IN DUBIOUS BATTLE
1936年 ジョン・スタインベック
以前読んだ『天の牧場』と一緒におさめられていたのですが
本棚を見ていたら未読だったことをふと思い出し読んでみました。
『怒りの葡萄』、『二十日鼠と人間』同様、季節労働者を描いている作品ですが
『疑わしい戦い』は視点を少し変えていて、新たな問題をを提起しているみたいです。
ものすごくざっくりあらすじを書きますと…
踏みつけられて生きてきたと感じている、ジム・ノーランという青年がいます。
彼は今の生活を全て捨てて、共産党の党員になる決心をします。
ジムは、彼の指導者的存在のマック、ハンサムな集金の達人ディック、
打ちのめされすぎておかしくなった老人ジョーイとの共同生活を送ります。
数日後、トーガス渓谷のりんご農園の賃金をめぐって労働者がいきりたっていると聞きつけ
マックはストに備えてジムを連れて現地に向かいます。
トーガス渓谷は、裕福な三人の大地主が牛耳っている土地で、りんごの価格、賃金のみならず
経済も法も彼らの思いのままになっていました。
現地の農園のひとつで、労働者のボス的存在のロンドンの息子の嫁の出産を手伝って
信頼を得た二人は、労働者の話しを聞き、語り、ストの気運の高まりを確信しました。
ここからさらに高速で書くね。
その後に続いた老労働者ダンの大けがで一気に怒りが噴出しストが勃発、
共産党シンパでランチワゴンオーナーのアルの父親が経営する
小さなアンダーソン農園を借り受けた労働者キャンプの開設、
目の前で射殺されたジョーイへの哀悼の思いから盛り上がる労働者のモチベーション、
ディックが集める大量のカンパといいペースで進むストなのですが…
初代争議団長デイキンへのトラック襲撃による彼の発狂、二人をアカと罵る労働者の出現
アンダーソン農園への放火、人々の同情の衰退とカンパの減少、と窮地にたたされ
労働者たちの士気は下がっていきます。
そしてとうとう、三人の地主たちが法に訴える時がやってきます。
マックは、今後のためにも最後まで戦うべきだという説得を続けますが…
80年ほど前のアメリカを舞台にしていますが、現代にも通じる教訓がいくつかありそうです。
物語の中でマックは、ストをおこしているのは、酷使され搾取されて怒りを抱えた労働者で
自分たちはストに勝てるよう方法を教え、バックアップするだけだ、と言います。
だけどそうだろうか?
不平不満を抱えている労働者はたくさんいますが、ほとんどはしぶしぶ仕事をしています。
りんご摘みを終えた後に向かう綿摘みの農場でも同じだろうとわかっていても
今労働をして、たとえ粗末でも寝床と食べ物と手に入れなくてはならないからです。
しかしマックは、農園でおこる不幸を怒りに変えさせ
気が変わりやすい労働者の士気を下げないようあの手この手を使います。
空腹にならないよう多めの食事を与えること、深く考えこまないよう何か仕事を与えること
怒りに変換できそうなものは怪我人であろうと死体であろうと利用すること、などなど…
勝つための方法かもしれませんが、つまり演出ですよね?
ストがおこるのをただ待っているだけでなく、おこそうとしているのでは? と
思えてしかたありません。
スタインベック自身も、動機が正義であっても、行動のどこまでが正当で
どこからが正当でないのかということを、さぐりさぐり書いているような気がします。
違うな… 共産党は、当時言われていたような悪の巣窟ではないということと
しかし、その主張のゴリ押しと行動の内容はどうなのかという
疑問を描きたかったんではないかという気がします。
バートンという若い医師が登場するんですけど、彼は党員ではないけれど
ストの地に駆けつけ、党の行動(作戦)を助けるのね。
だけど時々、マックとジムに疑問をぶつけます。
なぜそうしなければいけないか? 他の人を巻き込まなければいけないか? と。
邦題は『疑わしき戦い』ですが、直訳すると『勝ち負けない戦い』で
現代的に訳すと『勝ち目のない戦い』だと、まえがきで訳者橋本福夫さんが書いています。
私も途中から、これは勝てないな… と思いました。
やはり出身も境遇も熱意もバラバラの大人数を長時間まとめるのって難しいですね。
結局、権力者は最後には勝利するのよね、映画やドラマと違って…
だけどこういった行動が、資本主義者と言う名の独裁者・排他的な国家主義の
是正につながっていっていたとしたら、完全な負けというわけではないのかもしれません。
ひとことフィギュアスケートコーナー
羽生結弦キュンもよいですが、わたしのまわりでは町田樹、通称マッチーの素敵ぶりが小さな話題になっていて
今度本が出るらしいっていうので小さく盛り上がっています。 ちなみに私は小塚崇彦ファン
