二十年間、妻としてすごした
ドロシー・ジョーダン
1761〜1816/愛妾 1791〜1811
スペイン王女編が終了して、さてどうしましょう? とオロオロしていますが
久しぶりに愛妾シリーズ、いっちゃおうかしら?
ウィリアム4世の内縁の妻だったドロシー・ジョーダンです。
なんだか、寵姫・愛妾のくくりに入れてしまうのは申し訳ない気がしますが…
ドロシー・ジョーダンの父親は舞台監督フランシス・ブランド
母親は女優グレース・フィリップスといいますが、二人は結婚していません。
ドロシーが13歳の時、ブランドが他の女優と結婚するため家を出て行きます。
一家は貧しく、グレースはドロシーを劇場に出させることにしました。
ドロシーは “ いまだかつてない ” 美脚の持ち主だということですぐに人気者に!
20歳の時に、コークの劇場主との間に子供が生まれたようで、未婚だということを
ごまかすために “ ミセス・ジョーダン ” と名乗っていたと言われています。
ちなみに、ドロシーは生涯独身でした。
俳優のジョージ・インチボルトや警察長官リチャード・フォードという男性たちと
お付き合いしてますが、ドロシーはどちらも真剣で結婚したいと思ってたのに
男性陣はそうでなかったようで、結局結婚できませんでした。
でも、ドロシーは可愛らしくウィットに富んでいる女優で
当時クラランス公だったウィリアム(後の4世)の目にとまりました。
ウィリアムとドロシーは、1791年から一緒に暮らすようになりました。
ドロシーはものすごく家庭的で、二人はケンカをしたことがなかったそうです
女優の仕事も続け、誘われればウィリアムと公の場に出かけました。
子供も10人生まれ、もう夫婦以外のなにものでもない!
しかし、1791年、二十年連れ添った二人は別れることになりました。
当時ジョージ4世の継承者が皆嫡子がいないという状態で
ウィリアムに王位継承がまわってくる気配… ってことで
お妃選びをしなければならなくなったのです。 もうドロシーでいいじゃんね!
ウィリアムは7年後にアデレイド・オブ・サクスマイニンゲンと結婚することになります。
ドロシーは年金を与えられて、ステージに立つ必要はなくなりました。
でも53歳の時に、娘婿が作った大きな借金を返すため舞台に復帰しました。
1815年に返済を終え、一人フランスに渡りました。
ウィリアムのめでたい結婚話とか聞きたくなかったのかしらね?
ウィリアムは、子供たちにも俸給を与え続け、音男の子は貴族に叙し
女の子たちも貴族に嫁がせています。
ウィリアムとドロシーの子供たちから、フィッツクラランス家が始まっています。
ただ、子供たちは裕福になって良かったとして、フランスへ渡ったドロシーには
もう年金が払われていなかったんですかね?
貧しい生活を送っていたそうで、渡仏から1年後に亡くなりました。
共同墓地に埋葬されたそうです。
二十年ですよぉ… 身を引いたのか引かされたのか… せつないですねぇ
こういってはなんですが、公妾とかにしちゃえばよかったんでないのか?
ジョージ4世みたいにさ…
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ひとことドラマコーナー
今クールも終わろうとしてる今頃になって、おもしろそうなドラマ見つけちゃったよぉ
テレ東の『バイプレイヤーズ ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』
遠藤憲一・大杉漣・田口トモロヲ・寺島進・松重豊・光石研 出演だって!!
すでに8話まで終わってるって言うじゃないのっ!! 日本のドラマもちゃんとチェックせねばなるまい
ドロシー・ジョーダン
1761〜1816/愛妾 1791〜1811
スペイン王女編が終了して、さてどうしましょう? とオロオロしていますが
久しぶりに愛妾シリーズ、いっちゃおうかしら?
ウィリアム4世の内縁の妻だったドロシー・ジョーダンです。
なんだか、寵姫・愛妾のくくりに入れてしまうのは申し訳ない気がしますが…
ドロシー・ジョーダンの父親は舞台監督フランシス・ブランド
母親は女優グレース・フィリップスといいますが、二人は結婚していません。
ドロシーが13歳の時、ブランドが他の女優と結婚するため家を出て行きます。
一家は貧しく、グレースはドロシーを劇場に出させることにしました。
ドロシーは “ いまだかつてない ” 美脚の持ち主だということですぐに人気者に!
20歳の時に、コークの劇場主との間に子供が生まれたようで、未婚だということを
ごまかすために “ ミセス・ジョーダン ” と名乗っていたと言われています。
ちなみに、ドロシーは生涯独身でした。
俳優のジョージ・インチボルトや警察長官リチャード・フォードという男性たちと
お付き合いしてますが、ドロシーはどちらも真剣で結婚したいと思ってたのに
男性陣はそうでなかったようで、結局結婚できませんでした。
でも、ドロシーは可愛らしくウィットに富んでいる女優で
当時クラランス公だったウィリアム(後の4世)の目にとまりました。
ウィリアムとドロシーは、1791年から一緒に暮らすようになりました。
ドロシーはものすごく家庭的で、二人はケンカをしたことがなかったそうです
女優の仕事も続け、誘われればウィリアムと公の場に出かけました。
子供も10人生まれ、もう夫婦以外のなにものでもない!
しかし、1791年、二十年連れ添った二人は別れることになりました。
当時ジョージ4世の継承者が皆嫡子がいないという状態で
ウィリアムに王位継承がまわってくる気配… ってことで
お妃選びをしなければならなくなったのです。 もうドロシーでいいじゃんね!
ウィリアムは7年後にアデレイド・オブ・サクスマイニンゲンと結婚することになります。
ドロシーは年金を与えられて、ステージに立つ必要はなくなりました。
でも53歳の時に、娘婿が作った大きな借金を返すため舞台に復帰しました。
1815年に返済を終え、一人フランスに渡りました。
ウィリアムのめでたい結婚話とか聞きたくなかったのかしらね?
ウィリアムは、子供たちにも俸給を与え続け、音男の子は貴族に叙し
女の子たちも貴族に嫁がせています。
ウィリアムとドロシーの子供たちから、フィッツクラランス家が始まっています。
ただ、子供たちは裕福になって良かったとして、フランスへ渡ったドロシーには
もう年金が払われていなかったんですかね?
貧しい生活を送っていたそうで、渡仏から1年後に亡くなりました。
共同墓地に埋葬されたそうです。
二十年ですよぉ… 身を引いたのか引かされたのか… せつないですねぇ
こういってはなんですが、公妾とかにしちゃえばよかったんでないのか?
ジョージ4世みたいにさ…
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ひとことドラマコーナー
今クールも終わろうとしてる今頃になって、おもしろそうなドラマ見つけちゃったよぉ
テレ東の『バイプレイヤーズ ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』
遠藤憲一・大杉漣・田口トモロヲ・寺島進・松重豊・光石研 出演だって!!
すでに8話まで終わってるって言うじゃないのっ!! 日本のドラマもちゃんとチェックせねばなるまい