えーっとね… たぶんお局体質じゃないかと…
シャルル11世王女 アンヌ・ド・フランス
ブルボン公ピエール2世妃
1461〜1522
みなさんお待ちかねのアンヌは、ルイ11世とシャルロット・ド・サヴォワの次女です。
長女ルイーズは生まれてすぐ亡くなりました。
三女ジャンヌはルイ12世妃になりました。
幼い頃にロレーヌ公ニコラと婚約しましたがこれを破棄して
12歳の時にブルボン公ピエール2世と結婚しました。
ピエールは実はオルレアン公女マリーと婚約していたのですけれど
これをルイ11世が阻止しています。
ちなみにマリーの弟が後のルイ12世でございます。
ちなみにちなみに、ピエールの姉マルグリートの息子がフランソワ1世です。
皆が王位を狙える位置にいるだけに… 結婚も一大事ですわね。
アンヌは肖像画から見て取れるように知的、かつエネルギッシュで
とても手強い女性だったということです。
弟シャルル8世が未成年の間は夫とともに摂政を務めましたが
職を辞した後も王様ばりの力を持っていたようです。
やり手さんだったアンヌには政治的な功績も多々あって… たとえば
ルイ11世時代の圧政を正したりとか、イングランドのチューダー家を援護したりとか
百年戦争終結を計ったりとか…
しかしそれはおいといて、私がとても気になったのは
数々の娘さんたちを監督・教育したことでしょうか。
ディアーヌ・ド・ポワティエ、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世皇女マルグリートなども
含まれております。
また娘のシュザンヌに宛てて『娘の練習帳(直訳)』という本を書き与え
庶民の暮らしや貴族としてのこころがけを説いたそうです。
どうやらハンカチを日常的に使うことを広めたのもアンヌらしい。
夫のピエール2世が1503年に亡くなって娘のシュザンヌがブルボン公領を継いだわけですが
アンヌは王家の干渉を防ぐため支配の手を緩めませんでした。
とっても頼りにはなりそうだが隅々まで口うるさそうでもありますね。
アンヌには一人娘のシュザンヌしかいなかったのですが
息子がいたとしたら嫁は大変だったかも…
(参考文献 Wikipedia英語版)
シャルル11世王女 アンヌ・ド・フランス
ブルボン公ピエール2世妃
1461〜1522
みなさんお待ちかねのアンヌは、ルイ11世とシャルロット・ド・サヴォワの次女です。
長女ルイーズは生まれてすぐ亡くなりました。
三女ジャンヌはルイ12世妃になりました。
幼い頃にロレーヌ公ニコラと婚約しましたがこれを破棄して
12歳の時にブルボン公ピエール2世と結婚しました。
ピエールは実はオルレアン公女マリーと婚約していたのですけれど
これをルイ11世が阻止しています。
ちなみにマリーの弟が後のルイ12世でございます。
ちなみにちなみに、ピエールの姉マルグリートの息子がフランソワ1世です。
皆が王位を狙える位置にいるだけに… 結婚も一大事ですわね。
アンヌは肖像画から見て取れるように知的、かつエネルギッシュで
とても手強い女性だったということです。
弟シャルル8世が未成年の間は夫とともに摂政を務めましたが
職を辞した後も王様ばりの力を持っていたようです。
やり手さんだったアンヌには政治的な功績も多々あって… たとえば
ルイ11世時代の圧政を正したりとか、イングランドのチューダー家を援護したりとか
百年戦争終結を計ったりとか…
しかしそれはおいといて、私がとても気になったのは
数々の娘さんたちを監督・教育したことでしょうか。
ディアーヌ・ド・ポワティエ、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世皇女マルグリートなども
含まれております。
また娘のシュザンヌに宛てて『娘の練習帳(直訳)』という本を書き与え
庶民の暮らしや貴族としてのこころがけを説いたそうです。
どうやらハンカチを日常的に使うことを広めたのもアンヌらしい。
夫のピエール2世が1503年に亡くなって娘のシュザンヌがブルボン公領を継いだわけですが
アンヌは王家の干渉を防ぐため支配の手を緩めませんでした。
とっても頼りにはなりそうだが隅々まで口うるさそうでもありますね。
アンヌには一人娘のシュザンヌしかいなかったのですが
息子がいたとしたら嫁は大変だったかも…
(参考文献 Wikipedia英語版)