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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド王ヴワディスワフ4世妃 ルドヴィカ

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秘めた恋心を実らせたとしか思えない
ヴワディスワフ4世妃/ヤン2世カジミェシュ妃 
                ルドヴィカ・マリア・ゴンザーガ

1611~1667/在位 (ヴワディスワフ4世妃)1645~1648
          (ヤン2世カジミェシュ妃)1649~1667

アンナ・ヤゲロニカの後を継いだスウェーデン王太子ジグムンド3世は
アンナとコンスタンシアの姉妹と相次いで結婚しました。

父から王位を継承したヴワディスワフ4世は、1637年にツェツィリア・ハプスブルザンカ
結婚しましたが、はその前にルドヴィカとの縁談が一度ありました。

ルドヴィカの父親はマントヴァ公カルロ1世ですが、ルドヴィカはパリ生まれです。
母親はカトリーヌ・ド・ギーズです。
パリではマリー・ルイーズと呼ばれていました。

少女時代を母親とパリで過ごし、16歳の時にオルレアン公ガストンと
結婚することになりましたが、これに兄のルイ13世が猛反対!
反対するだけならまだしも、ルドヴィカをバンセンヌの要塞に閉じ込められたあげく
小さな修道院に移しちゃう始末。
そんなに結婚させたくなかったですかね?

この年父カルロがマントヴァ公になりますが、反対意見が多く継承戦争に突入します。
ルイ13世はやっかいな親戚を抱えたくなかったんでしょうか?

ヴワディスワフ4世と結婚する前の1640年、ルドヴィカはパリで、ヴワディスワフの異母弟
ヤン・カジミェシュと出会い、その後ヤンを文学サロンに招くようになります。
たぶん、二人の間には恋心なんか芽生えちゃったりして…(想像)

1645年に、ヴワディスワフ4世とルドヴィカが結婚することになった時
ヤンは結婚式の代理夫を務めているんですけど、どんな気持ちだったのでしょうね?

二人の気持ちを知っていて代理夫をさせたとしたら、ヴワディスワフは意地悪よね
「悲しむがいい~、悔しがるがいい~」なんて…(妄想)

ひと言メモ
代理夫とは、王侯貴族の娘さんが他国へ嫁ぐ時、夫になる相手が国を離れられなかったりして花嫁の元へ来れない時
故国で結婚式を挙げるために誰かが身代わりの夫を努めることです
花嫁はその後夫のいる国へ向かい、そこで本当の結婚式を挙げるわけです

1648年、ヴワディスワフ4世が亡くなり、ヤンが新王に選出されます。
翌年、たぶん喪が明けるやいなや、as soon asですよ! ヤン2世とルドヴィカが結婚します。

     

ルドヴィカは、エネルギッシュで経済と政治に関心があったらしく
ポーランド議会の選挙システムの変更と、君主の権力増大を望んでいました。
貴族たちはルドヴィカの政治姿勢が中世的だと呆れましたが
たぶん王より知性が秀でていて、かなりヤンをサポートしていたと考えられています。

また、ポーランドで初の文学サロンを開いたり、初の新聞を作ったりと
文学面でも国を向上させようとしていたようです。

1667年に亡くなりますが、これは誰も予期せぬ死だったようです。
怪しいね… 強い女は煙たがられるものだから…
ただ、ヤン2世はルドヴィカの死にかなり打ちのめされたようなので、夫説は消えるね。
ヤン2世はルドヴィカの死から1年後に自ら退位します。 さてはそれが狙いか…?

(参考文献 Wikipedia英語版)

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