プロモーションを仕掛けた王女
フェリペ2世王女 イサベラ・クララ・デ・アウストリア
オーストリア大公アルブレヒト7世妃
1566〜1633/在位 1598〜1621
先日予告したとおり、今回からはスペイン王女編です。
今回はちょいと長いですよ。
フェリペ2世は4回結婚しています。
一人目の王妃マリア・マヌエラは、悲劇の王子ドン・カルロスを産んで亡くなりました。
二人目のメアリー1世との間にはお子様がおらず、三人目のイサベル・デ・ヴァロアは
王女ばかり5人産んでいますが、長女と次女(双子)は流産で、五女も流産でした。
イサベル・クララは三女です。
ドン・カルロスがいるといえ、王子ひとりでは心許ないですよね?
だから絶対王子が欲しかったんじゃないかと思われるんだが
王妃イサベルを溺愛してたフェリペ2世は「息子の誕生より嬉しい」と大喜びしたそうです。
イサベル誕生から2年後、母イサベルが亡くなります。
フェリペ2世はアナ・デ・アウストリアと再婚しましたが、この人が本当によくできた人で
イサベルは両親の愛を受けて過ごすことができました。
フェリペ2世は冷たいイメージがありますが、娘たちのことは愛していたようで
おびただしい数の手紙を送っていたらしい…
手紙には“ お前たちの善き父より ” というサインが添えられていました。
イサベルは、フェリペ2世が自分の仕事を手伝うことを許した唯一の人物でした。
フェリペ2世の晩年は、病に陥る父王をかいがいしく世話していました。
こっからちょっとはしょっていきます。
イサベルは2歳の時から、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の皇子、つまり
義理の母の弟にあたるルドルフと婚約していましたが。ルドルフはなんだかんだとはぐらかし
結局20年以上も待たされたあげく、誰とも結婚したくない! と宣言します。
で、フェリペ2世は、その弟のアルブレヒトと結婚するなら、という条件で
イサベルにネーデルラントを与えることにしました。
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イサベルは33歳の時にアルブレヒトと結婚し、ネーデルラントを共治します。
細かいことは省くけど、アルブレヒトとイサベルは、まだまだハプスブルク本家が力を持つ
南部ネーデルラントを、再びスペイン王領に取り入れたいと考えていました。
ふつうは軍事力に訴えるところですよね?
しかし、イサベルはここで、バロック音楽とか芸術を活用したプロモーションに出ます。
具体的にどういうことをしたのかはわかんないんだけど、ポスターとかグッズかな?
あるいは、音楽に国境はない! 的にコンサートを開いて、南部でファンを獲得したとか?
いちいちK-POPベースでものごとを考えちゃってすみませんね…
二人はこのために、ルーベンスやブリューゲルなどのパトロンもしていたそうです。
また、ブリュッセルに、政治のみならず芸術の中心とも言える宮殿を建てました。
二人の統治時代は、スパニッシュ=ネーデルラントの黄金期と言われています。
1621年にアルブレヒトが亡くなると、スペインの名代として総督になり
ネーデルラントを治めましたが、2年後に亡くなりました。
ちなみに、二人に子供がいなかったので、ネーデルラントはスペイン王の領地になりました。
ちなみに、ちなみに、フェリペ2世は、アンリ3世がお子様を残さずに暗殺されると
サリカ法があるにもかかわらず、イサベルのフランス女王の座を主張していました。
理由は下の家系図をご覧くださいな。
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愛する娘だからこそ王にしたかったのか、愛する娘でも利用できるものはする!
