兄弟喧嘩も大がかり
シャルル7世王女 ヨランダ・ド・フランス
サヴォイア公アメデーオ9世妃
1434〜1478
シャルル7世とマリー・ダンジューの三女ヨランダは
18歳の時にサヴォイ公子アメデーオと結婚しました。
兄のルイ11世がアメデーオの妹シャルロットと再婚していました。
結婚から13年目に夫のアメデーオがサヴォイ公になりますが
内気な性格と癲癇で、その座を投げ出しヨランダに丸投げしてしまいました。
アメデーオが亡くなった後も、息子フィリベルト1世の摂政を務め
死ぬまで領地を治めました。
ヨランダは末弟のベリー公シャルルとともにブルゴーニュ公シャルルと同盟を組み
兄のルイ11世に敵対していました。
けれどもブルゴーニュ公は1476年にグランソンで敗れると
ルイ11世と結託したに違いない! とヨランダを投獄してしまいました。
すぐに釈放されたみたいですけどね。
その後はルイ11世と仲直りをしたようですが2年後に亡くなりました。
お子様は10人おります。
三男フィリベルト1世は若くして亡くなったのですが、その妃だったのが
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世妃になるビアンカ・マリア・スフォルツァです。
家系図作ったのでね・・・
シャルル7世王女 ジャンヌ・ド・フランス
ブルボン公ジャン2世妃
1435〜1482
四女です。
17歳で結婚した以外に、特にエピソードは無いんですよね…
9人の王女たちの中では比較的長生きした方だったのですがね。
とりあえず家系図は面白いので載せてみた…
そろそろガツンとくるエピソードをお持ちの王女に登場してほしいものです。
(参考文献 Wikipedia英語版)
シャルル7世王女 ヨランダ・ド・フランス
サヴォイア公アメデーオ9世妃
1434〜1478
シャルル7世とマリー・ダンジューの三女ヨランダは
18歳の時にサヴォイ公子アメデーオと結婚しました。
兄のルイ11世がアメデーオの妹シャルロットと再婚していました。
結婚から13年目に夫のアメデーオがサヴォイ公になりますが
内気な性格と癲癇で、その座を投げ出しヨランダに丸投げしてしまいました。
アメデーオが亡くなった後も、息子フィリベルト1世の摂政を務め
死ぬまで領地を治めました。
ヨランダは末弟のベリー公シャルルとともにブルゴーニュ公シャルルと同盟を組み
兄のルイ11世に敵対していました。
けれどもブルゴーニュ公は1476年にグランソンで敗れると
ルイ11世と結託したに違いない! とヨランダを投獄してしまいました。
すぐに釈放されたみたいですけどね。
その後はルイ11世と仲直りをしたようですが2年後に亡くなりました。
お子様は10人おります。
三男フィリベルト1世は若くして亡くなったのですが、その妃だったのが
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世妃になるビアンカ・マリア・スフォルツァです。
家系図作ったのでね・・・
シャルル7世王女 ジャンヌ・ド・フランス
ブルボン公ジャン2世妃
1435〜1482
四女です。
17歳で結婚した以外に、特にエピソードは無いんですよね…
9人の王女たちの中では比較的長生きした方だったのですがね。
とりあえず家系図は面白いので載せてみた…
そろそろガツンとくるエピソードをお持ちの王女に登場してほしいものです。
(参考文献 Wikipedia英語版)