たいしたタンカをきったもんだ
フィリプ5世王女 マルグリート1世・ド・ブルゴーニュ
ブルゴーニュ伯=フランドル伯ルイ1世妃
1310〜1382
フィリプ5世とジャンヌ・ド・ブルゴーニュ次女マルグリートの
幼い頃のことはよくわかりませんが、10歳ぐらいで
6歳年上のルイ(ルートヴィヒ)と結婚しています。
この結婚のおかげで、マルグリートの叔父にあたるフィリプ6世の後押しを受け
ルイはフランドル伯になることができました。
当時フランドルは経済的にイングランドに依存していたのですが
ルイは一貫してフランス支持派でした。
フランスとイングランドは百年戦争の真っ最中、てなわけで
イングランドはフランドルとの羊毛貿易を取り止めました。
そんなこんなで、ルイは一時フランドルから追放されたりしてます。
フィリプ6世のおかげでまた戻れたんですけどね。
結婚から26年目にルイが有名なクレシーの戦いで戦死しました。
息子のルイ2世はフランドル伯になりましたが
15歳だったので、マルグリートはしばし摂政に就きました。
あのね…
マルグリートが持っているブルゴーニュ伯位、
ルイ2世の妻ジャンヌが持っているブラバント公位、
孫のマルグリート3世の夫が持っているブローニュとオーヴェルニュ伯位をめぐって
ゴタゴタがあるんだけど省いていいですかね… 中世にはありがちな継承争いってことで…
いろんな家系が複雑にからみあってるので大変よね
誰が把握してたんでしょう? 一家に一人、家系の専門家が雇われていたんでしょうか?
1361年、(孫の)マルグリートの夫ブルゴーニュ公フィリプ1世が亡くなります。
こちらのフィリプはカペー=ブルゴーニュ家ね。
1369年、マルグリートの後押しで(孫の)マルグリートは
ブルゴーニュ公フィリプ2世と再婚。
こちらはヴァロワ=ブルゴーニュ家です。
この時、息子のルイ2世は娘をイングランドに嫁がせるつもりでした。
マルグリートは息子の前でドレスを引き裂くと
「母の願いを果たさない息子なんて!
お前に吸わせたこの胸を切り取って犬にでもくれてやりたい!!」と言ったそうな…
子供を人質にとった敵の前でドレスをまくり上げて
「子供なんかここからいくらでも産んでやらぁ!」とタンカをきった
カテリーナ・スフォルツァという女傑がおりますが、マルグリートも負けていませんね。
ルイはすごすごと引き下がったようです。
1382年にマルグリートは自分の領土で反乱にあいました。
こちらは息子ルイと孫の夫ブルゴーニュ公に鎮圧してもらったのですが
すぐにルイが追放されてしまいます。
親不孝ものよばわりしてしかりつけていても可愛い息子、
いくつになっても心配尽きない唯一の子、というわけで
心労のせいでしょうか、その年にマルグリートは亡くなりました。
派手なエピソードがありませんが、かなり政治的な人だったんじゃないでしょうか?
フランドル伯ルイ2世はその2年後に亡くなっています。
ずーっと厳しいお母様の監視下にあったんでしょうか?
けっこうキツい人生だったかもね…
(参考文献 永井路子氏『歴史をさわがせた女たち=外国篇=』 Wikipedia英語版)
フィリプ5世王女 マルグリート1世・ド・ブルゴーニュ
ブルゴーニュ伯=フランドル伯ルイ1世妃
1310〜1382
フィリプ5世とジャンヌ・ド・ブルゴーニュ次女マルグリートの
幼い頃のことはよくわかりませんが、10歳ぐらいで
6歳年上のルイ(ルートヴィヒ)と結婚しています。
この結婚のおかげで、マルグリートの叔父にあたるフィリプ6世の後押しを受け
ルイはフランドル伯になることができました。
当時フランドルは経済的にイングランドに依存していたのですが
ルイは一貫してフランス支持派でした。
フランスとイングランドは百年戦争の真っ最中、てなわけで
イングランドはフランドルとの羊毛貿易を取り止めました。
そんなこんなで、ルイは一時フランドルから追放されたりしてます。
フィリプ6世のおかげでまた戻れたんですけどね。
結婚から26年目にルイが有名なクレシーの戦いで戦死しました。
息子のルイ2世はフランドル伯になりましたが
15歳だったので、マルグリートはしばし摂政に就きました。
あのね…
マルグリートが持っているブルゴーニュ伯位、
ルイ2世の妻ジャンヌが持っているブラバント公位、
孫のマルグリート3世の夫が持っているブローニュとオーヴェルニュ伯位をめぐって
ゴタゴタがあるんだけど省いていいですかね… 中世にはありがちな継承争いってことで…
いろんな家系が複雑にからみあってるので大変よね
誰が把握してたんでしょう? 一家に一人、家系の専門家が雇われていたんでしょうか?
1361年、(孫の)マルグリートの夫ブルゴーニュ公フィリプ1世が亡くなります。
こちらのフィリプはカペー=ブルゴーニュ家ね。
1369年、マルグリートの後押しで(孫の)マルグリートは
ブルゴーニュ公フィリプ2世と再婚。
こちらはヴァロワ=ブルゴーニュ家です。
この時、息子のルイ2世は娘をイングランドに嫁がせるつもりでした。
マルグリートは息子の前でドレスを引き裂くと
「母の願いを果たさない息子なんて!
お前に吸わせたこの胸を切り取って犬にでもくれてやりたい!!」と言ったそうな…
子供を人質にとった敵の前でドレスをまくり上げて
「子供なんかここからいくらでも産んでやらぁ!」とタンカをきった
カテリーナ・スフォルツァという女傑がおりますが、マルグリートも負けていませんね。
ルイはすごすごと引き下がったようです。
1382年にマルグリートは自分の領土で反乱にあいました。
こちらは息子ルイと孫の夫ブルゴーニュ公に鎮圧してもらったのですが
すぐにルイが追放されてしまいます。
親不孝ものよばわりしてしかりつけていても可愛い息子、
いくつになっても心配尽きない唯一の子、というわけで
心労のせいでしょうか、その年にマルグリートは亡くなりました。
派手なエピソードがありませんが、かなり政治的な人だったんじゃないでしょうか?
フランドル伯ルイ2世はその2年後に亡くなっています。
ずーっと厳しいお母様の監視下にあったんでしょうか?
けっこうキツい人生だったかもね…
(参考文献 永井路子氏『歴史をさわがせた女たち=外国篇=』 Wikipedia英語版)