サリカ法でフランス女王にはなれず
ルイ10世王女 ジャンヌ・ド・ナヴァラ
ナヴァラ女王ファナ2世=ナヴァラ王フェリペ3世妃
1312〜1349/在位 1328〜1349
フィリプ3世を継いだフィリプ4世とジャンヌ・ド・ナヴァラには
7人のお子様が生まれていまして、王子たちは4人中3人までが王に即位しています。
皆さん短い間でしたけど…
四男ロベールも10歳そこそこで亡くならなければ、たぶん王になってたんじゃないかしら?
王女は3人で、長女マルグリートと次女ブランシュは幼くして亡くなっています。
三女は“ フランスの女豹 ” と呼ばれたイングランド王エドワード2世妃イザベルです。
さて、フィリプ4世の長男でルイ10世は2回結婚して、一男一女がおりました。
ジャンヌのお母様は、ルイ10世の最初の妃で、悲劇の王妃として語り継がれる
マルグリート・ド・ブルゴーニュです。
0歳で王になってすぐに亡くなったジャン1世のお母様は
二人目の王妃クレマンス・ダンジューです。
ルイ10世も、その後を継いだ弟のジャン1世も亡くなってしまうと
フランス王位はルイ10世の弟フィリプ5世が継承することになりました。
当時フランスはナヴァール(スペインの一部)の国王も兼ねてましておりました。
フランスには “ サリカ法 ” というものがあって女性は国王になれなかったのね。
でもナヴァールは女王OK!というわけで、ジャンヌには立派に継承権がありました。
が、この王位をフィリプ5世は阻止してます。
まずは「ジャンヌは若すぎる!」と訴えてみました。
ジャンヌはこの時4歳、確かに若いっすね… でもその前の王は0歳で即位してるんだしね…
次にサリカ法を持ち出してみたものの、ジャンヌの祖母にあたるジャンヌ・ド・ナヴァラは
問題なく女王に即位できたのですから、説得力はないですね。
しかしフィリプ5世は、なぜか最大の武器とも言える
「ジャンヌはマルグリートと浮気相手の庶子だ!」という発言は控えています。
なぜかっていうと、ブルゴーニュ公家を敵にまわしたくなかったからです。
ブルゴーニュ公ウード4世はマルグリートの弟で
いつまでも姉のスキャンダルが囁かれることに不快感を示していました。
結局、フィリプ5世&シャルル4世が嫡子無しで亡くなり
ヴァロア家のフィリプ6世が即位すると
「ナヴァール王家と関係ないじゃんか」ということになり、同君連合はなくなりました。
ジャンヌは16歳の時に、夫のフィリップ(フェリペ3世)とともに即位しました。
フェリペは何にあたるの? 叔父さんかしら? いとこかしら?
とにかく親戚ですね 6歳ぐらいで結婚していたようです。
フェリペ3世が亡くなるまでは二人で統治し、その後も亡くなるまで君臨しました。
夫婦仲のエピソードとかはないんですけど、7人のお子さんが生まれています。
次女ブランカはヴァロア家初の王フィリプ6世の二人目の妃になっています。
すっごい年上なの…
なんたって、兄カルロス2世の妃ジャンヌはフィリプ6世の孫にあたるんですもの…
ジャンヌはフランスの君主の座を逃しましたが
カペー家の血はフランス王家に連綿と続き、後のアンリ4世を誕生させています。
家系図を三つのせてみましたが、まさに政略結婚!! って感じですね!
スペースがないので割愛してますが、ブルゴーニュ公家をはじめとする
錚々たる家々が入り乱れてます。
歴史的には面倒くさいけど、家系図的には楽しい時代なんですよね〜
(参考文献 Wikipedia英語版)
ルイ10世王女 ジャンヌ・ド・ナヴァラ
ナヴァラ女王ファナ2世=ナヴァラ王フェリペ3世妃
1312〜1349/在位 1328〜1349
フィリプ3世を継いだフィリプ4世とジャンヌ・ド・ナヴァラには
7人のお子様が生まれていまして、王子たちは4人中3人までが王に即位しています。
皆さん短い間でしたけど…
四男ロベールも10歳そこそこで亡くならなければ、たぶん王になってたんじゃないかしら?
王女は3人で、長女マルグリートと次女ブランシュは幼くして亡くなっています。
三女は“ フランスの女豹 ” と呼ばれたイングランド王エドワード2世妃イザベルです。
さて、フィリプ4世の長男でルイ10世は2回結婚して、一男一女がおりました。
ジャンヌのお母様は、ルイ10世の最初の妃で、悲劇の王妃として語り継がれる
マルグリート・ド・ブルゴーニュです。
0歳で王になってすぐに亡くなったジャン1世のお母様は
二人目の王妃クレマンス・ダンジューです。
ルイ10世も、その後を継いだ弟のジャン1世も亡くなってしまうと
フランス王位はルイ10世の弟フィリプ5世が継承することになりました。
当時フランスはナヴァール(スペインの一部)の国王も兼ねてましておりました。
フランスには “ サリカ法 ” というものがあって女性は国王になれなかったのね。
でもナヴァールは女王OK!というわけで、ジャンヌには立派に継承権がありました。
が、この王位をフィリプ5世は阻止してます。
まずは「ジャンヌは若すぎる!」と訴えてみました。
ジャンヌはこの時4歳、確かに若いっすね… でもその前の王は0歳で即位してるんだしね…
次にサリカ法を持ち出してみたものの、ジャンヌの祖母にあたるジャンヌ・ド・ナヴァラは
問題なく女王に即位できたのですから、説得力はないですね。
しかしフィリプ5世は、なぜか最大の武器とも言える
「ジャンヌはマルグリートと浮気相手の庶子だ!」という発言は控えています。
なぜかっていうと、ブルゴーニュ公家を敵にまわしたくなかったからです。
ブルゴーニュ公ウード4世はマルグリートの弟で
いつまでも姉のスキャンダルが囁かれることに不快感を示していました。
結局、フィリプ5世&シャルル4世が嫡子無しで亡くなり
ヴァロア家のフィリプ6世が即位すると
「ナヴァール王家と関係ないじゃんか」ということになり、同君連合はなくなりました。
ジャンヌは16歳の時に、夫のフィリップ(フェリペ3世)とともに即位しました。
フェリペは何にあたるの? 叔父さんかしら? いとこかしら?
とにかく親戚ですね 6歳ぐらいで結婚していたようです。
フェリペ3世が亡くなるまでは二人で統治し、その後も亡くなるまで君臨しました。
夫婦仲のエピソードとかはないんですけど、7人のお子さんが生まれています。
次女ブランカはヴァロア家初の王フィリプ6世の二人目の妃になっています。
すっごい年上なの…
なんたって、兄カルロス2世の妃ジャンヌはフィリプ6世の孫にあたるんですもの…
ジャンヌはフランスの君主の座を逃しましたが
カペー家の血はフランス王家に連綿と続き、後のアンリ4世を誕生させています。
家系図を三つのせてみましたが、まさに政略結婚!! って感じですね!
スペースがないので割愛してますが、ブルゴーニュ公家をはじめとする
錚々たる家々が入り乱れてます。
歴史的には面倒くさいけど、家系図的には楽しい時代なんですよね〜
(参考文献 Wikipedia英語版)