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Channel: まりっぺのお気楽読書
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フランス王ロベール2世王女 アデール

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フランス草創期、大活躍した王女
ロベール2世王女 アデール・ド・フランス
ノルマン公リシャール3世妃/フランドル伯ボードゥアン5世夫人

1009〜1079

今回はフランスの王女編…
プリンセスといえば頭に浮かぶのは、フランス風キラキラビカビカな
ヴェルサイユ時代のフランスの宮廷女性たちですよね。
本当のフランス王女たちの人生はどんなものだったのでしょうね?

王妃同様カペー王家からまいります。

初代王ユーグ・カペーと王妃アデライードの間には何人か王女がいたらしいのですが
わかっているのはヘドヴィヒ(970頃〜1013)という王女がモンス伯ルノーに嫁いだことと
ジゼル(968頃〜1002)という王女がポンチュー伯ユーグ1世に嫁いだことだけです。

ヘドヴィヒとジゼルの兄弟にあたるロベール2世と
3人目の妃コンスタンス・ダルルの次女がアデールです。
長女アリックスはヌヴェール伯ルノー1世に嫁いでいます。

1027年にノルマン公リシャール3世と結婚しましたが、その年のうちに未亡人になりました。
翌年フランドル伯ボードゥアン5世と再婚しました。

        

アデールは実家の権威でフランドル伯家に大きな力をもたらしました。

兄のアンリ1世が亡くなると、夫共々甥である8歳のフィリプ1世の後見人になります。

フィリプ1世の摂政には母親のアンヌ・ド・キエヴが就いていたのですが
フランス語が堪能でないってことで反対意見がおこっていました。
アデールあたりが急先鋒だったんじゃないかしら? なんて… 憶測ですからね。
アンヌ失脚後は義理の兄としてボードゥアン5世が摂政に就きました(ほらね

しかし、大きな力を持つとその権力欲しさに家庭内がドロドロになるのが中世の常…

1071年、アデールの孫にあたるアルヌルフ3世が治めていたフランドルに
アデールの三男ロベールが攻め入りました。
この時アデールはフィリプ1世に頼んで、息子ではなく孫に加勢したんですけど
最終的にはロベールが勝利しフランドル伯になりました。
       
この戦いの1年後、フィリプ1世は、ロベールの継子ベルタと結婚しました。
仲直りのしるしですかね?

アデールは夫ボードゥアン5世の宗教政策、特に教会再建に影響力を持っていたらしく
アイル、リール、ハーレルベーケの教会系大学や
メセン、エナメの修道院などの設立に携わりました。

1067年にボードゥアン5世が亡くなるとローマを訪れ、教皇アレクサンデル2世から
修道女用のヴェールを授けられています。
これが最後の晴れ舞台で、その後はメセンに引退し、そこで亡くなりました。

ローマン・カトリック系教会では、アデールが亡くなった9月8日が記念日になっていて
これは聖人の日並みの扱いだそうです。
いっそのこと聖人にすればいいのにね? (無責任発言です
なにか奇跡がおきなかったのかしら?

お子様は5人で、長女マティルダがイングランド王ウィリアム1世に嫁ぎました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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