王妃を追いつめた愛妾
ケンダル公 エーメンガルデ・メルジーナ・フォン・シューレンブルク
1667〜1743/愛妾 1690〜1727
王様としての資質はどうだったのかはさておき、女性(わたし)としては
どうも好きになれないジョージ1世。
愛妾も何人かいたそうですが、今回は代表的な愛妾エーメンガルデでいってみましょう。
エーメンガルデは、シューレンベルク男爵グスタフの娘で
ハノーヴァー選帝侯妃ゾフィアの侍女になりました。
王子ゲオルク(ジョージ1世)には、ハノーヴァー選帝侯エルンスト・アウグストの
愛人だったプラーテン伯夫人の紹介で会い、愛人になりました。
エーメンガルデは、かなり背が高く細い女性で “ かかし ” と呼ばれていました。
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ゲオルクは妃であるゾフィア・ドロテアより、エーメンガルデと行動をともにする時間が
多くなっていきます。
エーメンガルデはゲオルクの子を少なくとも3人生んでいます。
1714年にゲオルクがイギリス王ジョージ1世として即位し、1716年にロンドンへ移る時
一緒に渡英しました。
ちなみに、その時にはもう一人の愛妾ゾフィア・キールマンセッゲも同行しています。
火花バチバチ旅行だったのかしらね?
ちなみにちなみに、ロンドンでは、エーメンガルデは “ メイポール (柱、ね)”
ゾフィア・キールマンセッゲは “ ゾウ ” とあだ名をつけられたそうです。
ご存知のとおり、王妃ゾフィア・ドロテアは同行していませんでした。
ゾフィア・ドロテアは浮気をしたということで幽閉されていたのですが
彼女を追い込んだのが、エーメンガルデをはじめとするジョージの愛妾たちの
存在だったのではないでしょうか?
なにしろ侍女として四六時中宮廷内にいて、スパイされてるような状況だもの。
1716〜19年に渡って、エーメンガルデはケンダル公をはじめ多数の爵位を叙位されてます。
その上1723年には、神聖ローマ皇帝が彼女をエーバーシュタイン女公にしました。
これは、ジョージ1世とエーメンガルデが秘密裏に結婚したという話を考慮してのことです。
ジョージ1世にも政治的にすごく影響力があったようで
宰相ウォルポールは「まるで王妃みたいだ」と嘆いていました。
1727年、ジョージ1世はドイツで急死します。
エーメンガルデは、うわ言で「きっと私のところへ帰ってくる」と言い続けていました。
1743年に75歳で亡くなりました。
もしジョージ1世と結婚していなければ、一生独身だったということになります。
どうしても悪者に思えちゃうけど、ジョージ1世に対しては一途な人ではあったようですね。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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ひとことK-POPコーナー
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あぁぁ… 代々木… 昨日と今日、もりあがったんだろぉなぁ… 1日も行けなかった代々木は初めてでションボリMAX Image may be NSFW.
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地方を申し込むと代々木が当たらないというウワサは本当だろうか?
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1667〜1743/愛妾 1690〜1727
王様としての資質はどうだったのかはさておき、女性(わたし)としては
どうも好きになれないジョージ1世。
愛妾も何人かいたそうですが、今回は代表的な愛妾エーメンガルデでいってみましょう。
エーメンガルデは、シューレンベルク男爵グスタフの娘で
ハノーヴァー選帝侯妃ゾフィアの侍女になりました。
王子ゲオルク(ジョージ1世)には、ハノーヴァー選帝侯エルンスト・アウグストの
愛人だったプラーテン伯夫人の紹介で会い、愛人になりました。
エーメンガルデは、かなり背が高く細い女性で “ かかし ” と呼ばれていました。
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多くなっていきます。
エーメンガルデはゲオルクの子を少なくとも3人生んでいます。
1714年にゲオルクがイギリス王ジョージ1世として即位し、1716年にロンドンへ移る時
一緒に渡英しました。
ちなみに、その時にはもう一人の愛妾ゾフィア・キールマンセッゲも同行しています。
火花バチバチ旅行だったのかしらね?
ちなみにちなみに、ロンドンでは、エーメンガルデは “ メイポール (柱、ね)”
ゾフィア・キールマンセッゲは “ ゾウ ” とあだ名をつけられたそうです。
ご存知のとおり、王妃ゾフィア・ドロテアは同行していませんでした。
ゾフィア・ドロテアは浮気をしたということで幽閉されていたのですが
彼女を追い込んだのが、エーメンガルデをはじめとするジョージの愛妾たちの
存在だったのではないでしょうか?
なにしろ侍女として四六時中宮廷内にいて、スパイされてるような状況だもの。
1716〜19年に渡って、エーメンガルデはケンダル公をはじめ多数の爵位を叙位されてます。
その上1723年には、神聖ローマ皇帝が彼女をエーバーシュタイン女公にしました。
これは、ジョージ1世とエーメンガルデが秘密裏に結婚したという話を考慮してのことです。
ジョージ1世にも政治的にすごく影響力があったようで
宰相ウォルポールは「まるで王妃みたいだ」と嘆いていました。
1727年、ジョージ1世はドイツで急死します。
エーメンガルデは、うわ言で「きっと私のところへ帰ってくる」と言い続けていました。
1743年に75歳で亡くなりました。
もしジョージ1世と結婚していなければ、一生独身だったということになります。
どうしても悪者に思えちゃうけど、ジョージ1世に対しては一途な人ではあったようですね。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)
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