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Channel: まりっぺのお気楽読書
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イギリス王ジョージ2世愛妾 ヘンリエッタ

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家族思いの愛妾
サフォーク伯夫人 ヘンリエッタ・ハワード

1689〜1767/愛妾 1714〜1735

父親のホバート男爵ヘンリーは、ヘンリエッタが8歳の時に決闘で亡くなりました。
母親エリザベス・メイナードも数年後に亡くなりました。

ヘンリエッタは、弟や妹たちに良い地位を与えてああげたいわぁ… と思い
17歳の時にサフォーク伯チャールズ・ハワードと結婚しました。
このおかげだかどうだか、弟ジョンは初代バッキンガムシャー伯に叙位されてます。
        
しかし、チャールズは、根っからのギャンブラーで乱暴者、結婚生活は不幸でした。

1714年、チャールズとヘンリエッタは、次期王ジョージ1世のご機嫌をとろうと
ハノーヴァアーを訪れました。
その後ヘンリエッタは、王太子妃キャロライン・アーンズバックの寝室係になります。
ジョージ(2世)がねらってしたことなのか、妻の寝室係が美人じゃない?と
手を出したのかはわかりませんが、ヘンリエッタはジョージ(2世)の愛妾になりました。

ジョージ(2世)は、ヘンリエッタを公妾にするかわりに夫チャールズの借金を
かたずけてあげたってことで、ヘンリエッタは旦那さんを助けるために
愛妾になったのかもしれませんね。
ヘンリエッタとチャールズは正式に別居しました。
でも、長い別居生活のままで離婚はしなかったみたいです。

夫チャールズは、ヘンリエッタをジョージ2世から取り戻そうと
1729年に大法院に訴えていますが、この時、ヘンリエッタを避難させたのは
なんと! 王妃キャロラインでした。

キャロラインはその後も、ジョージ2世に年金を払うよう申し出て
ヘンリエッタが宮廷を出て行くことを思いとどまらせていました。
できた嫁ですわ…

1733年、チャールズ・ハワードが亡くなって未亡人になったヘンリエッタは
1735年にバークリー伯の息子ジョージと再婚し、これを機に公妾の座を降りました。

実はヘンリエッタの再婚前から、ジョージ2世は彼女を疎んじるようになっていました。
ジョージ2世はヘンリエッタと語り合うのが好きだったんだけど
ヘンリエッタは耳を悪くしちゃったのね。
19年も一緒にいたのにねぇ… 筆談とかでもいいじゃないねぇ!

弟妹のために結婚したり、王のご機嫌とりに行ってちゃっかり王子の愛妾になったりと
したたかそうに見えるヘンリエッタですが、実はものすごく控えめで
政治的野心もない人だったそうです。
親戚の地位をアップしてもらいたいなぁ… と思っても、なかなかジョージ2世に
言い出せなかったそうで、彼女が公妾を辞退し、ジョージ2世が新たに
デルレイン夫人を愛妾にした時、宰相ウォルポールや大臣たちはたいそう嘆いたらしい…

デルレイン夫人… どんな人なんだろう? 見つけられず…

キャロラインが約束したように、ジョージ2世から多額の年金を贈られたヘンリエッタは
テムズ河畔に土地を購入し、ロジャー・モリスとペンブローク伯ヘンリー・ハーバートの
設計による、美しいマーブル・ヒル・ハウスを建築しました。

大人しい人とはいえ、美しい上に性格が良かったのでしょうかね?
愛妾をやめた後もたくさんの友人たちがいたようです。
宰相ウォルポールやジョナサン・スィフトとも文通してました。
親しい友人の中には、ジョージ2世に批判的な詩人アレグザンダー・ポープもいて
ヘンリエッタがジョージ2世と別れた理由は彼にあるとも言われています。

1746年に夫ジョージが亡くなると、マーブル・ヒル・ハウスを手放したのですが
その後のことがよくわかりません。 20年ぐらい長生きしてるんですけどね…
こじんまりとした邸宅で、友人や崇拝者たちの訪問を受けながら
平和な老後を過ごしたと思いたいですね。

(参考文献 森護氏『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)

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