1936年 ジョン・スタインベック
以前読んだ『天の牧場』と一緒におさめられていたのですが
本棚を見ていたら未読だったことをふと思い出し読んでみました。
『怒りの葡萄』、『二十日鼠と人間』同様、季節労働者を描いている作品ですが
『疑わしい戦い』は視点を少し変えていて、新たな問題をを提起しているみたいです。
ものすごくざっくりあらすじを書きますと…
踏みつけられて生きてきたと感じている、ジム・ノーランという青年がいます。
彼は今の生活を全て捨てて、共産党の党員になる決心をします。
ジムは、彼の指導者的存在のマック、ハンサムな集金の達人ディック、
打ちのめされすぎておかしくなった老人ジョーイとの共同生活を送ります。
数日後、トーガス渓谷のりんご農園の賃金をめぐって労働者がいきりたっていると聞きつけ
マックはストに備えてジムを連れて現地に向かいます。
トーガス渓谷は、裕福な三人の大地主が牛耳っている土地で、りんごの価格、賃金のみならず
経済も法も彼らの思いのままになっていました。
現地の農園のひとつで、労働者のボス的存在のロンドンの息子の嫁の出産を手伝って
信頼を得た二人は、労働者の話しを聞き、語り、ストの気運の高まりを確信しました。
ここからさらに高速で書くね。
その後に続いた老労働者ダンの大けがで一気に怒りが噴出しストが勃発、
共産党シンパでランチワゴンオーナーのアルの父親が経営する
小さなアンダーソン農園を借り受けた労働者キャンプの開設、
目の前で射殺されたジョーイへの哀悼の思いから盛り上がる労働者のモチベーション、
ディックが集める大量のカンパといいペースで進むストなのですが…
初代争議団長デイキンへのトラック襲撃による彼の発狂、二人をアカと罵る労働者の出現
アンダーソン農園への放火、人々の同情の衰退とカンパの減少、と窮地にたたされ
労働者たちの士気は下がっていきます。
そしてとうとう、三人の地主たちが法に訴える時がやってきます。
マックは、今後のためにも最後まで戦うべきだという説得を続けますが…
80年ほど前のアメリカを舞台にしていますが、現代にも通じる教訓がいくつかありそうです。
物語の中でマックは、ストをおこしているのは、酷使され搾取されて怒りを抱えた労働者で
自分たちはストに勝てるよう方法を教え、バックアップするだけだ、と言います。
だけどそうだろうか?
不平不満を抱えている労働者はたくさんいますが、ほとんどはしぶしぶ仕事をしています。
りんご摘みを終えた後に向かう綿摘みの農場でも同じだろうとわかっていても
今労働をして、たとえ粗末でも寝床と食べ物と手に入れなくてはならないからです。
しかしマックは、農園でおこる不幸を怒りに変えさせ
気が変わりやすい労働者の士気を下げないようあの手この手を使います。
空腹にならないよう多めの食事を与えること、深く考えこまないよう何か仕事を与えること
怒りに変換できそうなものは怪我人であろうと死体であろうと利用すること、などなど…
勝つための方法かもしれませんが、つまり演出ですよね?
ストがおこるのをただ待っているだけでなく、おこそうとしているのでは? と
思えてしかたありません。
スタインベック自身も、動機が正義であっても、行動のどこまでが正当で
どこからが正当でないのかということを、さぐりさぐり書いているような気がします。
違うな… 共産党は、当時言われていたような悪の巣窟ではないということと
しかし、その主張のゴリ押しと行動の内容はどうなのかという
疑問を描きたかったんではないかという気がします。
バートンという若い医師が登場するんですけど、彼は党員ではないけれど
ストの地に駆けつけ、党の行動(作戦)を助けるのね。
だけど時々、マックとジムに疑問をぶつけます。
なぜそうしなければいけないか? 他の人を巻き込まなければいけないか? と。
邦題は『疑わしき戦い』ですが、直訳すると『勝ち負けない戦い』で
現代的に訳すと『勝ち目のない戦い』だと、まえがきで訳者橋本福夫さんが書いています。
私も途中から、これは勝てないな… と思いました。
やはり出身も境遇も熱意もバラバラの大人数を長時間まとめるのって難しいですね。
結局、権力者は最後には勝利するのよね、映画やドラマと違って…
だけどこういった行動が、資本主義者と言う名の独裁者・排他的な国家主義の
是正につながっていっていたとしたら、完全な負けというわけではないのかもしれません。
ひとことフィギュアスケートコーナー
羽生結弦キュンもよいですが、わたしのまわりでは町田樹、通称マッチーの素敵ぶりが小さな話題になっていて
今度本が出るらしいっていうので小さく盛り上がっています。 ちなみに私は小塚崇彦ファン