THE CRAZYLADIES OF PEARL STREET
2005年 トレヴェニアン
私はトレヴェニアンの本を読んだことも、原作の映画を観たこともないのですが
ストリートっていうか、横町を舞台にした話しが好きなので
本屋さんで出だしを読んで、即購入してしまいました。
晩年の作品らしいです。
面白かったです。
前書きと後書きが無く、プロフィールもほとんど載っていないので
この物語が実話なのかどうかわかりませんが
著者の生い立ちなどを調べるのは、今回もやめときます。
ただ、最初のページに著者から
“ -前略- 訴訟好きの衝動を阻みたい、という私の抑えがたい願望により、
すべての登場人物と名前は私の想像の産物であり、私の頭のなか以外には
存在しないことをここに名言する ” という一文があって
勝手に自伝的作品なんじゃないかと思い込んでいます。
ジャン=リュック・ラポアントは、6歳の時、なんの音沙汰も無かった父親の手紙で
27歳の母と、3歳の妹アン=マリーとニューヨークのノースパールストリートに
引っ越して来ますが、とうの父親はパーティーの準備だけして姿を消していました。
ノースパールストリートは、失業者や保護をもらって暮らしている人々が住む通りです。
長い上に、いろいろなエピソードが入り交じっているので、あらすじは書きませんが
ざっくりいうと、そんな中に残された一家が9年後に通りを出て行くまでの日々を
第二次世界大戦をからめながら、主人公の少年目線で綴った物語です。
だけど、貧しい中で頑張った少年や若い母親の奮闘記みたいに考えるのは間違い。
たしかに、少年は6歳の頃から一家を少しでも助けるために、働く働く!
学校に行く前に働き、休みの日に働き、たまには夜も働く、という働きぶり。
若い母親は、貧しい中でも子供たちにはなるべくちゃんとしたものを食べさせ
からだが弱いのにウェイトレスの仕事をしながら、家事も手を抜かず家を磨きあげます。
休みの日にはお金をかけずに子供たちを楽しませようと努力を払ってくれます。 だけど…
ノースパールストリートには、少なくとも三人は、正常とは思えない女性がいます。
そして他にも二人ほど、ちょっと軌道を逸している女性が登場します。
そんな中にいて、母親は “ クレイジー女 ” のレッテルを貼られてしまうのね。
それは母親が、本来はこんな通りに住むべき人間ではないというプライドと
なるべく人を頼らずに、人に蔑まれないように生きようとするスタンスを
正直に見せすぎていたためだと思われます。
無垢で自分本位な、子供っぽさを捨てずに大人になってしまった人みたい。
4歳の時から心身ともに、そんな母親の片腕になってしまった少年は
いつか母親から逃げ出したい、役目を投げだしたいという気持ちが捨てられずにいます。
出会いがあったり、世界大戦が終わったりという段階を経て
念願だった「ノースパールストリートから抜け出す!!」という夢は叶うのですけれども
それがハッピーエンドにはならなそうな予感は、後半から色濃く紙面を覆っています。
ラストはもちろん書きませんけどね。
主人公一家以外の登場人物のキャラクターも背景もわかりやすくて
すごく感情移入しやすい作品でした。
エピソードのひとつひとつも読み応えがあって、楽しく読み通せました。
日本人としては、第二次世界大戦のとこはちょっとつらかったけど、それは仕方ないっすね。
様々なエピソードの中には、母親を褒め讃えているように思えるものもあり
母親さえこうでなかったら… と祈るようなものもありで、良いところも悪いところも
曝け出されちゃってますが、やっぱり、愛と感謝を込めて書かれているものだと思います。
もし、自伝的小説でないのなら、すっかりだまされちゃってる私… ってことになりますね。
ひとことK-POPコーナー
ハロウィンの日のお昼、ケンタッキーとマックで悩んだんだけど
