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Channel: まりっぺのお気楽読書
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フランス王ルイ8世王女 聖イザベル

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俗世の男性より神を選ぶ
ルイ8世王女 イザベル・ド・フランス

1225〜1270

ルイ8世とブランシュ・ド・カスティーヨには13人のお子さんがいまして
そのうち王女は3人ですが、長女ブランシェと次女アニェスはすぐ亡くなってしまいました。
長女ブランシェの誕生から20年後、12番目の子として生まれたのがイザベルです。
            
父王ルイ8世はイザベルが1歳の時に亡くなると、母ブランシュがルイ9世の摂政に就き
幼い子供たちの教育を一手に引き受けることになりました。
どうやらブランシュの教育方針が敬虔だったみたいですね。
兄のルイ9世は聖王と呼ばれていますし、イザベルも幼い頃から信心深い子供でした。

イザベルは王家の言いつけよりもフランシスコ派の聖職者たちの教えを尊重していました。

唯一のフランス王女ってわけで、イザベルにも各国からの縁談が舞い込みます。
けれどもイザベルはいくつかの婚約を破棄しました。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と皇后イザベラの皇子コンラートとの縁談は
ローマ教皇インノケンティウス4世も承認していたものでしたが、これも固辞しました。

インノケンティウス4世は神聖ローマ側に圧されてしぶしぶ結婚を承認してたのかしら?
すぐに「神に身を捧げ処女として生きることを決心するとは!」と賞讃を与えました。
だって、ものすごい広告塔になるものねぇ…

しかし一人しかいない王女を政治に利用しないとは…当時では考えられないことですね。
母ブランシュが敬虔な娘を後押ししたんでしょうかね?
だとしたら、母親の言いなりだったルイ9世も黙認するしかありませんな。

教皇のお言葉に気をよくしたのか、イザベルはクレア派の修道院を建てたいと考えます。
優しい兄ちゃんルイ9世は妹のために、ルブレの土地を手に入れてあげました。

イザベルは修道院長になることは拒み修道院で暮らすこともありませんでしたが
聖職者は自ら厳選し、わざわざ修道院の近所に移ってます。
なんかさぁ、オーナーとして、近くで雇われ社長(修道院長)に睨みを効かす感じですか?
だったらいっそのこと社長(修道院長)になってくれた方がまわりも気が楽なんじゃない?
オーナーの “ 鶴の一声 ” で騒動になる会社(球団か…)もあるんだからさぁ…

そんなことを一介の信者がやっていいのかね? と甚だ疑問なんですけど
イザベルは教義の改訂なんかもやっちゃってます。
そんなこと勝手にしたら教皇が怒り心頭で破門するんじゃないの? と思いきや
フランスやイタリアの修道院で取り入れられたそうですよ。
カトリックの教義に則った改訂だったんでしょうね。

影のオーナーなんて言っちゃったけど、イザベルはその後も信仰篤く
病人や貧しい人々に手を差しのべ続けて人生を送りました。

1270年にロンシャンで亡くなりました。
で、ここからが聖人伝説なんですけど、教会の墓地に埋葬されたイザベラを
9日後に掘り出してみると(なぜに掘り出す?)まったくもって腐食がなかったらしい…
そして墓石にはたくさんの奇跡の跡が残っていたらしい…

イザベルは列聖されてはいないようなんですけれども
1521年にローマ教皇10世がロンシャン修道院でイザベルを讃えることを許可しました。

そんなエピソードが残るロンシャン修道院ですが、フランス革命の際に閉ざされ
売りに出されましたが購入者が見つからず取り壊されたそうです。
もったいないですね フランス革命軍は見境なしだからさぁ…
由緒あるものは遺しとけばいいじゃない?
修道院があった場所は1857年以降、ブローニュの森になっております。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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