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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド王ヴァツワフ3世妃 ヴィオラ・エルジュピタ

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              肖像画がないので義理の妹エルジェーベトで…

美貌ゆえに?  身分違いの結婚
ヴァツワフ3世妃 ヴィオラ・エルジュピタ・チェシンシュカ

1291~1317/在位 1305~1306

ヴァツワフ2世とグータの王子で、短命に終わったヴァツワフ3世の妃は
チェシン公ミェシュコ1世の公女ヴィオラです。

チェシン公は、決して王侯貴族と対等な立場ではなかったらしく
父のミェシュコ1世は、敵が多いヴァツワフの、数少ない忠臣の一人でした。

なぜにチェシン公の娘を?という理由がはっきりしていないのですが
近年の歴史家の中には、ヴィオラがずばぬけて美しかったという方もいるようです。

ただ、ポーランドとボヘミアの間にあるチェシンの立地からみて
美しいからってだけでお嫁さんにしたわけでもなさそうです。
       
1305年、16歳のヴァツワフと14歳のヴィオラは結婚。
ヴァツワフは幼い頃からハンガリー王アンドラーシュ3世の王女エルジェーベトと
婚約していましたが、ヴィオラとの結婚の4日後に破棄しました。
おいおい! 後ですか? 前でなく?

ヴィオラは結婚後にエルジュピタに改名しました。
若い二人の新婚生活は、あまり幸福ではなかったようです。

もともと基盤が危ういのに、ヴァツワフはかなり自由気ままで
ボヘミアの貴族たちと激しく敵対していました。
そんなわけで結婚から10ヶ月後、ヴァツワフはオロモウツで暗殺されます。

15歳で未亡人になったヴィオラは、財産も無く身よりもいないという状態で
義理の妹アンナとエルジェーベトとともに修道院に身を寄せました。

二人の義妹はその後結婚し、ボヘミア王座をめぐる争いに加わりますが
ヴィオラはポツネンと捨て置かれていました。

時は流れ… エルジェーベトと夫のボヘミア王ヤン・ルクセンブルクは
当時絶大な力を持っていた貴族ペテル・ローゼンブルクを取り込もうとし
ヴィオラを差し出すことにしました。
ペテルはハインリヒ・フォン・Lipaの娘と婚約していましたが
これを破棄して、1316年にヴィオラと結婚しました。

このハインリヒ・フォン・Lipaがリクザと暮らしていたハインリヒと同一人物かは
わかんないんですけど、たぶん同じ人だと思ふ…

再婚からたった1年後の1317年、ヴィオラは亡くなり
ローゼンブルク家の墓所に葬られました。

せめて墓所だけでもわかっていてよかったです。
政治の道具として生きた短い人生で、個人的なエピソードはまったく無し!
絶世の美女ならせめて肖像画が見たかったですね。
しかたなくエルジェーベトの肖像画を使いましたが、当時のボヘミアの王侯貴族の女性は
みんなこんな風に描かれてるから、ま、いっか、ってことで…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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