すごくお腹がすいていたのでマックのエグチのセットを食べました
2005年 トレヴェニアン
私はトレヴェニアンの本を読んだことも、原作の映画を観たこともないのですが
ストリートっていうか、横町を舞台にした話しが好きなので
本屋さんで出だしを読んで、即購入してしまいました。
晩年の作品らしいです。
面白かったです。
前書きと後書きが無く、プロフィールもほとんど載っていないので
この物語が実話なのかどうかわかりませんが
著者の生い立ちなどを調べるのは、今回もやめときます。
ただ、最初のページに著者から
“ -前略- 訴訟好きの衝動を阻みたい、という私の抑えがたい願望により、
すべての登場人物と名前は私の想像の産物であり、私の頭のなか以外には
存在しないことをここに名言する ” という一文があって
勝手に自伝的作品なんじゃないかと思い込んでいます。
ジャン=リュック・ラポアントは、6歳の時、なんの音沙汰も無かった父親の手紙で
27歳の母と、3歳の妹アン=マリーとニューヨークのノースパールストリートに
引っ越して来ますが、とうの父親はパーティーの準備だけして姿を消していました。
ノースパールストリートは、失業者や保護をもらって暮らしている人々が住む通りです。
長い上に、いろいろなエピソードが入り交じっているので、あらすじは書きませんが
ざっくりいうと、そんな中に残された一家が9年後に通りを出て行くまでの日々を
第二次世界大戦をからめながら、主人公の少年目線で綴った物語です。
だけど、貧しい中で頑張った少年や若い母親の奮闘記みたいに考えるのは間違い。
たしかに、少年は6歳の頃から一家を少しでも助けるために、働く働く!
学校に行く前に働き、休みの日に働き、たまには夜も働く、という働きぶり。
若い母親は、貧しい中でも子供たちにはなるべくちゃんとしたものを食べさせ
からだが弱いのにウェイトレスの仕事をしながら、家事も手を抜かず家を磨きあげます。
休みの日にはお金をかけずに子供たちを楽しませようと努力を払ってくれます。 だけど…
ノースパールストリートには、少なくとも三人は、正常とは思えない女性がいます。
そして他にも二人ほど、ちょっと軌道を逸している女性が登場します。
そんな中にいて、母親は “ クレイジー女 ” のレッテルを貼られてしまうのね。
それは母親が、本来はこんな通りに住むべき人間ではないというプライドと
なるべく人を頼らずに、人に蔑まれないように生きようとするスタンスを
正直に見せすぎていたためだと思われます。
無垢で自分本位な、子供っぽさを捨てずに大人になってしまった人みたい。
4歳の時から心身ともに、そんな母親の片腕になってしまった少年は
いつか母親から逃げ出したい、役目を投げだしたいという気持ちが捨てられずにいます。
出会いがあったり、世界大戦が終わったりという段階を経て
念願だった「ノースパールストリートから抜け出す!!」という夢は叶うのですけれども
それがハッピーエンドにはならなそうな予感は、後半から色濃く紙面を覆っています。
ラストはもちろん書きませんけどね。
主人公一家以外の登場人物のキャラクターも背景もわかりやすくて
すごく感情移入しやすい作品でした。
エピソードのひとつひとつも読み応えがあって、楽しく読み通せました。
日本人としては、第二次世界大戦のとこはちょっとつらかったけど、それは仕方ないっすね。
様々なエピソードの中には、母親を褒め讃えているように思えるものもあり
母親さえこうでなかったら… と祈るようなものもありで、良いところも悪いところも
曝け出されちゃってますが、やっぱり、愛と感謝を込めて書かれているものだと思います。
もし、自伝的小説でないのなら、すっかりだまされちゃってる私… ってことになりますね。
ひとことK-POPコーナー
ハロウィンの日のお昼、ケンタッキーとマックで悩んだんだけど
すごくお腹がすいていたのでマックのエグチのセットを食べました