謎の死を迎えた人気者
シャルル6世王女 ミシェル・ド・フランス
ブルーゴーニュ公フィリプ3世妃
1395〜1422
シャルル6世(かどうかはかなり怪しいけど…)とイザボー・ド・バヴィエールの
五女ミシェルの名は、シャルル6世が参拝したモン=サン=ミシェルに感銘を受けて
名付けられました。
そういえばこれまでミシェルという名の王女はいなかった気がしますね。
イザボー・ド・バヴィエールといえば浮気と浪費と放蕩で有名ですね。
子供たちは放ったらかしにされ、食べ物にも困って修道院に逃げ込んだ、とまで
言われていますが、時には母親らしい顔も見せていたようです。
手紙は頻繁に送りましたし、ペストが流行れば田舎に避難させたり…とかね。
愛溢れる…という感じではありませんけど。
ブルゴーニュ公ジャン1世が、1407年にイザボーの愛人オルレアン公ルイを暗殺しました。
その2年後に、14歳のミシェルがジャン1世の公子フィリプと結婚しました。
ジャン1世は、母イザボーと関係を持っていました。
時は百年戦争まっただ中です。
修道院で教育されていた幼いミシェルは、ものすごく重要な政略結婚に
駆り出されてしまったわけですね。
結婚から10年後、義父ジャン1世が暗殺されました。
この暗殺に兄シャルル(7世)が関わっていたことで、ミシェルは鬱状態になり
その後しばらくして亡くなりました。
ミシェルの死は、親しかったドイツ人の女官ヴィエスヴィルによる毒殺と噂されました。
彼女はミシェルの死の直前に宮廷を退去させられてた、ってことなんですけどね…
直前というのが逆に怪しくないですか?
ミシェルはブルゴーニュ公領でとても人気があったそうで
人々は早すぎる死を嘆いたそうです。
自分の領主様の暗殺に関係した人の妹なのにね。
どうして愛されていたのか、その理由が知りたいものです。
シャルル6世の六女カトリーヌは、イングランド王ヘンリー5世妃になり
後にチューダー王家が生まれるきっかけとなる再婚をいたしました。
家系図は併用で・・・
シャルル7世王女 カトリーヌ・ド・フランス
ブルゴーニュ公シャルル1世妃
1428〜1446
イザボー・ド・バヴィエールが、シャルル6世の子じゃないと暗に臭わせたため
王になるのに大変苦労したシャルル7世とマリー・ダンジューには
14人のお子様がおりまして、王女は9人です。
長女ラデゴンド(?)はオーストリア大公ジグムントと婚約していましたが
16歳で亡くなりました。
次女カトリーヌは12歳でブルゴーニュ公子シャルルと結婚しました。
シャルルはカトリーヌが18歳で亡くなるまでブルゴーニュ公にはならなかったので
カトリーヌはブルゴーニュ公妃ではなくシャロレー伯妃です。
この時期は百年戦争中で、女性といえばジャンヌ・ダルク!なものですから
結婚で重要な役割を果たしたであろう王女たちのエピソードが少ないですね。
きっと大変な人生だったと思うんだけど…
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
シャルル6世王女 ミシェル・ド・フランス
ブルーゴーニュ公フィリプ3世妃
1395〜1422
シャルル6世(かどうかはかなり怪しいけど…)とイザボー・ド・バヴィエールの
五女ミシェルの名は、シャルル6世が参拝したモン=サン=ミシェルに感銘を受けて
名付けられました。
そういえばこれまでミシェルという名の王女はいなかった気がしますね。
イザボー・ド・バヴィエールといえば浮気と浪費と放蕩で有名ですね。
子供たちは放ったらかしにされ、食べ物にも困って修道院に逃げ込んだ、とまで
言われていますが、時には母親らしい顔も見せていたようです。
手紙は頻繁に送りましたし、ペストが流行れば田舎に避難させたり…とかね。
愛溢れる…という感じではありませんけど。
ブルゴーニュ公ジャン1世が、1407年にイザボーの愛人オルレアン公ルイを暗殺しました。
その2年後に、14歳のミシェルがジャン1世の公子フィリプと結婚しました。
ジャン1世は、母イザボーと関係を持っていました。
時は百年戦争まっただ中です。
修道院で教育されていた幼いミシェルは、ものすごく重要な政略結婚に
駆り出されてしまったわけですね。
結婚から10年後、義父ジャン1世が暗殺されました。
この暗殺に兄シャルル(7世)が関わっていたことで、ミシェルは鬱状態になり
その後しばらくして亡くなりました。
ミシェルの死は、親しかったドイツ人の女官ヴィエスヴィルによる毒殺と噂されました。
彼女はミシェルの死の直前に宮廷を退去させられてた、ってことなんですけどね…
直前というのが逆に怪しくないですか?
ミシェルはブルゴーニュ公領でとても人気があったそうで
人々は早すぎる死を嘆いたそうです。
自分の領主様の暗殺に関係した人の妹なのにね。
どうして愛されていたのか、その理由が知りたいものです。
シャルル6世の六女カトリーヌは、イングランド王ヘンリー5世妃になり
後にチューダー王家が生まれるきっかけとなる再婚をいたしました。
家系図は併用で・・・
シャルル7世王女 カトリーヌ・ド・フランス
ブルゴーニュ公シャルル1世妃
1428〜1446
イザボー・ド・バヴィエールが、シャルル6世の子じゃないと暗に臭わせたため
王になるのに大変苦労したシャルル7世とマリー・ダンジューには
14人のお子様がおりまして、王女は9人です。
長女ラデゴンド(?)はオーストリア大公ジグムントと婚約していましたが
16歳で亡くなりました。
次女カトリーヌは12歳でブルゴーニュ公子シャルルと結婚しました。
シャルルはカトリーヌが18歳で亡くなるまでブルゴーニュ公にはならなかったので
カトリーヌはブルゴーニュ公妃ではなくシャロレー伯妃です。
この時期は百年戦争中で、女性といえばジャンヌ・ダルク!なものですから
結婚で重要な役割を果たしたであろう王女たちのエピソードが少ないですね。
きっと大変な人生だったと思うんだけど…
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)