THE MOON AND SIXPENCE
1919年 サマセット・モーム
ブログの草稿半減キャンペーン中につき、本日も読書感想文です。
今日のBGMはZE:Aでございます。
『月と六ペンス』は高校生の時になぜか仲間内で流行って読んだのですが
あまり印象に残っていなかったんですよね。
ただモデルがゴーギャンというのは覚えていました。
最近は行っていないのですが、美術展は好きです。
でも綺麗にまとまった感がある風景画とか婦人の肖像画が好きでして
この小説のモデルになっているゴーギャンは別に好きではないんですよねぇ…
それに偉人の人生にもあんまり興味がないので伝記も読まないんですよねぇ…
だからゴーギャンの伝記だったら再読することはなかったと思うのですが
あくまでもモームの小説ってことで再読する気になりました。
ゴーギャンとは違って、主人公はチャールズ・ストリックランドという英国人です。
処女作を書いている頃に知り合った株仲買人の妻エイミーは
とても気持が良い婦人で、良妻賢母、そして芸術家たちの理解者でした。
エイミーのお茶会や晩餐に訪れるうちに、夫ストリックランドに紹介されましたが
まったく凡庸な社交が苦手な40代の中流紳士でした。
しかし、その秋ストリックランドがいきなり家を出てしまいます。
エイミーの依頼でパリへ出向くと、ストリックランドは汚いホテルの一室で
薄汚れた姿で暮らしていました。
そして「絵が描きたい、ロンドンへは帰らない」と言い張ります。
5年後、パリで暮らすことになりストリックランドに再会しました。
彼は描きたいものだけを描き、生活はあいかわらず苦しそうでした。
ストリックランドにはオランダ人のストルーヴという熱烈な信奉者がついていました。
ストルーヴはどんなに冷たくあしらわれ馬鹿にされてもストリックランドを崇め
世話を焼いていて、自慢の妻ブランシュをストリックランドに寝取られた時でさえ
自分の立場より二人の行く末を気遣ったほどです。
しかしストリックランドとブランシュの関係は悲劇的に終わり
ストリックランドはいきなりマルセイユに発って行きました。
15年後に訪れたタヒチで、死後名声を得ていたストリックランドの
島での暮らしぶりと壮絶な最期を聞かされます。
と、ここまで書いてきてあることを思いつきました。
これは(本人は否定しているけど)トマス・ハーディがモデルとされている
『お菓子とビール』と構成が酷似しているのでは?
作者が語り手となって主人公の思い出を記してみよう…という出だしがあり
出会ってちょっとした付き合いがあった後、しばらくして再会、
親しい付き合いが合って再びの別れ、何年も後に事実をしることになり、
遺された妻に伝記の話が舞い込むという流れ。
そして、実は自分は妻が知らないある事実を知っているんだけど
それは言わないでおきましょう…という心配り(?)
どちらもモームらしく、短編がいくつも盛り込まれたような充実ぶりと
淡々とした中に隠されたドラマティックな展開があり、
脇役たちのパーソナリティーの瑞々しい描写がありと、おもしろく読めました。
ラストに向かって徐々にストリックランドの “ 壮絶さ ” が加速して行きます。
そんなところはさすがモーム! でございます。
モームはゴーギャンの生き様を借りて天才の狂気を描きたかったのかもしれませんね。
でも、いかんいかんと思いつつ、どうしてもモデルがちらつく…
ハーディはなんだかんだで好きで読んでるから、主人公に多少の同情を持てましたが
ゴーギャンの絵には興味ないのでね… 最後までGoing my wayな主人公が好きになれず
なんだかゴーギャン本人まで嫌いになりそうよ。
(すみません… 本当のゴーギャンがどうだったのかはまったく知りません)
先入観から入った私の読み方が悪かったのね…
名著の誉れ高い一冊ですから、一読の価値はあると思います。
1919年 サマセット・モーム
ブログの草稿半減キャンペーン中につき、本日も読書感想文です。
今日のBGMはZE:Aでございます。
『月と六ペンス』は高校生の時になぜか仲間内で流行って読んだのですが
あまり印象に残っていなかったんですよね。
ただモデルがゴーギャンというのは覚えていました。
最近は行っていないのですが、美術展は好きです。
でも綺麗にまとまった感がある風景画とか婦人の肖像画が好きでして
この小説のモデルになっているゴーギャンは別に好きではないんですよねぇ…
それに偉人の人生にもあんまり興味がないので伝記も読まないんですよねぇ…
だからゴーギャンの伝記だったら再読することはなかったと思うのですが
あくまでもモームの小説ってことで再読する気になりました。
ゴーギャンとは違って、主人公はチャールズ・ストリックランドという英国人です。
処女作を書いている頃に知り合った株仲買人の妻エイミーは
とても気持が良い婦人で、良妻賢母、そして芸術家たちの理解者でした。
エイミーのお茶会や晩餐に訪れるうちに、夫ストリックランドに紹介されましたが
まったく凡庸な社交が苦手な40代の中流紳士でした。
しかし、その秋ストリックランドがいきなり家を出てしまいます。
エイミーの依頼でパリへ出向くと、ストリックランドは汚いホテルの一室で
薄汚れた姿で暮らしていました。
そして「絵が描きたい、ロンドンへは帰らない」と言い張ります。
5年後、パリで暮らすことになりストリックランドに再会しました。
彼は描きたいものだけを描き、生活はあいかわらず苦しそうでした。
ストリックランドにはオランダ人のストルーヴという熱烈な信奉者がついていました。
ストルーヴはどんなに冷たくあしらわれ馬鹿にされてもストリックランドを崇め
世話を焼いていて、自慢の妻ブランシュをストリックランドに寝取られた時でさえ
自分の立場より二人の行く末を気遣ったほどです。
しかしストリックランドとブランシュの関係は悲劇的に終わり
ストリックランドはいきなりマルセイユに発って行きました。
15年後に訪れたタヒチで、死後名声を得ていたストリックランドの
島での暮らしぶりと壮絶な最期を聞かされます。
と、ここまで書いてきてあることを思いつきました。
これは(本人は否定しているけど)トマス・ハーディがモデルとされている
『お菓子とビール』と構成が酷似しているのでは?
作者が語り手となって主人公の思い出を記してみよう…という出だしがあり
出会ってちょっとした付き合いがあった後、しばらくして再会、
親しい付き合いが合って再びの別れ、何年も後に事実をしることになり、
遺された妻に伝記の話が舞い込むという流れ。
そして、実は自分は妻が知らないある事実を知っているんだけど
それは言わないでおきましょう…という心配り(?)
どちらもモームらしく、短編がいくつも盛り込まれたような充実ぶりと
淡々とした中に隠されたドラマティックな展開があり、
脇役たちのパーソナリティーの瑞々しい描写がありと、おもしろく読めました。
ラストに向かって徐々にストリックランドの “ 壮絶さ ” が加速して行きます。
そんなところはさすがモーム! でございます。
モームはゴーギャンの生き様を借りて天才の狂気を描きたかったのかもしれませんね。
でも、いかんいかんと思いつつ、どうしてもモデルがちらつく…
ハーディはなんだかんだで好きで読んでるから、主人公に多少の同情を持てましたが
ゴーギャンの絵には興味ないのでね… 最後までGoing my wayな主人公が好きになれず
なんだかゴーギャン本人まで嫌いになりそうよ。
(すみません… 本当のゴーギャンがどうだったのかはまったく知りません)
先入観から入った私の読み方が悪かったのね…
名著の誉れ高い一冊ですから、一読の価値はあると思います。