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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ノルウェー王ホーコン4世妃 マルグレーテ

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父親と夫、どっちに味方する?
ホーコン4世妃 マルグレーテ・スクレスダター

1208~1270/在位 1225~1263

一瞬王になった、義母マルグレーテに殺されてしまったかもしれないホーコン3世は未婚
さらに一瞬芸の王、スヴェッレの庶子シグルの庶子グットルムは5歳で亡くなっています。
というか、庶子が続いてますけど、なぜちゃんと結婚しないかな? やっぱり一夫多妻?
その後を継いだ、シグル2世の孫インゲ2世も未婚です。
皆さん、お若くして亡くなっているのでね… 争いはおやめなさいってば!

そして、やっと王位継承を賭けた内戦が終わりを告げる時がやってまいりました。
ホーコン4世の登場です。
ノルウェーが国力を高めた13世紀、その口火を切ったのがホーコン4世でした。
在位も46年と久々に長いです。

さきほど、ホーコン3世は未婚と書きましたが、ホーコン4世はホーコン3世の庶子で
母親はインガという愛人でした。

さて、ホーコン4世の妃マルグレーテですが、スクーレという貴族の娘さんでした。
      
家系図を見ていただくとわかると思いますが、スクーレはインゲ2世の異母弟で
自分でも王位を主張していました。
この家系図からはシグル2世とはなんの繋がりも見出せないのだが
広そうでせまい貴族社会、たどっていけば何か繋がりがあるかもね… たどってないけど。

そこで、1225年、父親とホーコン4世の和解の印としてマルグレーテが嫁ぐことになります。
ホーコン4世は、これでスクーレの王位継承権の主張を退けるつもりでした。

この考えはかなり長い間功を奏していたんだけど、1239年、スクーレが
Nidaros(現在のトロンハイム)で王様宣言をしてしまったことで、再度争いが勃発。

結婚から14年ですよ! この間、マルグレーテが「もう大丈夫」と安心して暮らしていたのか
消えてなさそうな父親の野望にハラハラしどうしだったのかは不明。
この争いの間に、父親を助けるような動きをしたのか、見放していたのかも不明。

ただ、父親の反乱を知った時には号泣し、亡くなった時には深く悲しんだそうです。
板挟み… つらかったろう…

1240年、スクーレがホーコン軍に殺害されて、この争いは終結します。
その後もホーコン4世とマルグレーテは離婚や別居などした様子がないので
戦いは戦い、夫婦は夫婦、と割り切っていたのかもしれないですね。 さすが王侯貴族。

マルグレーテは、政治には参加はしていなかったようです。
ただ、自分の財産とか領地を守ることには、けっこう一生懸命だったみたい。
ホーコンが近隣諸国を旅した時には同行して王妃としての役割を立派に果たしたらしいです。
The 王侯家の娘、という教育を受けてきた女性かもしれませんね。

1257年に、共治王だった次男(長男オーラフは幼くして夭逝)ホーコンを亡くしています。
1263年にはホーコン4世がスコットランドとの争いの最中に亡くなります。

1264年にスクーレが建設したトロンデラーグのRissa修道院を
息子マグヌス6世と訪れています。
マルグレーテは1267年から1270年に亡くなるまで、そこで過ごしたようです。

たくさんの愛しい人を亡くした人生でした。
最後の3年間は穏やかに過ごしたと思いたいですね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとこと韓流コーナー
最近BSで『パリの恋人』とか『美しき日々』とか、お懐かしい〜ドラマやってて、来週から『ホテリアー』放送だって
どっか『フルハウス』やってくんないかなぁ… Take2じゃなくてソン・ヘギョちゃんの方ね!

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