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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ボヘミア王ヤン妃 ベアトリクス

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国民に無視された王妃
ヤン妃 ベアトリクス・ブルボンスカー

1320〜1383/在位1334〜1346

1330年、ヤンの王妃エリシュカが結核で亡くなりました。
ヤンは、それはそれは悲しんだそうです、真偽はともかく。
自分はよそ者で亡くなったのはボヘミアの王女だから、まわりの目も気にしないとね。

ポーズだかどうだか、エリシュカの死後4年間再婚しなかったヤンですが
フランス王フィリプ6世が親交を深めようと再婚をおススメしてきました。
相手はブルボン公ルイ11世の末娘ベアトリクスです。

おススメはいいけど、ベアトリクスはすでに、ターラント公フィリッポと婚約してて
そちらは破棄されてしまいました。
       
16歳で結婚したベアトリクスは、年上の継子カレルの妃ブランカ
お世話してもらうことになりました。
出身が同じフランスだから心強いですね。 でもヴァロア家とブルボン家だけど…

ベアトリクスは、ブランカとやけに比べられちゃってつらかったみたいです。
ブランカ、エピソードがあまりないけど、できた人だったのでしょうか?

ベアトリクスはというと、冷たそうで傲慢で、チェコ語を嫌悪していたということで
国民には不人気でした。
ブランカはその逆だったのかしら?
たしかに、ボヘミア王女だった王妃の後妻というのは、キツい立場かもね。

それにしても肖像画、なんとかならなかったのでしょうか?
不人気でもしかたない雰囲気が充満していますね。
もう少し明るそうなお顔で描いてもらえばよかったものを…

1337年、王子ヴァーツラフが誕生し、その3ヶ月後豪華な戴冠式が行われましたが
市民たちに無視されたらしい…
そのせいか、ベアトリクスは息子を残してプラハを発ち
その後はめったにボヘミアにやって来ることはありませんでした。

1346年にヤンがクレシーの戦いで戦死しました。
ほとんど国にいなかった王妃でしたが、継子カレル1世はベアトリクスに年金を与えました。

ヤンの死後1年ぐらいしてグランシー卿ユーダス2世と再婚しました。
1383年、息子のヴァーツラフより15日長生きして亡くなりました。
パリのジャコバン派の修道院に葬られましたが、今は残っていません。
胸像がパリのサン=ドニ大聖堂にあるそうです。

                
               Jarmily Haldovéさん作ベアトリクス

ヤンの後は長男カレル1世で、後に神聖ローマ皇帝カール4世にもなります。
王妃は、ブランカ・ヴァロア、アンナ・フラツカー、アンナ・スヴィドニカ
エリシュカ・ポメランスカーの四人です。

    
Jarmily Haldovéさん作 左から、ブランカ・アンナ・アンナ・エリシュカ

(参考文献 Wikipedia英語版)

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