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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド王ヴワディスワフ2世妃 ゾフィア

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王の長年の夢を叶えた幼妻
ヴワディスワフ2世妃 ゾフィア・ホルシャンスカ

1405~1461/在位 1422~1434

エルジェピタと幸せな結婚生活を送っていたヴワディスワフ2世でしたが
彼女が亡くなると我に返ったのか、ものすごく若い妃を迎えます。

四人目の妃となるゾフィアとは1420年か1421年に会っています。
ゾフィアは15歳、ヴワディスワフ2世は58歳(68歳説あり)でした。
この結婚にはリトアニア大公ヴィタウタスが尽力したそうなんですが
ゾフィアとヴィタウタスの関係はこんな感じ

         

案の定ポーラン貴族はこの結婚に反対。
また、神聖ローマ皇帝ジギスムントも反対していました。

妹が姉より先に嫁ぐのはいかがなものか… などといちゃもんをつけたりしたのですが
姉ヴァシリーサが1421年に結婚したものですから、翌年の1422年に結婚しました。
ちなみにヴァシリーサの結婚相手は、ヴワディスワフ2世の異母兄です。
こちらもかなりの年の差婚みたいですね。

この結婚は大当たり!と言っていいのか、ゾフィアは1424年に王子を出産しました。
このことでゾフィアのポーランドにおける評価と政治的影響力は強まりました。
1426年には次男を出産しますが1年足らずで亡くなります。

翌年には三男を生むんですが、この時には浮気を疑われています。
なんと! 7人の男性の名があがったそうですよ。
日本の豊臣秀吉もそうだけど、それまで子供に恵まれなかった君主の若い妻に
ほいほい子供ができたら、どうしてもそういう話しになっちゃいますよね。

        

しかし、ポーランド貴族たちからは、ゾフィアが生んだ王子たちより
アンナ・ツィレシュカが生んだヤドヴィカを推す声があがりました。
また、他国からもヤドヴィカを支持する声が高まります。
主にヤドヴィカにプロポーズしてる人たちなんですけどね…
なにせ、すごくたくさんの人から縁談がきてました、ヤドヴィカ。

けれども継承者争いのまっただ中の1431年にヤドヴィカが亡くなります。
この時にはゾフィアを疑う声が高まったそうです。

ヴワディスワフは子供たちに王座を渡すために、貴族たちにかなり譲歩し
新たな特権も与えなければなりませんでした。

1434年にヴワディスワフ2世が亡くなると、10歳のヴワディスワフ3世が王座につきます。
摂政は議会に託され、ゾフィアは自分の影響力を示そうと躍起になります。
また、ヴワディスワフ3世と、ハンガリーとボヘミアを相続することになる
アンナ・フォン・エスターライヒと結婚させようと頑張りました。
上手くかなかったけどね…

1440年、ヴワディスワフはハンガリー王に選出され
ハンガリー王女エルジェーベトと婚約しました。
ゾフィアはヴワディスワフを国境まで見送ったのですが
これが最後の別れの挨拶になります。
1444年、ヴワディスワフはオスマントルコとの争い中に戦死します。
エルジェーベトは結婚前に亡くなりまして、ヴワディスワフ3世は未婚でした。
どちらかというと女性より男性が好きだったらしい… という説もあります。

その後は三男カジミェシュ… という流れになるのですが、リトアニアにいたカジミェシュは
ポーランドに行くのをいやがります。
ゾフィアは2年間貴族たちとカジミェシュの間に立って折衝に励みますが
カジミェシュからは良い返事が聞かれません。

待ちきれなくなったポーランド貴族は、ピャスト家の流れをくむ
ポドラシェ公ボレスワフ4世を王に選出します。

だけどゾフィアは「もう少し待ってちょーだい!」とリトアニアに使節を送って
息子の説得にかかります。
お母さまのガッツに負けたのか、カジミェシュはやっと王位継承を承諾して
1447年に王座につきました。
どうせつくならさっさとせんかい! と誰もが思ったことでしょう。

ゾフィアはカジミェシュから政治に参加することを許され、議会に影響力を及ぼしました。
やっぱ、ボレスワフにしときゃよかったよ! と皆が思ったことでしょう。

ゾフィアの影響力は、カジミェシュがエルジェピタ・ラクシャンカと結婚した
1454年から衰え始めます。
あんなに息子のために頑張ってきたのに、嫁に負けるとは… 悔しかったろう…

最後に政治的な力をふるったのは、十三年戦争の時に教皇ピウス2世に使いを送って
ご意見を伺った時でした。

その後は聖書のポーランド語の翻訳などの援助に励みました、1461年に亡くなりました。
ヴァヴェル大聖堂に葬られています。

はっきりパーソナリティが描かれているわけではありませんが、業績だけ見ていくと
政治的野心があって、権力欲があって、欲しいものは手に入れるって感じ?
負けず嫌いであきらめないタイプの女性だったみたいですね。

もう少し個人像が垣間見えれば、悪女とか賢母とか妖婦とか
なんらかのカテゴリーに入れられて後世に名を残していたかもしれないですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと癒されコーナー
今日はお友達の家の猫ちゃんたち、ころちゃんとこたさんに会いに行って来ました
いつもラインで見ててすごく可愛かったんだけど、実物はもう~! すごくキュートで癒されましたよぉ
   おんてむみたい…

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