ポンパドール夫人のキューピッドになっちゃった王女
フェリペ5世王女 マリア・ルイサ・デ・ボルボン
フランス王太子ルイ妃
1726〜1746
ここからしばらく王妃が続きます。
フェリペ3世とマルガリータ・デ・アウストリアの長女アナはフランス王ルイ13世妃に、
次女は死産、三女マリア・アナは神聖ローマ皇帝フェルディナント3世皇后に、
四女は1歳で亡くなります。
フェリペ4世とイサベル・デ・ボルボーンには6人の王女がいましたが
長女から五女までは死産か幼くして夭逝、六女マリア・テレサがフランス王ルイ14世妃です。
二人目の妃マリアナ・デ・アウストリアとの間に生まれた七女マルガリータ・テレサは
神聖ローマ皇帝レオポルト1世皇后になります。八女は生まれて1週間で亡くなりました。
カルロス2世と二人の王妃マリア・ルイサ・デ・オルレアンス
マリアナ・デ・ネオブルゴには、お子様がいませんでした。
王家はブルボン家に移ります。
フェリペ5世と最初の妃マリア・ルイサ・デ・サヴォイアには、四人の王子がいました。
二人目の妃イサベル・デ・ファルネシオには三男三女で、長女マリアナ・ヴィクトリアは
ポルトガル王ジョゼ1世妃になります。
ふぅぅ…長かったですね、いよいよマリア・テレサですよぉ
フランスが、ルイ15世と長女マリアナ・ヴィクトリアとの婚約を一方的に破棄したので
スペインはお怒り… だったのですが、やっぱりブルボン家どうしで結託しとかないとね!
というわけで、次女マリア・テレサが、ルイ15世の王太子ルイに嫁ぐことになりました。
同時に兄パルマ公フィリッポ1世とルイーザ・エリザベッタの縁談もまとまり
1444年、二組は同じ日に結婚しました。
ところが! スペインは、12歳のルイーザを連れ帰っておきながら
マリア・テレサは、母イサベルが「幼い」と主張しまして渡仏が延期されました。
ルイーザの方が1歳年下だと思うんだけど…
1年後、マリア・テレサはヴェルサイユに到着しました。
ルイ15世は、その3日後、新婚夫婦のために舞踏会を催します。
でーもー、それは口実で、本当はポンパドゥール夫人を招きたかったらしい…
マリア・テレサは、美しくて気品があり、敬虔で高い教育を授けられた、The王女でした。
また(母親のイサベルに似なかったのか)性格が良かったらしく
ルイ15世や王妃マリー・レクザンスカにもすぐに気に入られました。
夫ルイとはすぐに愛し合うようになり、できるだけ一緒にいたそうです。
だけどすごく恥ずかしがりやで、宮廷の中では孤立感を募らせていきました。
それから、信心深いだけに、義父とポンパドゥール夫人の関係が許せず
露骨に態度に表したそうです。
自分の結婚パーティーが縁結びなんて、気分悪いですよね。
マリア・テレサは、結婚から2年、ヴェルサイユに到着してから1年後の1466年
女の子を出産した時に亡くなります。
王太子ルイの悲しみはすごかったらしく、ルイ15世が自ら息子をベッドから
引き離さなければならなかったほどでした。
あと1年早くヴェルサイユに来ていたら、2年間一緒にいれたかもしれないのにね。
マリア・テレサの兄にあたるスペイン王フェルナンド6世は、すぐに
妹のマリア・アントニアとの縁談をもちかけますが、ルイ15世は断りました。
王太子ルイは、ポーランド王アウグスト2世の王女マリー・ジョゼフィーヌと再婚して
この方が、ルイ16世、ルイ18世、シャルル10世のお母さまになります。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとこと大統領コーナー
よその国のことなのでね、なんだかんだと言えませんが、あの大国の選択が、まさかっ!! って感じでした
奥さんがサミットとかで他のファーストレディと仲良くできるのか気になる〜
