ヤゲウォ家最後の君主
ポーランド女王/シュテファン・バートリ妃 アンナ・ヤゲロニカ
1523~1596 在位/(ポーランド女王)1575~1587
(シュテファン・バートリ妃)1575~1586
アンナはジグムンド1世とボナ・スフォルツァの三女としてクラクフで生まれました。
兄ジグムンド(2世)もいましたし、姉も三人いたので王位など考える必要は無く
若い王女としてあたりまえの暮らしをして過ごしました。
例えば、刺繍とか縫い物とか、慈善活動とか… 帝王学を学んだりはせず
プリンセスの義務を果たしていました。
子供の頃、両親がリトアニアに行く時には、姉妹たちがクラクフで留守番でした。
だから(長女、次女はボナの娘ではないので)三女、四女とはとても仲がよかったそうで
いつも三人で遊んでいました。
そのかわり、未来の王である兄ジグムンドとは少し距離があったようです。
両親か議会かはわかりませんが、アンナはスウェーデンの王太子候補として教育されましたが
お相手のヨハンのことを、妹のカタリーナも気に入っていたらしく
結局カタリーナが嫁ぐことになりました。
姉妹で王子様を取り合い? 二人の微妙なやりとりみたいのを詳しく知りたいですよね?
姉妹たちがどんどん嫁いでいく中、アンナは52歳まで未婚でした。
そして1572年、とうとう縁談が舞い込みました。
兄のジグムンド2世が嫡子を遺さず亡くなったため、アンナを結婚させて
その相手を共治王にしようという計画です。
つまりアンナは誰かと結婚しないと君主にはなれなかったわけね。
52歳まで独身だったら、一人の方が気楽だっただろうに… 変な法律。
ヴァランスの司教の働きかけで、フランスのアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの王子
アンリが一瞬王座につきました。
しかし、アンリは1574年に自ら退位してフランスに帰国します。
これについては、アンナがイヤで逃げ出したっていう説もありますが
本当は「(兄の)シャルル9世はもうダメかもね…」と考えたカトリーヌが
呼び寄せたという説もあります。
1975年に、トランシルヴァニアの公子シュテファン・バートリが王に選ばれ
アンナと結婚して、二人はそろって即位しました。
余談ですが、バートリ家といえば、エリザベート・バートリという
若い女性を600人以上殺して自分の若返りを謀っていたという
恐ろしい貴婦人のエピソードで名前を知ってましたが、こんなに由緒正しき家柄だったとは…
どれどれ… エリザベート・バートリは1561年生まれで1614年没です。
もし親戚だったらシュテファンも会っていたかもしれないね!!
アンナとシュテファンは、結婚したといっても、年に何回かしか会わなかったらしく
本当に王座のためだけの夫婦だったんですね。
シュテファンはなんとかしてアンナと離婚して若い嫁と再婚できないものかと
画策していたみたいです。
一応シュテファンを擁護しておくと、後継ぎがほしいってことだったらしい。
夫がいないと君主にはなれなかったアンナですが、政治力はあったらしく
シュテファンよりも議会に影響力を持っていました。
どちらかというとシュテファンの方がお飾り的な王様でした。
1586年、シュテファンが亡くなると、王座を去らなければならないアンナは
最後の力を行使して、妹カタリーナの王子ジグムンドを次の王にするよう
議会に認めさせました。
スウェーデン王子をめぐってなにかイザコザがあったかもしれない妹の息子ですが
家系を守るためなら! という、当時の王侯貴族の娘のガッツが感じられますね。
ジグムンド3世は、アンナの政治的な介入は許しませんでしたが
ないがしろにはしませんでした。
父王ヨハン3世の死後スウェーデン王にも即位したジグムンド3世は、国を留守にする間
アンナに子供の養育を任せています。
退位後もやりがいのあることが見つかってよかったですね。
退位から10年後の1596年に亡くなりヴァヴェル大聖堂に葬られました。
王座は今後ヴァーサ家に移ります。
(参考文献 M・ニコラス『世界の悪女たち』 Wikipedia英語版)
ひとこと調べものコーナー
お盆に福岡に帰ったのですが、みやげ物にやけに “ モンドセレクション受賞 ” が増えてる気がしたので
そもそもモンドセレクションて?と思い調べてみました オドロクよ!
