どーにもこーにも肖像画が無いので13世紀の貴婦人画を…
お隣同士三国は仲良くできるのか?
ホーコン・ホーコンソン妃 リキサ・ビュリエルスダター
1237~1288/在位 1251~1257
父ホーコン4世と共治王になり、単独王になる前に24歳で亡くなってしまった
ホーコン・ザ・ヤングの妃リキサは、スウェーデンのヤール(摂政)ビュリイェルの娘さんで
母親はスウェーデン王女インゲボルグでした。
弟にスウェーデン王ヴァルデマーとマグヌス3世がいます。
息子ヴァルデマーの摂政として、事実上君主だったビュリイェルのポリシーは
スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの三国が平和的な関係を維持し続けることでした。
お隣同士三国で獲ったり獲られたりの争いを続けていくって、どの国もしんどいものね。
その一環で、1251年、リキサは共治王ホーコンと結婚しました。
結婚から6年後、ホーコンが亡くなります。
さらに4年後、一人息子のスヴェッレが9歳で亡くなってしまいます。
ノルウェーでの役目を終えたってことなんでしょうか?
翌年にメクレンブルク家のヴェルレ領主ハインリヒ1世に嫁ぎました。
二男一女が生まれてますが、エピソードは何もなし… 人柄もまったくわかんないっすね。
権力欲があるのかないのか?
マグヌス6世妃 インゲボルグ・エリクスダター
1244~1287/在位 1263~1280
ホーコン・ホーコンソンの弟で、父王の死後即位したマグヌス6世は、王位継承法を改正したり
全国で共通の法を制定したりしたことで知られています。
その妃はデンマーク王エーリク4世とユッタ・アフ・サッシェンの王女です。
姉のソフィアは、スウェーデン王ヴァルデマー1世に嫁いでいます。
エーリク4世には王子がおらず(二人とも幼くして夭逝)王女ばかり4人いました。
三女ユッタと四女アニェスは修道院に入ったからおいといて…
スウェーデン王妃ソフィアとノルウェー王妃インゲボルグに継承権があるというのは
今後問題がおこりそうな予感ですね!
マグヌスとの結婚は議会によって約束されていたということで、完全に政略結婚でした。
でも二人の結婚生活は幸せなものだったと言われています。
結婚から2年後の1263年にマグヌス6世が即位し、インゲボルグは王妃になります。
しかし、この時点ではあまり政治的なことに参加はしていなかったようです。
1280年、マグヌス6世が、戦いではなく病気で亡くなります。
12歳のエイリーク2世が即位すると、なんということでしょう!
インゲボルグは、未成年の息子に代わり、リーダーシップを発揮します。
政治、好きだったのかしらね?
しかも、インゲボルグの影響力はどんどん大きくなり、エイリーク2世が15歳で成人して
親政を執るようになっても、弱まるどころか強くなっていきました。
やっぱり、政治好きだった? ただ、正式に摂政と名乗ったことはないらしい…
皆さんに助けて頂いて… みたいな雰囲気を出しつつ、会社を操っちゃう社長の母って感じ?
結婚当時から断続的に続いていたものの、インゲボルグとデンマークのエーリク5世は
継承権について強く反目するようになっていきました。
始めは個人的なっものだったのですが、次第にデンマークとノルウェー二国間、そして
ドイツまで加わって、敵意を強めていきました。
せっかく仲良くやってきたのに戦争か? と思われた1287年、インゲボルグが亡くなり
この問題は解決しました。
権力にも興味があったのかしらね?
マグヌス6世は、改法王と呼ばれるぐらい法を改訂した君主で、一見賢王みたいですが
政治的には特に優秀というわけではなかったそうです。
インゲボルグが政治力を発揮してマグヌスに影響を与えていたら、さて
ノルウェーは良くなっていたのか、悪くなっていたのか…
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
ひとことテレビコーナー
このあいだ、外国人の方が選ぶおいしい冷凍食品の番組やってて、どれもおいしそうだったんだけど
中でもこれがおいしそうで探してるんですが、近所のどこにも売ってないのよぉ〜
お隣同士三国は仲良くできるのか?
