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Channel: まりっぺのお気楽読書
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ポーランド王ヴァツワフ2世妃 グータ

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どっちかっていうとボヘミア王妃
ヴァツワフ2世妃 グータ・フォン・ハプスブルク

1271〜1297/在位 (ボヘミア王妃)1285〜1297 (ポーランド王妃)1291〜1297

カジミェシュ2世の血をひくヴワディスワフ(1世)と争ってポーランド王についた
ヴァツワフ2世のひとり目の妃は、ドイツ王ルドルフ王1世の王女グータです。

         

ヴァツワフ2世の父オトカル2世と、ドイツ王ルドルフ1世は
神聖ローマ皇帝の座を争っていましたが和平条約を結び、子供同士の結婚が決まりました。
でもヴァツワフもグータも5歳なのよ! 結婚すると言ってもね…
というわけで、婚約は8歳の時で、結婚は14歳の時でした。

しかし、挙式のすぐ後にルドルフ1世はグータをすぐにドイツに連れ帰りました。
理由は「若すぎるから」… そんなことわかってんじゃないのよぉ!
しかも14歳で嫁いだ王妃は少なくないと思うけどね、良い悪いは別にして…

オトカル2世は、二人の結婚の1年前に戦死していて
ヴァツワフは13歳の若さで王についていました。
立場の強さを利用して、娘を少しでも長くそばにおいておきたかったのかもしれませんね。

それから、実際は母親のクニグンダが摂政としてボヘミアを取り仕切っていたのですが
ルドルフ1世は、クニグンダと一緒に国政を牛耳りこっそり結婚までしていた
フランケンシュタイン卿Zavishを嫌っていました。
「こんな淫らな宮廷に娘をおけるか!」という思いだったのかもしれません。

いずれにしても、グータが不参加だったせいで、ヴァツワフの戴冠式は中止になりました。

父王のZavish嫌いはグータにも伝わったらしく、グータも彼を嫌っていました。
クニグンダの死から5年後のZavishの裁判と処刑もバックアップしています。

ヴァツワフ2世は、もともとボヘミア王で、ポーランド王といっても名ばかり…
ほとんどポーランドにはいませんでした。

だからグータもほとんどポーランドにはいなかったってことで…
プラハの宮廷のドイツ化に努め、文化的に向上させることに励みました。
政治的には、兄のアルブレヒト1世とヴァツワフ2世を和解させることに成功し
ヴァツワフのポーランド王位継承も強く支持していました。

なかなか精力的な女性のようですね。
それにとても美しく、高貴で貞淑な女性だったそうです。 悪いとこなし!

さらに健康にもなんの問題もなかったそうなのですが、なにせ10年続けて妊娠してまして
そりゃあ疲れるってば… 10人目の子供の出産の時に亡くなりました。
中世には珍しい相思相愛の夫婦だったのかもしれませんけどね。

28歳の若さだし、とても美しかったということですから
かなり惜しまれて世を去ったのではないでしょうか? だとしたら救われますね。

余談なんだけど、ヴァツワフ2世の母クニグンダの妹グリフィナから
かなり時がたっているような気がしたけど、20年ぐらいしかたってないですね?
王様変わりすぎじゃないか? いつまでたってもポーランドが終わんないよぉ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
Kちゃんのお誘いでU-KISSの日本武道館に行ったんだけど、なんとまたアリーナ10列目… なんか運良すぎでこわい
ニュー・マンネも噂のヨジャダンサーズも見れたし、ケビンはかわいーし! 楽しかったです

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