ベルギーの民間団体がいくつかのカテゴリーの商品を認証してるらしいんだけど、それはさておき…
以下、Wikipediaの抜粋ね
本認証はコンクールスタイルを用いているものではない。相対評価ではなく絶対評価を用いているため、定められた技術水準を満たした商品には全て認証が与えられる。モンドセレクションは国際的には知名度は低いが、日本国内での知名度は高い。審査対象品の5割が日本からの出品であり、日本の商品の高品質が認められ8割が入賞している
ま、日本のみやげのほとんどがおいしいってこなんでしょうね…
ポーランド女王/シュテファン・バートリ妃 アンナ・ヤゲロニカ
1523~1596 在位/(ポーランド女王)1575~1587
(シュテファン・バートリ妃)1575~1586
アンナはジグムンド1世とボナ・スフォルツァの三女としてクラクフで生まれました。
兄ジグムンド(2世)もいましたし、姉も三人いたので王位など考える必要は無く
若い王女としてあたりまえの暮らしをして過ごしました。
例えば、刺繍とか縫い物とか、慈善活動とか… 帝王学を学んだりはせず
プリンセスの義務を果たしていました。
子供の頃、両親がリトアニアに行く時には、姉妹たちがクラクフで留守番でした。
だから(長女、次女はボナの娘ではないので)三女、四女とはとても仲がよかったそうで
いつも三人で遊んでいました。
そのかわり、未来の王である兄ジグムンドとは少し距離があったようです。
両親か議会かはわかりませんが、アンナはスウェーデンの王太子候補として教育されましたが
お相手のヨハンのことを、妹のカタリーナも気に入っていたらしく
結局カタリーナが嫁ぐことになりました。
姉妹で王子様を取り合い? 二人の微妙なやりとりみたいのを詳しく知りたいですよね?
姉妹たちがどんどん嫁いでいく中、アンナは52歳まで未婚でした。
そして1572年、とうとう縁談が舞い込みました。
兄のジグムンド2世が嫡子を遺さず亡くなったため、アンナを結婚させて
その相手を共治王にしようという計画です。
つまりアンナは誰かと結婚しないと君主にはなれなかったわけね。
52歳まで独身だったら、一人の方が気楽だっただろうに… 変な法律。
ヴァランスの司教の働きかけで、フランスのアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの王子
アンリが一瞬王座につきました。
しかし、アンリは1574年に自ら退位してフランスに帰国します。
これについては、アンナがイヤで逃げ出したっていう説もありますが
本当は「(兄の)シャルル9世はもうダメかもね…」と考えたカトリーヌが
呼び寄せたという説もあります。
1975年に、トランシルヴァニアの公子シュテファン・バートリが王に選ばれ
アンナと結婚して、二人はそろって即位しました。
余談ですが、バートリ家といえば、エリザベート・バートリという
若い女性を600人以上殺して自分の若返りを謀っていたという
恐ろしい貴婦人のエピソードで名前を知ってましたが、こんなに由緒正しき家柄だったとは…
どれどれ… エリザベート・バートリは1561年生まれで1614年没です。
もし親戚だったらシュテファンも会っていたかもしれないね!!
アンナとシュテファンは、結婚したといっても、年に何回かしか会わなかったらしく
本当に王座のためだけの夫婦だったんですね。
シュテファンはなんとかしてアンナと離婚して若い嫁と再婚できないものかと
画策していたみたいです。
一応シュテファンを擁護しておくと、後継ぎがほしいってことだったらしい。
夫がいないと君主にはなれなかったアンナですが、政治力はあったらしく
シュテファンよりも議会に影響力を持っていました。
どちらかというとシュテファンの方がお飾り的な王様でした。
1586年、シュテファンが亡くなると、王座を去らなければならないアンナは
最後の力を行使して、妹カタリーナの王子ジグムンドを次の王にするよう
議会に認めさせました。
スウェーデン王子をめぐってなにかイザコザがあったかもしれない妹の息子ですが
家系を守るためなら! という、当時の王侯貴族の娘のガッツが感じられますね。
ジグムンド3世は、アンナの政治的な介入は許しませんでしたが
ないがしろにはしませんでした。
父王ヨハン3世の死後スウェーデン王にも即位したジグムンド3世は、国を留守にする間
アンナに子供の養育を任せています。
退位後もやりがいのあることが見つかってよかったですね。
退位から10年後の1596年に亡くなりヴァヴェル大聖堂に葬られました。
王座は今後ヴァーサ家に移ります。
(参考文献 M・ニコラス『世界の悪女たち』 Wikipedia英語版)
ひとこと調べものコーナー
お盆に福岡に帰ったのですが、みやげ物にやけに “ モンドセレクション受賞 ” が増えてる気がしたので
そもそもモンドセレクションて?と思い調べてみました オドロクよ!
ベルギーの民間団体がいくつかのカテゴリーの商品を認証してるらしいんだけど、それはさておき…
以下、Wikipediaの抜粋ね
本認証はコンクールスタイルを用いているものではない。相対評価ではなく絶対評価を用いているため、定められた技術水準を満たした商品には全て認証が与えられる。モンドセレクションは国際的には知名度は低いが、日本国内での知名度は高い。審査対象品の5割が日本からの出品であり、日本の商品の高品質が認められ8割が入賞している
ま、日本のみやげのほとんどがおいしいってこなんでしょうね…