実際はたぶんフランドル家を懐柔する狙いがあったと思われますが
ともあれ、フィリプはマリーとの結婚で自由を得ることができました。
でもフランドルとエノーの貴族は大激怒!そりゃそうだわね。
子供ができないまま、フィリプは1212年に亡くなりました。
マリーは翌年、ブラバント公ハインリヒ1世と再婚しました。
ハインリヒの前妃はイングランド王スティーヴン王女マリーの娘マチルダです。
女の子が二人生まれていますが、妹の方は若くして亡くなっています。
ハインリヒ1世と最初の妃マチルダの長女マリーは神聖ローマ皇后になったりしてるんですけど
マリーの娘はそんなにいい縁談がこなかったみたいです。
40歳で亡くなりアーフリゲム(ベルギー)の修道院に葬られました。
フィリプ2世とマリーの母アニェスの結婚が認められていたらどうだったでしょう?
なんたって唯一のフランス王女ですから、人生が違っていたかもしれませんね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
父王の横暴で身分が定まらず
フィリプ2世王女 マリー・ド・フランス
ナミュール公フィリプ1世妃/ブラバント公ハインリヒ1世妃
1198〜1238
以前わたくしがさんざんぱら悪口を書いたフィリプ2世は3度結婚しています。
王女はマリーだけで、三人目の妃アニェス・ド・メラニーの子です。
フィリプ2世は二人目の妃インゲボルグと強制的に離婚しアニェスと結婚しましたが
この結婚をローマ教皇インノケンティウス3世は認めませんでした。
フィリプの要請でなんとかマリーと弟のフィリプは嫡子となることができました。
しかし、1213年、幽閉されていたインゲボルグの復帰で
マリーとフィリプは庶子になりました。
マリーは2歳の時にスコットランド王子アレグザンダー(2世)と婚約していました。
この婚約は4歳の時に破棄されます。
なんでしょね? インゲボルグの実家デンマークからのクレームでしょうか?
すぐにイングランド王ジョンと敵対していたブルターニュ公アルチュールとの
婚約が決まりましたが、翌年アルチュールが行方知れずになったため消滅しました。
ちなみに、スコットランド王アレグザンダー2世は後に
ジョン王の王女ジョアンと結婚しました。
結局マリーはナミュール公フィリプ1世と結婚しました。
フィリプの姉イザベルはフィリプ2世の最初の妃です。
フランドル家は当時フランスと戦争中で、フィリプは投獄されていました。
許されぬ恋かしら? だとしたらロマンティックですね。
実際はたぶんフランドル家を懐柔する狙いがあったと思われますが
ともあれ、フィリプはマリーとの結婚で自由を得ることができました。
でもフランドルとエノーの貴族は大激怒!そりゃそうだわね。
子供ができないまま、フィリプは1212年に亡くなりました。
マリーは翌年、ブラバント公ハインリヒ1世と再婚しました。
ハインリヒの前妃はイングランド王スティーヴン王女マリーの娘マチルダです。
女の子が二人生まれていますが、妹の方は若くして亡くなっています。
ハインリヒ1世と最初の妃マチルダの長女マリーは神聖ローマ皇后になったりしてるんですけど
マリーの娘はそんなにいい縁談がこなかったみたいです。
40歳で亡くなりアーフリゲム(ベルギー)の修道院に葬られました。
フィリプ2世とマリーの母アニェスの結婚が認められていたらどうだったでしょう?
なんたって唯一のフランス王女ですから、人生が違っていたかもしれませんね。
(参考文献 Wikipedia英語版)