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Channel: まりっぺのお気楽読書
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フランス王ルイ7世王女 マリー

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父の再婚で人生ごたつく
ルイ7世王女 マリー・ド・フランス
シャンパーニュ伯アンリ1世夫人

1145〜1198

ルイ7世は3回結婚していて、王女が5人います。
欲しくて欲しくてたまらなかった王子はフィリプ(2世)のみでした。

長女マリーと次女アリックスは最初の妃アリエノール・ダキテーヌの娘です。
ルイ7世は三人目の妃アデル・ド・シャンパーニュと結婚する時に
マリーをアデルの長兄シャンパーニュ伯アンリ1世と、
アリックスを次兄のブロワ伯ティボー5世と婚約させました。
二人の姉妹は婚約後アヴネの修道院で、無菌状態(?)で教育されて
1164年に揃って結婚しました。
         
それでなくても広大な領地を持ち、勢力もあったブロワ・ブラザーズは
妹は王妃、妻は王女というビッグな後ろ盾を得てかなり幅を利かせることができました。

ルイ7世の再婚と王女たちの結婚はアリエノールを焦らせます。
これが王子ヘンリーと、ルイ7世王女マルグリットの結婚を急がせる要因になりました。

父王ルイ7世が亡くなり異母弟フィリプ2世が即位すると状況が変わります。
フィリプは、アリエノール・ダキテーヌがマリーやアリックスに譲った領地を没収します。
それから、マリーの長男アンリと婚約していたイザベル・ド・エノーと結婚してしまいます。
       
このことでマリーとフィリプは当然仲違いします。
一方異父弟のイングランド王リチャード1世とは深い愛情で結ばれていたようです。
(解説しておきますと、リチャード1世は、マリーの母アリエノールが
 イングランド王ヘンリー2世と再婚しまして生まれた王子です)

そのアンリは、ヘンリー2世の従姉妹にあたるイェルサレム女王イザベラと結婚しました。
フランスとイングランドの覇権を争うこの二家族、仲が良んだか悪いんだか、
仲良くしたいんだか争いたいんだか、よくわからんよ…
この状況は後々まで続くんですけどね…
        
1181年、巡礼に行っていた夫アンリが帰国してすぐに亡くなりました。
マリーは幼い息子の摂政を務めます。
息子アンリの婚約者だったイザベルの叔父にあたるフランドル伯フィリプ1世と
再婚話が持ち上がりましたが、これは破談になっています。
ちなみにフィリプはポルトガル王アフォンソ1世の王女テレサと結婚しました。

性格とか容姿に関することがわからないんだけど
文学のパトロンで、専用の図書館を持っていて、ラテン語で読み書きができたというから
才媛だったのかもしれませんね。
夫の不在中や息子の不在中に幾度も摂政を務めていますから
政治的にもきれる人だったのかもしれません。

息子アンリが1197年に亡くなると、モーの修道院に入り翌年亡くなりました。

妹のアリックスも同じような経歴なので割愛しますね。

(参考文献 福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』 Wikipedia英語版)

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