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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド王ヴワディスワフ1世妃 ヤドヴィカ

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夫唱婦随で国をつくった王妃
ヴワディスワフ1世妃 ヤドヴィカ・ボレスワヴォヴナ

1266~1339/在位 1320~1333

しばらくプシェミスル家に王座をもっていかれていたピアスト家でしたが
ヴァツワフ3世の死から16年後に、大公だったヴワディスワフ1世が王位獲得に乗り出し
1320年に王座につきます。

ヴワディスワフの血統はこんな感じ。

          

ブワディスワフとヤドヴィカが結婚したのは1293年です。
ヤドヴィカは27歳ぐらいです。
当時としては晩婚ですが、なにかわけがあったのかしら?

        

結婚した当時はヴァツワフ2世がポーランド王で、王座を狙えるブワディスワフは
潰しておきたい相手ですよね?
そんなわけでヴワディスワフの一家の毎日は危険に充ちたもので
ヤドヴィカと子供たちは隠れて暮らさなければなりませんでした。

即位したブワディスワフは、戴冠式でヤドヴィカが被る王妃の冠を新たに作りました。
「苦労をかけたね」っていう、ブワディスワフの気持ちでしょうか?
この冠はその後代々ポーランド王妃に受け継がれました。

ブワディスワフ1世の即位は、ポーランド国内でおきていた分裂を弱め
国の新たな再統一への一歩となりました。
まだまだ先は長いんだけどね…

また、ポーランドはボヘミアなどの介入を防ぐために
国外に盟友を増やす必要がありました。
そんなわけで王女エルジェピタがハンガリー王カーロイ1世に嫁いでます。

ヤドヴィカは夫の治世中は積極的に政治に参加したらしく
夫の死後は摂政なんかもしたみたいなんですけど、エルジェピエタは母の血をひいたかね?

ヤドヴィカはブワディスワフの死から6年後の1339年に亡くなりましたが詳細は不明。
スタリ・ソンチの修道院に葬られました。
なぜに夫と同じヴァヴェル大聖堂ではないのでしょう?
「墓だけは別にして!」っていう、近頃の奥さまと同じ考えだったりして…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことドラマコーナー
野村萬斎~? って思ってた『オリエント急行殺人事件 三谷幸喜版』 楽しかったさ。あの名前のこじつけ方
これから二夜目です。 犯人もわかっちゃったところからどう二時間もっていく気か? ワクワクですね

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