ということなのか、王様の考えることはよくわからんです。
(参考文献 Wikipedia英語版)
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ひとことK-POPコーナー
BEAST 契約終了かぁ… 時が経つのは早いものよのぉ… ジャネーの法則により、特にそう感じてますけど…
とりあえず、解散はしないでほしいですよね! いい歌いっぱいあるんだから、5人で歌い続けてほしいです
フェリペ2世王女 イサベラ・クララ・デ・アウストリア
オーストリア大公アルブレヒト7世妃
1566〜1633/在位 1598〜1621
先日予告したとおり、今回からはスペイン王女編です。
今回はちょいと長いですよ。
フェリペ2世は4回結婚しています。
一人目の王妃マリア・マヌエラは、悲劇の王子ドン・カルロスを産んで亡くなりました。
二人目のメアリー1世との間にはお子様がおらず、三人目のイサベル・デ・ヴァロアは
王女ばかり5人産んでいますが、長女と次女(双子)は流産で、五女も流産でした。
イサベル・クララは三女です。
ドン・カルロスがいるといえ、王子ひとりでは心許ないですよね?
だから絶対王子が欲しかったんじゃないかと思われるんだが
王妃イサベルを溺愛してたフェリペ2世は「息子の誕生より嬉しい」と大喜びしたそうです。
イサベル誕生から2年後、母イサベルが亡くなります。
フェリペ2世はアナ・デ・アウストリアと再婚しましたが、この人が本当によくできた人で
イサベルは両親の愛を受けて過ごすことができました。
フェリペ2世は冷たいイメージがありますが、娘たちのことは愛していたようで
おびただしい数の手紙を送っていたらしい…
手紙には“ お前たちの善き父より ” というサインが添えられていました。
イサベルは、フェリペ2世が自分の仕事を手伝うことを許した唯一の人物でした。
フェリペ2世の晩年は、病に陥る父王をかいがいしく世話していました。
こっからちょっとはしょっていきます。
イサベルは2歳の時から、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の皇子、つまり
義理の母の弟にあたるルドルフと婚約していましたが。ルドルフはなんだかんだとはぐらかし
結局20年以上も待たされたあげく、誰とも結婚したくない! と宣言します。
で、フェリペ2世は、その弟のアルブレヒトと結婚するなら、という条件で
イサベルにネーデルラントを与えることにしました。
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イサベルは33歳の時にアルブレヒトと結婚し、ネーデルラントを共治します。
細かいことは省くけど、アルブレヒトとイサベルは、まだまだハプスブルク本家が力を持つ
南部ネーデルラントを、再びスペイン王領に取り入れたいと考えていました。
ふつうは軍事力に訴えるところですよね?
しかし、イサベルはここで、バロック音楽とか芸術を活用したプロモーションに出ます。
具体的にどういうことをしたのかはわかんないんだけど、ポスターとかグッズかな?
あるいは、音楽に国境はない! 的にコンサートを開いて、南部でファンを獲得したとか?
いちいちK-POPベースでものごとを考えちゃってすみませんね…
二人はこのために、ルーベンスやブリューゲルなどのパトロンもしていたそうです。
また、ブリュッセルに、政治のみならず芸術の中心とも言える宮殿を建てました。
二人の統治時代は、スパニッシュ=ネーデルラントの黄金期と言われています。
1621年にアルブレヒトが亡くなると、スペインの名代として総督になり
ネーデルラントを治めましたが、2年後に亡くなりました。
ちなみに、二人に子供がいなかったので、ネーデルラントはスペイン王の領地になりました。
ちなみに、ちなみに、フェリペ2世は、アンリ3世がお子様を残さずに暗殺されると
サリカ法があるにもかかわらず、イサベルのフランス女王の座を主張していました。
理由は下の家系図をご覧くださいな。
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愛する娘だからこそ王にしたかったのか、愛する娘でも利用できるものはする!
ということなのか、王様の考えることはよくわからんです。
(参考文献 Wikipedia英語版)
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BEAST 契約終了かぁ… 時が経つのは早いものよのぉ… ジャネーの法則により、特にそう感じてますけど…
とりあえず、解散はしないでほしいですよね! いい歌いっぱいあるんだから、5人で歌い続けてほしいです