ホーコン・ホーコンソン妃 リキサ・ビュリエルスダター
1237~1288/在位 1251~1257
父ホーコン4世と共治王になり、単独王になる前に24歳で亡くなってしまった
ホーコン・ザ・ヤングの妃リキサは、スウェーデンのヤール(摂政)ビュリイェルの娘さんで
母親はスウェーデン王女インゲボルグでした。
弟にスウェーデン王ヴァルデマーとマグヌス3世がいます。
息子ヴァルデマーの摂政として、事実上君主だったビュリイェルのポリシーは
スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの三国が平和的な関係を維持し続けることでした。
お隣同士三国で獲ったり獲られたりの争いを続けていくって、どの国もしんどいものね。
その一環で、1251年、リキサは共治王ホーコンと結婚しました。
結婚から6年後、ホーコンが亡くなります。
さらに4年後、一人息子のスヴェッレが9歳で亡くなってしまいます。
ノルウェーでの役目を終えたってことなんでしょうか?
翌年にメクレンブルク家のヴェルレ領主ハインリヒ1世に嫁ぎました。
二男一女が生まれてますが、エピソードは何もなし… 人柄もまったくわかんないっすね。
権力欲があるのかないのか?
マグヌス6世妃 インゲボルグ・エリクスダター
1244~1287/在位 1263~1280
ホーコン・ホーコンソンの弟で、父王の死後即位したマグヌス6世は、王位継承法を改正したり
全国で共通の法を制定したりしたことで知られています。
その妃はデンマーク王エーリク4世とユッタ・アフ・サッシェンの王女です。
姉のソフィアは、スウェーデン王ヴァルデマー1世に嫁いでいます。
エーリク4世には王子がおらず(二人とも幼くして夭逝)王女ばかり4人いました。
三女ユッタと四女アニェスは修道院に入ったからおいといて…
スウェーデン王妃ソフィアとノルウェー王妃インゲボルグに継承権があるというのは
今後問題がおこりそうな予感ですね!
マグヌスとの結婚は議会によって約束されていたということで、完全に政略結婚でした。
でも二人の結婚生活は幸せなものだったと言われています。
結婚から2年後の1263年にマグヌス6世が即位し、インゲボルグは王妃になります。
しかし、この時点ではあまり政治的なことに参加はしていなかったようです。
1280年、マグヌス6世が、戦いではなく病気で亡くなります。
12歳のエイリーク2世が即位すると、なんということでしょう!
インゲボルグは、未成年の息子に代わり、リーダーシップを発揮します。
政治、好きだったのかしらね?
しかも、インゲボルグの影響力はどんどん大きくなり、エイリーク2世が15歳で成人して
親政を執るようになっても、弱まるどころか強くなっていきました。
やっぱり、政治好きだった? ただ、正式に摂政と名乗ったことはないらしい…
皆さんに助けて頂いて… みたいな雰囲気を出しつつ、会社を操っちゃう社長の母って感じ?
結婚当時から断続的に続いていたものの、インゲボルグとデンマークのエーリク5世は
継承権について強く反目するようになっていきました。
始めは個人的なっものだったのですが、次第にデンマークとノルウェー二国間、そして
ドイツまで加わって、敵意を強めていきました。
せっかく仲良くやってきたのに戦争か? と思われた1287年、インゲボルグが亡くなり
この問題は解決しました。
権力にも興味があったのかしらね?
マグヌス6世は、改法王と呼ばれるぐらい法を改訂した君主で、一見賢王みたいですが
政治的には特に優秀というわけではなかったそうです。
インゲボルグが政治力を発揮してマグヌスに影響を与えていたら、さて
ノルウェーは良くなっていたのか、悪くなっていたのか…
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
ひとことテレビコーナー
このあいだ、外国人の方が選ぶおいしい冷凍食品の番組やってて、どれもおいしそうだったんだけど
中でもこれがおいしそうで探してるんですが、近所のどこにも売ってないのよぉ〜