ヤドヴィカは肖像画を見つけられなかったので
孫娘のヴワディスワフ2世妃アンナ
ポーランドの行く末を担わされた王妃
カジミェシュ3世妃 ヤドヴィカ・ジャガンシュカ
1350~1390/在位 1365~1370
ヤドヴィカは1365年頃にカジミェシュ3世と結婚しました。
カジミェシュ3世は神聖ローマ皇帝カール4世との繋がりを強くしたいと思って
ヤドヴィカとの結婚を望んでいました。
問題は二人目の妃アデレージャと三人目の妃クリスティーナが存命中ってこと。
けれどもどうしても王子が欲しかったカジミェシュは結婚を強行。
家系図は省略しますが、カジミェシュとヤドヴィカは四等親にあたります。
カジミェシュは教皇の特免をもらわずに結婚に踏み切ります。
アデレージャの味方だった教皇インノケンティウス6世は異議を申し立てました。
だけど次のウルバヌス5世は、1368年に二人の結婚生活を認めています。
ウルバヌス5世もなにかと大変だった時期だけに
「四等親でしょ? もーどーでもいいよ」の境地に陥っていたのかもしれません。
何度も言うけど、この後王家間ではいとこ同士だのおじと姪だのの結婚が目白押しよ!
四親等で騒ぎ立ててるのが可笑しく思えるよ。
カジミェシュが焦っていたわけとは、もしヤドヴィカが子供を産まないと
ハンガリー王ラヨシュ1世が母親のエルジェピタ(カジミェシュの姉)の権利で
ポーランド王になってしまいます。
王家がピアスト家から離れてアンジュー家へいってしまうのね。
そうなると再び王座が戻ってくることもなさそうです。
だけどさ、カジミェシュは55歳で急がなきゃいけないかもしれないけど
ヤドヴィカは15歳ですよ!!
無理に子供なんか産んだら自分の命まで危なくなっちゃう。
子供優先ならどうして適齢期の女性を選ばないかしらね。
結局、結婚の翌年からたてつづけに3人の子供が生まれたのですが
カジミェシュの期待虚しく王女ばかりでした。
死を前にして王子をあきらめたカジミェシュは、後継者をラヨシュにしていました。
1370年にカジミェシュが亡くなると、ラヨシュがルドヴィクとして即位し
エルジェピタが摂政になります。
未亡人になったヤドヴィカはというと、すぐに次女を亡くし
故郷のジャガンに戻って兄ハインリヒ6世の宮廷で過ごすことになりました。
エルジェピタのパワーに圧されたか?
もしヤドヴィカが気の強い女性で、娘に婿を迎えて対抗してたら
この後のポーランドの王位継承も変わっていたかもしれないですね。
たぶんおとなしい女性だったのでしょう。
22歳の時にレグニツァ公ルプレヒトと再婚しました。
まだまだお若いものね。
二人の娘が生まれ、18年の結婚生活を送ったのち40歳で亡くなりました。
カジミェシュとの結婚で生まれた長女アンナの娘アンナが
後のポーランド王ヴワディスワフ2世・ヤゲウォの妃になります。
なんとか王座には関わっていってますが、ピァスト家による王位継承は
カジミェシュ3世で途絶えることになります。
ルドヴィク妃マルガリェタとエルジェピタ二人については
ハンガリー王妃編で書いたので割愛しますね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとことお花見コーナー
お天気はいまいちだったのですが、今日を逃すと行けないかもと思って、毎年恒例近所の公園への花見に行って来ました
お弁当も毎年恒例のおにぎり&からあげ&タマゴ焼き。 満開ではなかったですが綺麗でした
孫娘のヴワディスワフ2世妃アンナ
ポーランドの行く末を担わされた王妃
カジミェシュ3世妃 ヤドヴィカ・ジャガンシュカ
1350~1390/在位 1365~1370
ヤドヴィカは1365年頃にカジミェシュ3世と結婚しました。
カジミェシュ3世は神聖ローマ皇帝カール4世との繋がりを強くしたいと思って
ヤドヴィカとの結婚を望んでいました。
問題は二人目の妃アデレージャと三人目の妃クリスティーナが存命中ってこと。
けれどもどうしても王子が欲しかったカジミェシュは結婚を強行。
家系図は省略しますが、カジミェシュとヤドヴィカは四等親にあたります。
カジミェシュは教皇の特免をもらわずに結婚に踏み切ります。
アデレージャの味方だった教皇インノケンティウス6世は異議を申し立てました。
だけど次のウルバヌス5世は、1368年に二人の結婚生活を認めています。
ウルバヌス5世もなにかと大変だった時期だけに
「四等親でしょ? もーどーでもいいよ」の境地に陥っていたのかもしれません。
何度も言うけど、この後王家間ではいとこ同士だのおじと姪だのの結婚が目白押しよ!
四親等で騒ぎ立ててるのが可笑しく思えるよ。
カジミェシュが焦っていたわけとは、もしヤドヴィカが子供を産まないと
ハンガリー王ラヨシュ1世が母親のエルジェピタ(カジミェシュの姉)の権利で
ポーランド王になってしまいます。
王家がピアスト家から離れてアンジュー家へいってしまうのね。
そうなると再び王座が戻ってくることもなさそうです。
だけどさ、カジミェシュは55歳で急がなきゃいけないかもしれないけど
ヤドヴィカは15歳ですよ!!
無理に子供なんか産んだら自分の命まで危なくなっちゃう。
子供優先ならどうして適齢期の女性を選ばないかしらね。
結局、結婚の翌年からたてつづけに3人の子供が生まれたのですが
カジミェシュの期待虚しく王女ばかりでした。
死を前にして王子をあきらめたカジミェシュは、後継者をラヨシュにしていました。
1370年にカジミェシュが亡くなると、ラヨシュがルドヴィクとして即位し
エルジェピタが摂政になります。
未亡人になったヤドヴィカはというと、すぐに次女を亡くし
故郷のジャガンに戻って兄ハインリヒ6世の宮廷で過ごすことになりました。
エルジェピタのパワーに圧されたか?
もしヤドヴィカが気の強い女性で、娘に婿を迎えて対抗してたら
この後のポーランドの王位継承も変わっていたかもしれないですね。
たぶんおとなしい女性だったのでしょう。
22歳の時にレグニツァ公ルプレヒトと再婚しました。
まだまだお若いものね。
二人の娘が生まれ、18年の結婚生活を送ったのち40歳で亡くなりました。
カジミェシュとの結婚で生まれた長女アンナの娘アンナが
後のポーランド王ヴワディスワフ2世・ヤゲウォの妃になります。
なんとか王座には関わっていってますが、ピァスト家による王位継承は
カジミェシュ3世で途絶えることになります。
ルドヴィク妃マルガリェタとエルジェピタ二人については
ハンガリー王妃編で書いたので割愛しますね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとことお花見コーナー
お天気はいまいちだったのですが、今日を逃すと行けないかもと思って、毎年恒例近所の公園への花見に行って来ました
お弁当も毎年恒例のおにぎり&からあげ&タマゴ焼き。 満開ではなかったですが綺麗でした