フェリペ5世王女 マリア・ルイサ・デ・ボルボン
フランス王太子ルイ妃
1726〜1746
ここからしばらく王妃が続きます。
フェリペ3世とマルガリータ・デ・アウストリアの長女アナはフランス王ルイ13世妃に、
次女は死産、三女マリア・アナは神聖ローマ皇帝フェルディナント3世皇后に、
四女は1歳で亡くなります。
フェリペ4世とイサベル・デ・ボルボーンには6人の王女がいましたが
長女から五女までは死産か幼くして夭逝、六女マリア・テレサがフランス王ルイ14世妃です。
二人目の妃マリアナ・デ・アウストリアとの間に生まれた七女マルガリータ・テレサは
神聖ローマ皇帝レオポルト1世皇后になります。八女は生まれて1週間で亡くなりました。
カルロス2世と二人の王妃マリア・ルイサ・デ・オルレアンス
マリアナ・デ・ネオブルゴには、お子様がいませんでした。
王家はブルボン家に移ります。
フェリペ5世と最初の妃マリア・ルイサ・デ・サヴォイアには、四人の王子がいました。
二人目の妃イサベル・デ・ファルネシオには三男三女で、長女マリアナ・ヴィクトリアは
ポルトガル王ジョゼ1世妃になります。
ふぅぅ…長かったですね、いよいよマリア・テレサですよぉ
フランスが、ルイ15世と長女マリアナ・ヴィクトリアとの婚約を一方的に破棄したので
スペインはお怒り… だったのですが、やっぱりブルボン家どうしで結託しとかないとね!
というわけで、次女マリア・テレサが、ルイ15世の王太子ルイに嫁ぐことになりました。
同時に兄パルマ公フィリッポ1世とルイーザ・エリザベッタの縁談もまとまり
1444年、二組は同じ日に結婚しました。
ところが! スペインは、12歳のルイーザを連れ帰っておきながら
マリア・テレサは、母イサベルが「幼い」と主張しまして渡仏が延期されました。
ルイーザの方が1歳年下だと思うんだけど…
1年後、マリア・テレサはヴェルサイユに到着しました。
ルイ15世は、その3日後、新婚夫婦のために舞踏会を催します。
でーもー、それは口実で、本当はポンパドゥール夫人を招きたかったらしい…
マリア・テレサは、美しくて気品があり、敬虔で高い教育を授けられた、The王女でした。
また(母親のイサベルに似なかったのか)性格が良かったらしく
ルイ15世や王妃マリー・レクザンスカにもすぐに気に入られました。
夫ルイとはすぐに愛し合うようになり、できるだけ一緒にいたそうです。
だけどすごく恥ずかしがりやで、宮廷の中では孤立感を募らせていきました。
それから、信心深いだけに、義父とポンパドゥール夫人の関係が許せず
露骨に態度に表したそうです。
自分の結婚パーティーが縁結びなんて、気分悪いですよね。
マリア・テレサは、結婚から2年、ヴェルサイユに到着してから1年後の1466年
女の子を出産した時に亡くなります。
王太子ルイの悲しみはすごかったらしく、ルイ15世が自ら息子をベッドから
引き離さなければならなかったほどでした。
あと1年早くヴェルサイユに来ていたら、2年間一緒にいれたかもしれないのにね。
マリア・テレサの兄にあたるスペイン王フェルナンド6世は、すぐに
妹のマリア・アントニアとの縁談をもちかけますが、ルイ15世は断りました。
王太子ルイは、ポーランド王アウグスト2世の王女マリー・ジョゼフィーヌと再婚して
この方が、ルイ16世、ルイ18世、シャルル10世のお母さまになります。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとこと大統領コーナー
よその国のことなのでね、なんだかんだと言えませんが、あの大国の選択が、まさかっ!! って感じでした
奥さんがサミットとかで他のファーストレディと仲良くできるのか気になる〜