肖像画が無いので母君コンスタンス像を…
イングランドで人生台無し・・・
ルイ7世王女 アデール・ド・フランス
ポンチュー伯ギョーム4世夫人
1160〜1220
ルイ7世の三女マルグリットと四女アデールの母親は
二人目の妃コンスタンス・ド・カスティーヨです。
一人目の妃アリエノール・ダキーテーヌが、イングランド王ヘンリー2世と再婚したことで
領土をめぐるイングランドのプランタジネットとフランスのカペー両王家の
押したり引いたりは激しさを増してまいりました。
コンスタンス・ド・カスティーヨの死後、ルイ7世がアデール・ド・シャンパーニュと結婚し
アリエノールの王女二人がアデルの兄たちと婚約すると、イングランドサイドは
いてもたってもいられず、次男ヘンリーとマルグリット(なんと2歳 )の結婚を急ぎます。
また、1162年には三男リチャード(3世)と、アデールを婚約させました。
2歳で婚約したアデールは、8歳の時にイングランドに渡りました。
イングランドで未来の王妃教育を受けるとは言っても、早い話人質ですよね。
それから何年かたちまして、リチャードとアデールがお互い適齢期に達したのですが
ヘンリー2世はいっこうに二人を結婚させようとしませんでした。
婚約から8年後にはローマ教皇アレクサンデル3世が禁令までちらつかせて
結婚をせまりましたが、それでも渋っていました。
アデールはヘンリー2世の愛妾で、子供まで生んでいるという噂が広まっていました。
実際はどうだったのか不明です。
でも、1189年にヘンリー2世が亡くなるとリチャードが婚約者のアデールではなくて
ベレンガリア・オブ・ナヴァールと結婚したりとか
父王ヘンリー2世に激しく反抗して廃人同然になるまで打ちのめしちゃったことを考えると
やはり事実に近いんでしょうかねぇ…
婚約者のまま29歳になり、別の女性と結婚されちゃったアデールはいったい… ?
アデールの異母弟フィリプ2世は、リチャードの弟のジョンとの結婚をもちかけましたが
これはアリエノールが断固拒否!!
結局フランスへ戻り、1195年にポンチュー伯ギョーム4世と結婚しました。
このギョーム4世という方、アデールより19歳年下ですし、初婚ですし
何より悪い噂がある女生との結婚でしょー、
穿った見方をすれば、なんかすごい見返りがあったんではないかと…
アデールの次女マリーとシモン・ド・ダムマルタンの娘ジョアンが
カスティーリャ王フェルナンド3世に嫁ぎ、その王女エリナーが
ヘンリー2世の曾孫にあたるエドワード1世の妃になります。
なんだかんだで繋がるものね…
1220年頃に亡くなりました。
ヘンリー2世の愛妾といえばロザモンド・クリフォードが有名です。
アデールはフランス王女だから、もっとエピソードフルな資料がないかしら?
と探してみましたが、日本語版では見つけられませんでした。
さすがにイギリスにはいくつかあるようです。
(参考文献 森護氏『英国王と愛人たち』『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
イングランドで人生台無し・・・
ルイ7世王女 アデール・ド・フランス
ポンチュー伯ギョーム4世夫人
1160〜1220
ルイ7世の三女マルグリットと四女アデールの母親は
二人目の妃コンスタンス・ド・カスティーヨです。
一人目の妃アリエノール・ダキーテーヌが、イングランド王ヘンリー2世と再婚したことで
領土をめぐるイングランドのプランタジネットとフランスのカペー両王家の
押したり引いたりは激しさを増してまいりました。
コンスタンス・ド・カスティーヨの死後、ルイ7世がアデール・ド・シャンパーニュと結婚し
アリエノールの王女二人がアデルの兄たちと婚約すると、イングランドサイドは
いてもたってもいられず、次男ヘンリーとマルグリット(なんと2歳 )の結婚を急ぎます。
また、1162年には三男リチャード(3世)と、アデールを婚約させました。
2歳で婚約したアデールは、8歳の時にイングランドに渡りました。
イングランドで未来の王妃教育を受けるとは言っても、早い話人質ですよね。
それから何年かたちまして、リチャードとアデールがお互い適齢期に達したのですが
ヘンリー2世はいっこうに二人を結婚させようとしませんでした。
婚約から8年後にはローマ教皇アレクサンデル3世が禁令までちらつかせて
結婚をせまりましたが、それでも渋っていました。
アデールはヘンリー2世の愛妾で、子供まで生んでいるという噂が広まっていました。
実際はどうだったのか不明です。
でも、1189年にヘンリー2世が亡くなるとリチャードが婚約者のアデールではなくて
ベレンガリア・オブ・ナヴァールと結婚したりとか
父王ヘンリー2世に激しく反抗して廃人同然になるまで打ちのめしちゃったことを考えると
やはり事実に近いんでしょうかねぇ…
婚約者のまま29歳になり、別の女性と結婚されちゃったアデールはいったい… ?
アデールの異母弟フィリプ2世は、リチャードの弟のジョンとの結婚をもちかけましたが
これはアリエノールが断固拒否!!
結局フランスへ戻り、1195年にポンチュー伯ギョーム4世と結婚しました。
このギョーム4世という方、アデールより19歳年下ですし、初婚ですし
何より悪い噂がある女生との結婚でしょー、
穿った見方をすれば、なんかすごい見返りがあったんではないかと…
アデールの次女マリーとシモン・ド・ダムマルタンの娘ジョアンが
カスティーリャ王フェルナンド3世に嫁ぎ、その王女エリナーが
ヘンリー2世の曾孫にあたるエドワード1世の妃になります。
なんだかんだで繋がるものね…
1220年頃に亡くなりました。
ヘンリー2世の愛妾といえばロザモンド・クリフォードが有名です。
アデールはフランス王女だから、もっとエピソードフルな資料がないかしら?
と探してみましたが、日本語版では見つけられませんでした。
さすがにイギリスにはいくつかあるようです。
(参考文献 森護氏『英国王と愛人たち』『英国王室史話』 Wikipedia英語版)